夏宵
00
「浴衣?」
「そう。浴衣よ」
「もう9月だってのに?」
「バカね! 9月だからこそでしょ!」
 とかいうわけのわからない理由によって、俺たちSOS団の面々は、新学期が始まってまもないある日曜日に、全員が浴衣姿で近所の神社の祭りに出かけることと相成った。
 いつものことだが、ほんとにハルヒのすることはよくわからんな。
「いいじゃありませんか、このくらい」
 隣を歩く、藍地の浴衣を粋に着こなしたイケメン副団長が、いつも通りのニコニコ笑顔でそうのたまう。前方をはしゃぎながら歩く3人娘を後ろから眺めつつという構図もいつも通りだったから、瞬間よぎった憂いの表情に気づいたは俺だけだったろう。
「可愛いものだと思いますよ。――600年分も夏休みを繰り返されるよりは、よっぽどね」
「……まぁな」
 孤島合宿から始まり、恐ろしく濃く忙しく過ぎた夏休み。体感と記憶では40日ほどに過ぎない期間だったが、その実俺たちは8月終盤の2週間を15000回以上も繰り返しており、時間にすると延べ600年以上が経過している計算になるという。
 まったくハルヒの奴は、何がそんなに不満だったのか。無事にループを抜け出すことができたのは重畳だが、結局のところ理由はよくわからなかったな。
 俺は溜息をついて、そろそろ暮れてきた空を見上げた。9月とはいえ、身体にまといつく空気はまだ蒸し暑い。だが時折吹き抜ける風は涼しく肌をなでて、確かにもう秋が近いのだと感じさせられる。星の見え始めた空は、気のせいか少し高く感じた。
「なんでいまさら、浴衣なんだかね」
 カラカラと下駄の音をさせ、両側にやっぱり浴衣姿の長門と朝比奈さんをはべらせて、ハルヒははずむような足取りで歩いてゆく。そんな後ろ姿を眺めて何気なくぼやくと、隣の男は小さく笑みをこぼした。
「僕にはなんとなく、わかる気がしますよ?」
「ほぅ?」
「ほら」
 古泉のさし示す先は、祭りの会場でもある神社の境内に集まりつつある人々の群だった。
 薄い闇が浸食しつつある広場。独特の黄色いライトに照らされてざわめく人たち。遠くから聞こえるお囃子が祭りの雰囲気を否応なく盛り上げてはいるが、これはもう夏祭りではないのだなと思わせるのが、客たちの服装だった。
 まだ暑いとはいえ気分的に9月はもう秋だと思うものなのか、それだけの人がいても浴衣を着ている人の姿はあまりない。ほとんどが普段着で来ているその中に、浴衣姿で紛れ込む5人組。……なるほど、こりゃ目立つな。
「それで、俺たちも浴衣を着るよう強制されたわけか」
「そんなところでしょうね」
 実際ハルヒは、そこら中からの視線を集めてご満悦だ。朝比奈さんはちょっと恥ずかしそうだが、長門はやっぱりいつも通りだな。
「やれやれ……」
 はぁ、とため息をついて肩を落とす。と、その拍子に足下がおそろかになって、大きめの石か何かを草履で踏んでバランスを崩した。
「……っ!」
「おっと」
 ぐらりと身体がふらつき、転びそうになったところにさっと手が伸びてくる。腕を強く引かれ、背中を抱くような形で支えられた。
「大丈夫ですか」
「あ、ああ。……悪い、助かった。履きなれないもん履いてるもんでな」
「気をつけてくださいね」
 きゅ、と一瞬だけ、支える腕に力がこもる。俺の背後、ほんの少し上空からささやく声と息が耳元をくすぐった。

 まただ。また、この感覚。
たびたび感じる奇妙な現象に、無性にイラっとする。

 耳元に落ちる声と吐息、触れあう腕や背中に感じる身体の感触を、なんだかよく知っているような気がする。こんな至近距離で、こんな風に触れることが当たり前のような。
 いやいや。まさか、そんなわけはない。古泉とはそんな、ふざけあってスキンシップするようなつきあいじゃない。必要以上に距離をつめて話す癖のあるこいつのことだから、耳元で声を聞くくらいは確かにしょっちゅうだが、既視感を覚えるほど身体的接触をした覚えはない。
そんな記憶と感覚のズレがイラつきの原因だった。
 草履を履きなおしてから古泉の方を振り向くと、奴も自分の手を見ながら、なんだか微妙な顔をしていた。不思議そうな、不快そうなその表情を見ていたら、さらにイライラが増した。
「……おい、行くぞ」
「ああ、はい」
 はっと我に返ったように古泉は顔をあげて、また中身のない笑顔を見せた。
 前方で女子組が、足を止めて待っている。遅れてんじゃないわよ、と騒ぐハルヒの声に肩をすくめ、俺たちは小走りに3人の方へと向かった。



 奇妙な既視感は、実は新学期になってすぐの頃から、たびたび俺に訪れていた。
様子を見るに古泉もどうやら似たような状態らしいということはわかるのだが、そのことについてこいつとはっきり話をしたことは、まだない。聞いてしまえば認めることになるなんていう曖昧な理由が、俺をためらわせていた。
 実はこの浴衣の着付けをしてくれたのも古泉で、俺はそのために奴のマンションをはじめて訪れたわけなのだが、そのときの既視感たるや尋常じゃなかった。
 古泉の部屋まで奴と一緒に行ったとき、俺は部屋番号も聞かずにエレベーターのボタンを押した。あれ? と思ったのはもう押したあとで、古泉も訂正して押し直したりはしなかった。それは俺の押した階は目的の階として、正しかったからにほかならない。
 エレベーターから降りた後は、俺は先にたつ古泉のあとを大人しくついていったが、古泉が立ち止まるドアがどれなのか、フロアに降りた瞬間からわかっていたのが妙な感覚だった。
「では着付けちゃいますね」
 リビングに通され、やっぱり見覚えがある気がする部屋の様子を眉をしかめて眺めていたら、古泉が時計を気にしながらそう言った。確かに、待ち合わせまでそれほど時間の余裕があるわけじゃない。俺は、ああそうしてくれといいつつ、持ってきた浴衣のセットを古泉に渡した。
「ではまず服を……」
「あ、ちょっと待て。着る前に便所行っとく」
「ああ、そうですね。浴衣だと行きにくいですし」
「浴衣と小物はその袋にまとめてあるから、出しといてくれ」
 俺はそう言いながら、さっさとリビングを出てトイレに入り、小用をすませた。トイレの場所を聞きもしなかったことに気がついたのは、リビングで待っていた古泉のしかめっ面を見たときだった。
「……とりあえず、脱いでいただけますか」
 古泉は、そのことについては無視することにしたようだ。俺もその方がありがたかったので、さっさとTシャツとジーンズを脱ぐ。渋茶の浴衣を軽く羽織ってから、不自然に目をそらしている古泉のそばに行って、あとは古泉が着せ着けてくれるのにまかせた。
「男性用の浴衣の着付けは難しくないですから、機会があったら憶えておくといいですよ」
「ああ……そうだな」
「コツを憶えれば簡単ですから。あ、ここ抑えててください」
 腰紐を巻くために、古泉が俺の腰を抱く形になる。とたんになんだかもやっとしたものが、腹の奥にわきあがった。衣擦れの音とともに、見下ろす位置で色素の薄い髪が揺れる。ふわりと鼻腔をかすめるシャンプーの匂い。なんだろう。ひどく落ち着かない。
「くすぐってぇよ」
「ちょっと我慢してください」
 紐を締めたあと、背中からまわした古泉の手が袖の脇からもぐりこんできて、襟が整えられる。布越しに身体に触れる手がどうにも気になって、胸のもやもやは、またもイラつきに変わっていく。堪えていると最後に帯を締められ、はい、出来ましたとポンと背中を叩かれた。
「大丈夫だと思いますが、ゆるんだらすぐに言ってくださいね」
「ああ。サンキュ」
「どういたしまして。では失礼して、僕も着替えますので、そのへんに座っててください」
 そう言って俺に背を向け、シャツを脱ぎ始めた古泉を直視できなくて、俺はキッチンに足を向けた。なんか飲むものあるかと聞くと、ペットボトルのお茶がありますからどうぞと返ってくる。冷たい麦茶をグラスで飲み干してから、俺はまた、目線よりも上にある食器棚のグラスを、迷いもせずにとって使っていた自分に気がつき、眉をしかめるはめになった。



「さて、どうしたものか……」
 日もすっかり暮れ、雑多に立ち並ぶ夜店の灯りの中を歩く人々が、引きも切らない神社の参道。俺は道端の植え込みの縁に腰を下ろし、目の前を流れていく人の波を所在なく眺めながらつぶやいた。何故こんな場所にひとりで座り込んでいるのかと問われれば、はぐれたんだから仕方あるまいと答えよう。
 いやまぁ待て。幼稚園児じゃあるまいし、連れとはぐれたぐらいで何故途方に暮れてるのかと言いたいのはわかる。だがこれにも言い訳させてもらいたい。そもそもはぐれたのは、慣れない草履で足の指に草履擦れ(?)を作り、歩きにくくて遅れ気味になっていたところを参道を横切った団体様によって連れと分断され、気がつくと仲間の姿を見失っていたせいだ。そしてその旨を連絡しようと懐を探ったところ、携帯がないことに気がついた。サイフはチェーンでつないであったから無事だが、携帯は帯にはさんだだけだったからな。おそらく人混みにもまれるうちに、どこかに落としたんだろう。そういうわけで、俺はこれからどうするかを思案していたのだ。わかったか。
 まぁ、最悪このまま家に帰っちまったっていい。家に帰ればみんなの電話番号は控えてあるから、理由を説明して先に帰らせてもらったと言えばいいだろう。誰にともなくそこまで言い訳を考えてから、俺は大きく伸びをしてやれやれとつぶやいた。
「探してるかな、あいつら」
 そう考えて真っ先に思いつくのは、何故か古泉の姿だった。浴衣の裾を乱し、必死の形相で走ってくる姿までが、なぜだか在り在りと想像できる。高校生の男一人、迷子になったからってそんなに心配するほどのことじゃない。何をそんなにあせってんだ馬鹿、と言うだろう自分のセリフまでが頭に浮かんで、そのはっきりしすぎた既視感にうんざりした。

 自分の身に何が起こっているのかなんて、そんなもの原因はわかってる。
もちろん答えは、今年の夏の消えてしまった15497回分の記憶の中にあるはずだ。あまりにくり返しすぎたがために上書きしきれなかったビデオテープのように、ノイズとして残る記憶の中に。
 何回目の2週間のうちだったのかはわからない。だがくり返した15498回の中で、こんなにくっきりと既視感が残るほどの回数、あるいは濃度で、俺と古泉は近しい間柄になっているのだろう。頻繁に身体的に接触し、頻繁に家を訪れるほど仲の良い……男女ならともかく、同性同士ならそれは一般常識で考えれば、親友と呼ぶ間柄だ。
「親友……?」
 つぶやいてみて、俺は首をかしげる。
 消えてしまった夏の中で何かがあって、俺と古泉は互いに友情を深めあい、親友と呼ぶほどの間柄になった。ありえない話じゃないと思うが、なんとなく腑に落ちない。何故と言われてもよくわからないが、とにかくしっくりこないのだ。
 別に、古泉と親しくなるのが嫌なわけじゃない。胡散臭い奴だとはいまでも多少は思っているが、信用ならない奴ではない。仲間としても友人としても付き合う価値のあるやつだと思うから、親友になったなら嬉しく思いこそすれこんなにもやもやしたりはしないはずなのに。だがやっぱり親友という言葉には違和感を感じるのだ。
 そして、同じように何かを感じているらしい古泉の、嫌そうなしかめっ面にもイライラさせられる。あいつももしかしたら、似たようなことを考えてるのか?
 それが嫌なら近づくな。触るな。ついでに話しかけんな。ムカつくわ。
 目の前にいない相手に向かってそう毒づいて、俺は足下に転がっていた石を蹴飛ばした。

「ああ……こんなところにいらしたんですか」
 聞き慣れた声が頭上から降ってきたのは、そのときだった。顔をあげてみると、秀麗な顔にうっすらと汗を浮かべ、軽く息を乱した男がのぞきこんでいた。
「こいず……」
 はっとした。
 浴衣の襟元がかなり着崩れ、覆い被さるような体勢の古泉。夜店の強いライトを背負って、その顔は逆光の中に沈んでいる。それらが視界に入った瞬間、これまでにないほどの既視感が俺を襲った。――俺は確かに、この光景を知っている。
「気がついたらあなたの姿が見えないうえ、電話も通じないので、どうされたのかと思いましたよ」
 ほっとしたように話しかけられ、俺は我に返った。
「あ、ああ……悪い。携帯を落としたらしくてな」
「そうでしたか。とにかく、見つかってよかったです」
「ハルヒたちは?」
 周囲を見ても、ハルヒたち女子組の姿は見えない。もしかして手分けでもしてんのか?
「いえ、涼宮さんは一緒に探しに行くとおっしゃって聞かなかったんですが、この先にある休憩所で休んでもらっています。全員で動いてさらにはぐれても困るし、下駄履きであまり歩き回るのも大変だろうと説き伏せるのは骨が折れましたよ」
「そうか。すまんな」
 古泉が差し伸べる手に素直につかまらせてもらい、立ち上がる。途端に草履擦れが痛んで、息を飲んで顔をしかめてしまった。
「どうしました?」
「いや、履き慣れないもんでな。鼻緒で草履擦れってのか? それしちまって」
「ああ……あれは痛いですよね」
 古泉は少し思案してから、ちょっと我慢してくださいと俺に肩をかして参道をはずれ、奥の方へと連れて行った。人の姿も見えず灯りさえろくに届かないそこに、忘れられたような古びた社がぽつんと立っていた。
「そこに座って待っててください。来る途中にコンビニがありましたから、絆創膏を買ってきます」
「悪いな」
「すぐに戻ります」
 動かないでくださいねと言い置いて、古泉は人混みの方へと走っていった。その左腕にいつものごっつい腕時計が見えて、浴衣でもあれははずさないのかなんてどうでもいいことを考えながら、背中を見送った。
 社は、本殿ほどの規模はもちろんないが、それなりの大きさがあった。足をひきずりつつ社殿の脇にまわり込み、縁台のようになっているところに腰掛ける。さらりと乾いた木の感触が気持ちよかった。
 風に乗って聞こえてくるお囃子の音を聞きながら、ボンヤリとさっきのことを思い出す。古泉にのぞき込まれた瞬間に感じた、強い既視感。それはどういうわけか、確かに俺の中に恐怖にも似た感情をかき立てたのだ。
 恐怖? 俺が古泉に? なんでまた。
「……もしかして」
 逆だったのかもしれない、と、ふと思いついた。
 消えてしまった夏の記憶の中で、俺は古泉と何か友情を深めるような出来事があったのじゃないかと思っていた。が、事実はその逆で、俺たちの間にヒビが入るような、決裂せざるを得ないような何かがあったのじゃないだろうか。だから、親友という言葉に違和感を感じ、古泉も嫌そうな顔をしている……?
 それにしても、あの体勢で恐怖を感じ、さらに身体的接触が頻繁で、部屋をよく訪れる決裂した関係というのがさっぱり思い当たらない。なんのクイズなんだこれは。
 足を組んで頬杖をついた体勢で首をひねっていると、ガサリと傍の茂みが鳴った。視線を向けたらそこに、戻ってきたらしい古泉がコンビニのビニール袋を持ったまま佇んでいた。その顔は何故かこわばり、いつもの笑顔すらなくしている。なんだ……?
「おう古泉。悪いな使いっ走らせちまって……何をつっ立つってんだ?」
「いえ……」
 お待たせして申し訳ありませんと言いつつ歩み寄ってきた古泉には、もう普段通りの笑顔が戻っていた。コンビニの袋をガサガサいわせて中から絆創膏の箱とウエットティッシュを取りだし、俺の足下にかがみこむ。
「どちらの足ですか?」
「えっ……いいよ。それくらい自分でやる」
「浴衣が着崩れますよ。ほら、早く足出してください」
 せかされてしぶしぶ草履擦れを起こした右足を出すと、古泉の手が足をつかんだ。ひやりと冷たい感触が気持ちいい。古泉は手にしたウェットティッシュで、俺の足指のあたりを丁寧に拭いはじめた。砂がついていると、絆創膏がはがれやすいからだろう。まったくマメなやつだな。
 足の甲、裏側、指の上と順に拭われる。さらに傷のある親指と人差し指の間に触れられたとたんぴりっと痛みが走って、思わず小さく声をあげてしまった。
「すみません。痛かったですか」
 あわてたように手をひっこめ、古泉が見上げてくる。下からのぞき込む顔に、いや大丈夫だと答えたら、奴は俺が痛がった指のあたりに、ふーと息を吹きかけた。
「くすぐった……ってお前、な、なにやってんだ」
「消毒、です」
 ふーふーと息を吹きかけていた古泉は、そのまま俺の足を軽く持ち上げて……あろうことか、足指に舌を這わせたはじめたのだ。
 親指、人差し指、そして傷のある指の間を、ぬるりと湿った柔らかいものが這う。生温かい舌に舐められる感触がこそばゆくて、思わずビクリと身をすくませた。
「お前……アホか! なに人の足なんて舐めて……ひゃ!」
 ぐいと足がさらに持ち上げられ、傷と関係ないはずのほかの指の間にも舌が入り込んできた。古泉は目を伏せて1本ずつ丁寧に、ぴちゃぴちゃとか音のしそうなほどに唾液をからめながら舐めていく。くすぐったいというより……これは、なんだか……。
「ちょ……こいず」
 いつのまにか、古泉の右手が浴衣の裾から入り込み、腿の裏を撫でていた。ぞく、と妙な戦慄が背筋を走る。もはや古泉は舐めるだけでは飽きたらずに、足指を咥えてしゃぶったり歯を立てたりし始めており、その動きがさらにぞくぞくする感覚を引き起こしつつあった。な、なんなんだ、これは。
 やばい兆候を感じて、俺はあわてて古泉の頭をつかんでむりやり引きはがした。
「おま……一体何を……」
 頭をつかまれたまま、古泉は唇の端を指で拭いつつ笑う。
俺がひるんで手を離した隙に立ち上がった男は、すっと間合いを詰めて、座っている俺の両脇に手をついた。自然、その顔が至近距離に迫る。
「どうかしましたか? ただの消毒ですよ」
「消毒って……おかしいだろ。普通舐めるか、足なんて」
「じゃあ普通じゃないんでしょう、僕は」
「…………っ!」
 なんだ。どうしちまったんだこいつは。
 木々を揺らす涼しい風が、遠くからお囃子とざわめきを運んでくる。灯りとえば月と星と、ほんの少し届く夜店のライト。浴衣姿で微笑む古泉。こんなシチュエーションで、浴衣姿のこいつを見たことなんてないはずだ。なのに俺は、確かにこの光景に覚えがある。ひどい既視感がめまいを誘った。
 と、顔を伏せた古泉が、俺の耳もとで囁いた。
「……あなたも、感じていますか。はっきりとした、デジャブを」
 浴衣の裾を割って、足の間に古泉の身体が入り込んでくる。後ずさろうとした身体に腕がまわって、抱きしめ……というより腕ごと押さえつけられた。
「な、なに……」
「浴衣姿というのは、ひどく無防備ですよね。素肌に布を巻き付けただけで、それを止めるボタンもジッパーもない。とどめているのは、たよりない紐1本のみで……。そのくせ肌が露出した部分は少なくてストイックなのに、襟元を、裾を、ちょっと乱すだけでこんなにも淫らに視覚を刺激する。防御力低すぎです」
 防御力って……ゲームの防具かよ。
「だとしたら、襲い来る敵に、あっという間に蹂躙されて終わりですよね」
 背中にまわした腕が袖をひっぱると、襟元がはだけた。むき出しになった首筋に、古泉の唇が押し当てられ、軽く歯を立てられる。痛みよりも妙な感覚が、背筋を走った。
「っ……! や、めろ……っ」
 俺の抗議に聞く耳すらもたず、古泉は俺を拘束した腕にますます力をこめる。ふりほどこうともがいてみるが、本当に身動きがとれない。

「きっと、いつかの夏の僕も、あなたのこんな無防備な浴衣姿に惑わされたんでしょうね」

 俺は思わず抵抗をいったん止め、古泉を見下ろした。
「古泉。それは」
「ええ……涼宮さんが、15498回くりかえした夏です。今日、こんなに激しいデジャブを見るとなると、始まったのは、あの花火を見た夏祭りの日だったのかもしれません」
 始まったって、何が。
「あなたもわかっているでしょう? デジャブを感じているのではないですか。僕と至近距離で目があったり、身体を触れあわせたりしたときの知っている♀エ覚を。おそらく何度目かの2週間の中で、僕らはお互いの身体を知る……ああ、まどろっこしい言い方はやめましょう。つまりセックスをするような仲になっている、ということです」
「……!」
「ほら……あなただって」
 いきなり、古泉の手が裾から中にもぐり込んで、俺のソコに触れた。
「たったあれだけの刺激で、もうこんなに。反応早いですよね」
「馬……鹿言ってんじゃねぇ……! なんで俺が、お前なんかとそんな関係に」
「いえ……おそらくは」
 ぐい、と乱暴に肩を押され、縁台の板の上に倒される。古泉が身を乗り出して身体を押さえつけたので、俺は完全に押し倒された体勢になった。
「……僕が、無理やりしたんですよ。多分、ね」



 ひどい既視感だった。
目の前の光景や聞こえるお囃子だけじゃない。身体に感じる熱と重み、肌を這う手や唇や舌の感触、耳朶を湿らせる息づかい。それらによって身体の奥から引き出される、ぞくぞくするような感覚さえ、馴染んでいるもののような気がする。
 古泉の言ってることが正しいとして、俺たちは何度こんなことをくり返してるって言うんだ。
「たぶん……」
 全体重をかけて俺を押さえつけ、耳を舐めながら古泉はささやく。
「一度きりなどではなくて、幾度も強要したんだと思いますよ。写真でもとって脅迫したのか、あなたの優しさにつけ込んだのかはわかりませんが」
「っふ……そ、こさわん……な」
「やっぱり、ココが弱いんですね。……だってあなた、僕の部屋をよく知っているでしょう? トイレの場所とか食器の位置とか。僕はね、新学期以降、ベッドはもちろんソファやらバスルームやら、はてはキッチンやバルコニーでも、たびたび記憶がフラッシュバックするんです。あなたを、犯している光景が」
 きっと、否応なしにあなたを自分の部屋に呼びつけては、そんな行為を強要してたのでしょうねなんて、なんでもない調子で言いながら、裾から中にもぐりこむ古泉の手が俺の弱い部分を的確にこすりあげる。
 上半身はもう両肩がむき出しになるところまではだけられ、裾は乱されて足を大きく割り拡げられて、下着もとっくに取り去られている。帯だけはいまだほどかれていないから、結果的に俺は浴衣をだらしなく着崩した状態で、両手で口を押さえて、必死に声が漏れるのを堪えていた。
「ひ……うっ……」
「どうせ消えてしまう2週間の記憶。やりたいようにやってしまえと思ったんでしょう、僕は。だけど悪いことはできないものです。何度くり返したのかわかりませんが、こうして、自分の中にもあなたの中にも、消えずに残ってしまっているのだから」
「っく……こいず……も、俺……っ」
 まるで、懇願するような口調になった。自分でするより数倍よくて、とても堪えきれない。古泉の手は俺の限界をわかっているかのように、俺の懇願に応えて少し力を入れた。途端に俺の頭は真っ白に灼き付き、抑えきれなかった声を上げてイッちまった。
 ゼェゼェと息をつきながら目を開けると、俺が吐き出した白濁を右手で受けとめた古泉が、手の中の液体と俺を見比てべ昏く嗤った。
「ふふ、いっぱい出ましたね」
 奴が手を握り込むと、中でくちゅと水音が鳴る。
「そんな風に息を乱して、顔を真っ赤に染めて、瞳を潤ませて……そのしどけない浴衣姿、フラッシュバックで見るよりはるかに色っぽくて、すごくそそられます。着付けをしたときからずっと、どうにかしてやりたくてしょうがなかった……」
 ぐい、と両脚をさらに拡げられ、俺が出したものをからめたらしい指が、後ろに潜り込んでくる。俺は息を詰めて、指が中でうごめくたびにビクビクと身体を震わせた。指の動きに合わせて、声が漏れる。いささか乱暴にそこを慣らされて、息をつくヒマもなく古泉が中に入ってきた。
「い、痛っ……!」
 内蔵を押される、強烈な違和感。腹の奥にねじこまれたものが、得体の知れない感覚を掘り起こす。痛いけどそれだけじゃない、じれったい感じ。
「……はじめてなのに、すごいですね。自分から腰を振って」
 嘲るような古泉の声。対象は俺じゃなく、おそらく自分自身だ。
「僕はどれだけ、あなたにこんな酷いことをしてきたんだろう。あなたがそうやって自衛せざるを得ないくらい、きっと何度も乱暴をくり返したんでしょうね……」
「いっ……う……っ」
「こんなこと……許されるはずないのに……っ」
 聞こえるのは奴の声と激しい息づかい。ぐちゅぐちゅ、と断続的に響く水音。身体が熱い。何かがぐいぐいと押し込まれてるソコと、縁台の木に擦られる背中が痛い。耳もとでまた、奴が何かを言った。今にも泣きそうな声。ああもう……っ!
「う……るさいっ……!」
 古泉の襟元をつかむ。思い切り引き寄せて、額がぶつからんばかりの距離で、俺は怒鳴った。

「べらべらしゃべってねぇで、集中しろっ!」

「……は?」
 古泉が動きを止めた拍子に、ずるっと妙な感触を残して、ソレが抜けた。
「ぅあっ! ぬ、抜くなコラ!」
「って……えぇ? あ、あなたは何を……」
 ぽかんとした顔で、古泉が俺をのぞき込んでくる。
 ああ、すまん。正直、後半はさっぱり聞いてなかった。気持ちよすぎて、それどころじゃなかったんでな。
「き、気持ちいいってあなた」
「あー、勘ぐられる前に言っとくが、俺は正真正銘はじめてだからな。最後のシークエンスにつながってる現在に置いては、だが」
 不本意ながら、全身をかけめぐりわきあがる快感と一緒に、俺はいろいろ思い出しちまった。いつの夏の話なのかはさっぱりわからんが、おそらく複数回の、既視感の元になっている記憶を。どういうキッカケなんだよ、とは思うんだが、仕方ないだろう。感情と身体に、こんなに強烈に記憶が刻み込まれる体験なんてそうそうない。
「でも」
「お前さ」
 息を整え、ちょっと落ち着いてから、俺は眉をしかめて聞いてみた。
「ちゃんと思い出してみろ。お前の部屋でいろいろしてる俺は、嫌がってたか?」
「さ、さぁ。断片的な記憶のフラッシュバックばかりなので、そこまでは」
 あまり直視したくなかったですし、と古泉は不安そうな顔で答える。
「でも、ありえないでしょう? あなたが僕にこんなことをされて、それで」
「俺の記憶っつーか感覚だと、嫌々って感じじゃないな」
 確かに恐怖を感じたりもしたが、察するにあれは……初めて、の時のソレなんじゃないだろうか。未知の体験に挑むなら、怖いと思ってもバチはあたらんだろう。
「お前はどうなんだ。その時の気持ちというか、そういうのは」
 途方に暮れたみたいな様子の古泉に聞くと、思い出そうとする顔になって首をかしげる。
「それは、僕はあなたのことがずっと好きだったんだし、喜びとか嬉しさとか……あと少し罪悪感が」
「そりゃしょうがないだろ、お前の立場的に。……というか古泉、お前今、重大なこと告白したの気がついてるか」
「えっ……あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「聞いてねぇよ馬鹿」
「あれっ? 確か言ったはず……」
「そりゃ、消えた何回目かの夏ん中でだろ」
 自分の失言に気がついたときの古泉の顔は見ものだった。こう暗くなかったらきっと、耳まで真っ赤になったのが見えたろうに、惜しいな。うん、実に。
「う……」
 そんな古泉の反応を見たら、少しおさまってたものがまたうずきはじめた。なんというか、頭で思い出す記憶より身体に刻み込まれてる感覚の方が鮮明だし、正直だ。
「とりあえずだな、古泉」
「は、はい?」
 たぶんまだ赤いままだろう顔をあげた古泉に、提案してみる。だってもう、しょうがないんだよ。身体的に。
「このままだと結構アレなんで、続きをしないか」
「つづ……えええっ!? つ、続きって」
「続きと言ったら続きだ! お前が中途半端なとこで抜いたせいだろうが!」
 でもとかだってとか言ってるのはとりあえず無視。まだ古泉に覆い被さられた体勢のままだったから、その乱れた浴衣の裾から手を入れて中を探ってみる。古泉のソレは少しおとなしくなってたが、ちょっと触ってやったらあっという間に回復した。ついでだからと、そのまま指で先端のあたりをぐりぐりといじってやった。
「ちょ……! ダメですっ……」
「いいからっ」
 ダメとか言いながら逃げもせず、眉を寄せて息を荒げてる顔が色っぽい。裾を乱して上半身をはだけてビクビクと身を震わせる浴衣姿は、うん、たしかにそそられるな。
 ぬるい液体がにじみ出してすべりがよくなったところをさらに擦ると、古泉のソレはどんどん硬くなる。やがて、さすがに我慢しきれなくなったらしく、再び俺は押し倒され足を思い切り拡げられて、中に古泉を迎え入れることになった。
「んっ……!」
 さっき中途半端だった分、あっという間にたまらない快感が背筋をかけあがる。正直すぎる俺の身体はどんどん高まりのぼりつめて、喉から勝手に声があふれた。
「あ、あ、あ……っ……やば……きもちい……っ」
 ホントどうなってんだ、俺の身体は。我ながら初めてとはとても思えん。
でもまぁ……多分、こいつが相手の時限定なんだろうけど。
「あ……こいず……俺っ、またイ……くっ……!」
「ぼ、くも……もう……っ」
 ぎゅう、と強く強く、抱きしめられる。好きです、と耳もとで吐息のような声を聞き、腹の奥にじわりと熱を感じたとき、すとんと腑に落ちたことがあった。
 親友、という言葉に違和感を感じた理由。
もちろんそれは、本当は俺たちはそんな関係じゃないってことを知ってたからだ。
別に俺は、親友が恋人より下だなんて思っちゃいない。
いないが、それでも親友≠カゃダメだった。
だから、嫌そうな顔をされるのもカンに障って、イラついてしょうがなかった。

 俺はただ、こいつが、俺のものじゃないのが不満だったんだ。
 ああ、すっきりした。



「無茶しますねぇ……あなた……」
「うっせ」
 すごい勢いでお互いを貪り、ようやく汗まみれの身体を離してから、浴衣が見る影もなくぐちゃぐちゃなことに気がついた。しょうがないですねと困り笑顔で、古泉が着付け直してくれている。古泉自身は、さっさと自分で着崩れを直してしまい、すでにさっきのエロい姿なんてどこの世界の出来事かと言わんばかりのすましっぷりだ。
 ホント、こいつは自分のしたことがわかってんのかね。
「無茶はお前の方だろ。……いきなりあんなことして、明日からどうするつもりだったんだ」
「そうですねぇ……」
 すると古泉は、情けない苦笑いとしか表現できないような器用な笑い方で、肩をすくめて目を伏せる。
「実はかなり衝動的というか……たまりにたまったイライラが爆発した感じだったので、先のことはまるで考えてなかったというか……」
「嘘つけ」
 重なり続けた既視感のイライラに耐えきれず、爆発しちまったのはその通りだろう。実際、俺だってヤバかった。だけど、自分が無理やりしたのだと信じていたお前が、先のことを考えなかったとは思えない。恐らくこいつは。
「……お前、俺たちの前からいなくなる気だったろ」
 古泉は俺の浴衣を整えながらしばらく黙り込んで、やがて顔をあげずに答えた。
「……自分勝手なワガママであなたを傷つけたとすれば、当然の処罰でしょう?」
 自嘲するような口調で、古泉は述懐する。
 消えたはずの、なかったことになったはずの記憶は、フラッシュバックと既視感となってたびたび古泉を襲ったのだという。俺を組み敷いて、追いつめて、押さえつけては、欲望をぶつける自分。許されない行為を、最悪な裏切りを、喜々として行う自らの浅ましさ。
 くり返しくり返しまざまざと見せつけられるそれは、きっと自分のしたことに対する罰なのだろうと思ったと古泉は言う。
「誰にも知られない罪でも、自分自身は知っている、とはよく言ったものです。日々、罪悪感に責められて、それでもあなたを見ていると欲望が消せなくて、もうおかしくなりそうで……。いっそあなたに憎まれ嫌われて、北高にいられなくなればいいと、そう思ったんですよ」
「そんなこったろうと思ったぜ。アホが」
 くしゃ、と柔らかい髪をかきまわし、少し乱暴になでてやる。古泉は何も言わず、顔もあげないまま、俺の浴衣をきゅっと握りしめた。
「……思い出せて、よかった」
 俺がそうつぶやくと、古泉の手は少し震えた。
「申し訳、ありませんでした……」
 しばらくそうして黙ったあと、古泉はにわかに手を動かしはじめた。浴衣の前をあわせ、腰紐を巻き付けて締め付ける。襟やら脇やらを整えるため、手が腰や腹や胸に触れた。
「でもまぁ、たぶん……」
 古泉は立ち上がって、てきぱきと帯を巻き付ける。後ろ向いてくださいと言われて背中を向けると、シュッという衣擦れの音とともに、腰に帯の締まる感覚がした。古泉の顔を見ないまま、俺は続けた。
「……俺は、お前のそういうアホなとこが気に入ったんだよ」
 ピタ、と古泉の手が止まった。
 くり返す夏の中でこいつがとった行動が、ヤケだったのかあきらめの境地だったのかはわからん。どうやらこいつは、俺が自分を受け入れることなんてありえないと思ってたようだが……たぶん俺は、それまで俺が知っていた古泉らしからぬ、そんな激情とわがままをぶつけられたのが嬉しかったんだと思う。
 なんでわかるのかといえば、今現在も同じ気持ちが胸の中でくすぶっているからだ。
「……そういえば、してませんでした」
「ん?」
 何をと聞く前に、頬に手をかけられ、ぐいと首を振り向かされて唇を奪われた。ああ、そういえばそうだな。あんなことやらそんなことまでさんざんしときながら、キスはまだだった。まったく、あきれるな。
 ふいをつかれて硬直したのは一瞬だ。俺はすぐに目を閉じて、古泉の腰に腕をまわした。するとおずおずと舌が唇を舐めてくるから少し開いてやったら、さっきのおずおずが嘘みたいに、するりと中に舌が侵入してきた。
 ファーストキスとは思えない濃厚さで舌をからめあい、息が上がるほど貪りあってから唇を離す。至近距離で見つめ合う古泉の瞳の中に見えるのは、まぎれもなく今の俺と同じ気持ちだろう。……が、どうせお前には言えないんだろう? だったら俺が言うまでだ。遠慮なんてしてやらん。
「古泉」
「はい……なんでしょう」
「このまま、お前んち行かないか……?」
 意味は通じたはずだ。あわせた胸に伝わる鼓動は早いし、触れたままの指は熱い。
 だけど古泉は思った通り、きゅっと唇を噛みしめる。
「……でも、涼宮さんがお待ちですから」
 やれやれ。お前は結局それなのか。俺が拒絶しようと受け入れようと、結局、罪の意識に苦しむんだな。まったく難儀な奴だ。世話の焼ける。
「俺が、転んで捻挫でもしたことにして、家まで送るってメールしとけばいい」
 躊躇する古泉に、ダメ押しのようにもう一度キスをする。しょうがない。その罪悪感を越えるくらい、俺に溺れさせてやるしかない。
「お前はもう少し、ワガママになるべきだと思うぞ?」
「そう言われましても」
 俺は古泉の携帯を取り上げて、勝手にハルヒにメールを送り、すぐに電源を切った。この程度で、閉鎖空間なんて作るなよ、ハルヒ?
「まったく、あなたって人は妙なところで強引ですよね」
「いいじゃねえか。……夏はもう終わったんだし」
 古泉は俺を抱く手に力をこめ、深く溜息をついた。どうやらあきらめたか?
「変な理屈ですねぇ」
「まぁ、お前ほどじゃないと思うぞ」
 肩をすくめて困ったように笑う顔から、俺は参道の方へと視線を向けた。
お囃子の音は遠くから聞こえ続けているし、夜店の黄色い光も遠くで揺れている。やっぱり俺は、この光景に見覚えがあるなと思いはする。
 それでも俺は、そんな既視感にイラついたりなんかしない。

 ――夏はもう、本当に終わったんだからな。




                                                   END
(2010.08.29 up)
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エンドレスエイト後。
積極的すぎるキョンくん。若いですね(笑)
浴衣エッチが書きたかったんですよ。

エンドレスエイトのネタの宝庫っぷりは異常。いくらでも書きたい。