Crazy Rendezvous
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「で、なんなんだこれは。誘拐か」
「人聞きが悪いですねぇ」
 前方に視線を固定したまま、真剣さのカケラも感じられないような声で古泉は言った。
その横顔は、高速道路に等間隔に並ぶオレンジ色の外灯に、照らされては陰りまた照らされては陰りしているせいで、表情があまりはっきりしない。
 まぁ、声を聞く限りじゃたぶん、いつも通りのニヤケ顔なんだろうけどな。
「人がデートしてるとこに突然横付けして、いきなり車に引きずり込んで走り出したんだから、誘拐以外の何ものでもないだろうが。今頃ハルヒのヤツ、カンカンだぞ、きっと」
「そうでしょうね」
 ふふっ、と楽しそうに笑う声がする。それでもハンドルを握ったまま、古泉はただ前方をじっと見つめ、奇跡的にすいている深夜の高速を飛ばし続けた。
 カーステレオからは抑えたボリュームで、とてもコイツの趣味とは思えないハードロックが流れている。何を考えているのか読めない横顔から目を逸らし、俺は足を組んで助手席側の窓にもたれ、流れる夜景を眺めた。



 本当に何を考えてるんだか。
 日曜日の終電直前、深夜と言って差し支えないこんな時間。池袋の高層ビル前の歩道を並んで歩いていた俺とハルヒの横に、見覚えのある車が止まったのが、ついさっきのことだ。助手席の窓を開け、運転席から身を乗り出したのはやっぱり古泉で、たまたま見かけて声でもかけてきたのかと思いきや、ドアを開けて手招きされ、のぞき込んだらいきなり車の中に引っ張り込まれたのだ。
 あっけにとられているんだろうハルヒを残し、車は急発進しやがった。ドア閉めてくださいねと言われ、反射的に従ったのはしょうがないだろ。こんな状態で振り落とされたら、ケガじゃすまない。
 仕方なくハルヒに連絡しようとした携帯は、すかさず取り上げられて電源を切られた。取り返そうとすれば、窓から投げ捨てる仕草をみせるもんだから渋々あきらめ、高速に乗ったところでようやく冒頭のセリフだ。
 本当に、何がしたいのかさっぱりわからん。

 会話の途切れた車内には、どっかのロックバンドのハードなナンバーが流れている。聞き覚えがあるからメジャーな曲なんだろうが、あいにくJ-POPとアニソンくらいしか聞かない俺にはバンドの名前すらわからん。やけに腹に響く重低音ががなんとなく神経にさわって、俺はかたくなに窓の外に視線をやりつつ、コイツはこんな曲も聴くんだな、いつもはもしかして俺にあわせてたのかなんて考えていた。
 まぁな。今日は確かにいきなりだったが、この車でドライブすること自体はそう珍しいことじゃないのだ。買ったときにまっさきに見せに来て、初乗りに付き合わされて以来、俺たちは度々この車で遠出したりしている。こんないい車の助手席が男の俺じゃしまらねぇなとからかったら、男性で乗せるのはあなただけですよとしれっと答えやがったっけ。
 ああ、そうだろうよ。俺と違って一流の大学に通う、物腰柔らかなイケメン様だ。女が放っておくわけはないし、本人もどうやら放っておかれるつもりはないらしい。高校を卒業して2年、女が途切れたのを見たためしがない。まぁ、どれも長続きはしてないみたいだが。
 だから普段この席に座ってるのは、派手な洋服と化粧に身を包んだ女どもなんだろうさ。
「今日のデートは」
 ふいに、古泉が口を開いた。押し黙ったまま怒ったフリをしていた俺は、無言のまま振り返ってにらみ付けてやる。
「あは、怒ってますね」
「あたりまえだろうが」
「せっかくのデートを妨害してしまって申し訳ありませんでした。……ところで、今日のデートは涼宮さんからのお誘いですか?」
 必要以上にニコニコしながら、古泉は言う。それでも、ちらりとも視線をよこさない。
「まぁな。いきなり電話してきて、キョン! 今日これからデートしなさい! だとさ。ハルヒも何考えてんだかわからん」
「そうですか。一昨日、あなたが頬を腫らしていたのは、涼宮さんの仕業だと思ったのですが、仲直りしたんですね」
「別に、ケンカしたわけじゃねぇからな」
「ほう?」
「俺が、一方的に悪かったんだよ」
 それきり俺は口をつぐんだ。理由を教える気はまったくない。こいつにだけは、言えるわけがない。古泉からは理由を聞きたそうな気配が伝わってきたけれど、俺はまた視線を窓の外に向け、拒絶の姿勢をみせつけた。
「……あなたは、てっきり涼宮さんとうまくいっているものと思いましたが」
 ぽつりと、つぶやくような声が聞こえた。俺は窓の外にかたくなに視線を向けたまま、なるべく軽く聞こえるように言い返す。
「何度も言ってるだろうが。俺とハルヒは、つきあってるわけじゃない」
 確かに今も、ハルヒのやつがなんでだか志望校のランクをいくつも落として、俺と同じ大学に入ってきたせいで、俺は高校時代と変わらない勢いでハルヒに引きずられちゃいる。あの妙ちきりんな力は高校卒業以降はナリをひそめ、今ではほぼ消滅しかかっているらしいから、ごく常識的な範囲でだが。
 何が楽しいんだかハルヒのヤツは、しょっちゅう俺を呼びだしてはあちこち連れ回し、大学構内でもはばからずに人を顎でこきつかうもので、俺はすっかりあいつの下僕認定だ。合コンの誘いのひとつもこないのは、そのせいに違いないな。おかげで未だに、彼女すらできやしないのが情けない。
「それを世間では、つきあっている、というのではないですか?」
「いい歳こいて、健全に遊び回るだけでつきあってるとはいわんだろ。今どき」
 からかうような古泉の口調に、そんな風に答える。含ませた意味に気がついたのか、はじめて古泉が、ちらりとこちらに視線を飛ばしてきた。一瞬、からみあった視線に、コイツは何を感じただろう。
「……まぁ、カラダの関係があったからって、恋人同士ってわけでもないらしいがな」
「…………」



 高校時代、俺とコイツはおつきあい、のようなものをしていた。
きっかけはたぶん、1年生の夏に経験した、あの長い長い夏休みだ。15498回くりかえした2週間の中で、俺たちはどうやら何度も異常接近し、何度も一線を越えたらしい。ようやく新学期を迎えたときには、なんだかそうなるのがあたりまえのような感覚で、いつのまにか恋人のようなつきあいをはじめ、いつのまにかベッドを共にするようになっていた。
 本当に恋人同士だったのかと言われれば、よくわからない。
つきあっている最中も、ハルヒという存在と機関のしがらみにとらわれ続けていた古泉は、まるでそれが破滅のキーワードででもあるかのように、好きだとか愛してるだとかの言葉を言わなかったし、俺も言ったらコイツが困るのが目に見えていたから口をつぐんだままだった。だけどあの頃の俺は、間違いなくこいつのことが好きだった……と思う。
 でも、古泉はどうだったんだろうな。ときどき行った映画やらゲーセンやらのデートじみた行動の時も、若さにまかせて貪りあうようにしてたセックスの時も、コイツは普段と変わらず能書きと冗談に塗り固めたようなことばかり話してた気がするしな。
 卒業を目前に控えたある日、俺は古泉にこれからどうするつもりなのかと聞いた。
俺としては大学が別れちまったことでもあり、その頃にはハルヒの力がだんだんと弱まっているということも聞いていたから、これからどうつきあっていこうかと訊ねたつもりだった。どこかにアパートでも借りて、同居するつもりがあるならそれもいいかとまで思ってたんだ。
 だけど古泉の答えは、そろそろ潮時かもしれませんね、だった。
「若気の至りが許されるのは、せいぜいが高校生まででしょう。いい機会ですから、こんな不毛な関係はいったん精算しましょうか」
 せっかく涼宮さんが同じ大学に合格されたことですし、というわけのわからない理由を聞いて、俺も頭に血が昇った。不毛な関係ってなんだよ。
「そうだな。ハルヒのおかしな力も弱まって、お前もようやくお役ご免だもんな。いつまでも俺のご機嫌なんかうかがってらんねえか」
「監視そのものは、別の人間が続けるそうですよ。僕はただ、学びたいことを学ぶ機会をいただけただけです。あなたとは、今後ともいい友人としておつきあい願えれば幸いです」
 そんなことを言いながら晴れやかな笑顔で手を差し出すものだから、俺は内心むかつきながらもその手を握りかえさざるを得なかった。
 そして俺たちは卒業を待たずにその日から、ただの友人同士に戻った。……いや、最初から恋人なんかじゃなかったのかもな。ただ性欲解消のためにときどきセックスするだけの、ヤリ友とかセフレとかそういう類のアレだったんだろう。少なくとも、古泉にとっては。
 お笑い種だな。
恋人だ、好きあってるんだなんて思ってたのは俺一人だったんだ。
甘い会話なんてかわしたことはなかったが、それなりにうまくいってるなんて思ってたのも。
 まったく、笑えるぜ。
でもまぁ、一番笑えるのは、そんなみじめなことになっときながら、未だに気持ちを吹っ切れないでいる俺自身なんだがな。
 やれやれだ。



 そんなことをつらつらと思い出していたら、ふいに車が止まった。
いつのまにか高速は降りたらしい。外灯も少ないような道をしばらく走っていたような気がするが、ここはどこなんだ。
「横浜ですよ。そこから港が見えます」
 高台になった道の脇の茂みが一部切れ、確かに暗い海と港の灯りが見下ろせた。窓をあけるとそちらから、生ぬるくべとつく風が吹いて潮の匂いを運んできた。あたりは薄暗く、他には人も車も見えない。
「有名な場所ってわけではないですからね。いわば、夜景スポットの穴場です」
「そんなとこに俺を連れてきてどうすんだよ。彼女でも連れてきてやれ」
「彼女……ですか?」
 ぽつりとつぶやいて、古泉はハンドルの上に両手を置き、そこに器用に顎をのせた。顔はそのまま前方に向けられているが、夜景をみるでもなく視線は遠かった。
「先月くらいに、合コンでお持ち帰りされたって言ってたじゃねえか」
「ああ……フラれましたよ、とっくに。まぁ、2,3回デートしただけの相手を彼女と呼んでいいならですが」
「フラれた? お前が?」
「言ったことありませんでしたっけ。いつでもフラれるばっかりですよ、僕は」
 そうなのか。俺はてっきり、ちょっとつきあっちゃ捨ててんのかと思ってたぞ。
「冗談じゃないです。僕はいつだってマジメにお相手してますよ。ただ……しばらくすると大抵相手の方から、古泉くんって私のこと実は好きじゃないでしょとか、他に好きな人がいるんでしょとか言われて、フラれるんです」
 悩ましげな溜息をつく古泉の横顔を、俺は観察した。ふぅん。
「…………いるのか?」
 好きな人、とやらが。
 古泉はしばらく黙っていたが、ふいに身体を起こしたかと思ったら突然再びエンジンをかけ、アクセルを踏んで急発進した。俺は反動でシートからずり落ちそうになる。あっぶねぇな、おい!
 どこへ行こうと言うのか古泉は、そのままスピードをあげて夜の道を走り抜けた。横を見ると、ヤケクソみたいな顔でニコニコしている。
「ちょ、どこ行くつもりなんだ、お前!」
「決めてませんけど、とりあえず朝までは帰しませんよ!」
「なんなんだ。どうしたってんだよ一体! いきなり誘拐しやがったと思えば、わけも言わずにこんな」
 すると古泉は、ハンドルを握ったまま器用に肩をすくめ、笑い出した。陽気な笑い声と言えば言えるが、俺にはどこか狂気じみたものを孕んで聞こえる。
「古泉!」
「もう嫌になったんですよ、自分自身がね! 使命に背くのが怖くて、破滅しか見えない道に相手を引き込むのが怖くて、嫌われるのが怖くて、それを理由に守ってばっかり、逃げてばっかりの自分が嫌になったんです。もう全部終わりにします!」
「って、なんのことだ!」
「さっきの質問ですけど」
 さっきって。
「好きな人がいるのかってヤツです。……いますよ! ずっとずっと好きな人がね! 一時期はおつきあいみたいなこともしてましたけど、相手の本当の気持ちを確かめるのが怖くて、僕が勝手な理由で一方的に終わらせて、今ではあたりさわりなく友人づきあいです。でも僕にとっては、後にも先にも本当に好きになった人は、その人だけなんです!」
 しょうがないですよね、と古泉はまた陽気に笑う。――ちょっと待てお前、それは。
 他の車は一台も見えない交差点を、タイヤを鳴らして右折する。どこを目指してるのかはわからない。気の向くままにハンドルを操作してるのかもしれない。
「……だってお前、不毛な関係だって言ってたじゃねえか。だからきっと、ただの性欲解消だったんだと俺は」
「そんな相手に、あなたを選ぶわけないじゃないですか。各方面に支障出まくりだし、涼宮さんにも機関にも隠さなきゃいけなくて、どちらかといえばストレスためる選択です。好きで好きでしょうがなかったから、それでもやめられなかったに決まってるでしょうが」
「じゃあ、なんで別れたんだよ!」
「言ったでしょう! 怖かったんですよ。あなたには、普通の女の子になった涼宮さんと幸せになる未来だって用意されてた。あのまま僕と不毛な道を歩いて、あなたが後悔しないとは僕には思えなかった! だからそんなことになる前に、嫌われたり醒められたりする前に、逃げたんです!」
「お前、そこは胸を張っていうところなのかっ!」
 知りません! と古泉は声を上げる。なんというか、極端から極端に走るヤツだとは、昔から思ってたが……。
「ご安心ください。言いたいこと言い切ってすっきりして、朝になったら、ちゃんと家までお送りします。ただあたりさわりなく綱渡りしてたあなたとの会話を、変えてしまいたかっただけですから。涼宮さんにも、ちゃんと後腐れなく玉砕したとご報告しますので!」
「おい、そこでなんでハルヒが」
 僕から伝えてしまうのは興ざめかもしれませんけどね、と前置きしてから、古泉は言った。
「昨日、涼宮さんからわざわざお電話をいただきましてね。あたし、明日のデートでキョンにプロポーズするつもりだから! と。プロポーズは男からするものなんて通例、ナンセンスよ。あたしはそんなの気にしないわ! とは、いや実に涼宮さんらしい」
 ハルヒの言葉をおそらく忠実になぞって、古泉は愉快そうに笑った。
「今日の誘拐は、だから僕のちょっとした嫌がらせです。あとはもうお邪魔しませんので、どうぞお幸せに」

 ……馬鹿なのかコイツは。
 ああ、そういや馬鹿だった気がするな。ま、俺もあんまり人のことは言えんが。
俺は溜息をついて、シートに勢いよくもたれかかった。
「……ハルヒになら、一昨日きっぱりフラれたとこだぞ。見事な右ストレート付きで」
 いきなり、けたたましい音をたてて、車が急停止した。今度こそ俺は、勢いを殺しきれずに大きくゆさぶられ、シートベルトが激しく身体に食い込んだ。痛ってぇ!
「……っぶねぇな! 事故ったらどうすんだこの馬鹿!!」
 幸いあたりには、後続車どころか対向車も歩行者も、信号すらない。いつのまにこんな山道に入ってたんだ。
 だが古泉は、俺のそんな怒鳴り声すら聞こえていないようだった。混乱しきっためずらしい表情で、ぽかんと俺を見つめている。
「一昨日って……」
 微妙に目を逸らして、俺は一昨日ハルヒに思いっきり殴られ、やっと腫れが引いたばかりの左頬をなでた。俺が悪いんだが、効いたな、あれは。
「ちょっとした気の迷いっていうか……いや、甘えかな。ハルヒにお前のことで愚痴ったついでに、いっそお前とつきあったら楽かもしれん、頼んだらつきあってくれるかって言ったら殴られた」
 身代わりなんてまっぴらゴメンよ! あたしを誰だと思ってんの! って、ものすごい剣幕でな。かなり恐かった。
 実はな、古泉。ハルヒは俺たちのことも、とっくに全部知ってんだよ。大学に入ってしばらくして、一緒に飲んでるときについバラしちまったんだ。いや、ほんの少しだけ、それっぽいことをポロっと漏らしちまっただけなんだぜ? だがその後、苦手な日本酒をがんがん飲まされ、取調室での自白強要かって勢いで追求されて、あらいざらい吐かされたんだからしょうがないだろうが。
 それから古泉にだけはお前が知ってるって事を言わないでくれって頼み込んで、ときどき愚痴につきあってもらってた。そんな経緯だし、俺の今の気持ちだってハルヒは知ってるんだから、あいつが俺にプロポーズなんてこと、ありえないんだよ。
「え……でも……確かに昨日」
「お前、なんで今日、俺たちがあの時間にあそこにいるってわかったんだ?」
 古泉ははっとした顔で、少し考え込んだ。
「涼宮さんが……やっぱり池袋でプロポーズするなら、終電間際のサンシャイン60前なんてロマンチックよね、と……」
「……具体的すぎるとか思わなかったのか。なんでプロポーズする場所や時間まで、人にくわしく教える必要があるんだよ」
「い、言われてみれば……」
 もう、馬鹿というのもおこがましいかもしれん。
「俺もハルヒにあそこに引っ張っていかれて、なんだって終電ギリギリの時間に、あんなとこをウロウロしたがるのかとは思ったんだが……まぁ、ハルヒのすることだからって、あんまり深く考えなかったけどさ」
「つまり僕は……」
「あいつに、はめられたってことだな」
 とりあえず携帯を返せと言うと、古泉は呆然としたまま俺の愛機を渡してきた。電源を入れてみたら、ああやっぱり来てるな。
「古泉、ハルヒからメールだ」
 開いてみるとそこには、うまくいったかしら? いったんなら今度、飲み代全額あんた持ちで祝賀パーティーしてあげるから、覚悟しときなさい!≠ニ、実にハルヒらしいメールが届いていた。電源切られてることで、いろいろ察したんだろうな。ニヤニヤしてる顔が目に見えるようだぜ。
 古泉はそのメールを見てからあわてて自分の携帯を取り出し、やっぱり切ってたらしい電源をいれた。何やら操作をしてたと思うと、いきなり固まってディスプレイを凝視している。そして急にがっくりと肩を落とし、あげくに頭を抱えてしまった。どうしたんだ。
「…………」
 無言で差し出されたメールの画面には、やっぱりハルヒかららしきメールが表示されていた。
プロポーズはやっぱり、旦那様役からの方がいいかもね!
って……ハルヒ……。
「……あなた、一体どこまで彼女に話したんですか……」
 意気消沈といった様子で、古泉は恨みがましく俺を見る。俺は引き気味になりながら、あわてて自己弁護に走った。
「しょうがねえだろ! ものすっごい執拗さで尋問されたんだよ!」
 いやもう、とにかくしつこかった。あれじゃ、どんなふてぶてしい犯罪者だって、最後にはガキのころのオネショ歴すら余さず吐かされるに違いない。幸いだったのはまぁ、尋問場所が居酒屋の個室だったってことだ。不特定多数に、俺たちのアレやらコレやらがバレたってことだけはない。
「よくないですよっ! もう次からどんな顔で彼女に会えばいいか、わかんないじゃないですか……!」
「馬鹿野郎。全部吐かされた翌朝、ニマニマしながらあいつに、おはようキョンいい朝ね! なんて言われた俺の心境を考えてみろ。その場で遺書書こうかと思ったぞ」
「僕なら迷わず死を選んでいたかもしれません……」
 俺たちは、同時に深〜い溜息をついた。やれやれ。本当に、我らが団長には一生かなう気がしねぇぜ、まったく。

「……それで」
 一通り、落胆やら反省やらの思考をめぐらせきったあと、俺は顔をあげて隣の席の男に聞いた。しっかり確認しておかないと、またうやむやになりそうだからな。
「わかったのか、お前」
「はい? 何がです」
 うん、やっぱりちゃんと言わないとダメなようだ。まったく世話の焼ける。
「ハルヒが言った身代わり≠フ意味だ。誰の身代わりはまっぴらなのか……俺が本当につきあいたいのは誰かって話だよ」
 簡単な推理だろと言ってやると、まだ衝撃から立ち直ってなかったのか呆けていた古泉の顔に、だんだん理解の色が広がってきた。同時に浮かんだ表情はあれだな。とても信じられやしないぜってとこか。
「え、そんな、まさか……」
「まさかじゃねえって」
 まったく。こいつは本当に、あの頃の俺の気持ちに気がついてやがらなかったのか。そんなに俺、わかりにくかったか?
「お前が別れ話をしてきたとき、俺はすがりつくべきだったんだな。お前が好きだから、別れたくないんだってさ。……まぁ、ガキだったけどプライドだけはいっちょ前だったし、そんなこと言える性格なら、今だってこんなに苦労してないんだが」
 シートに座り直し、肩をすくめていつものポーズで首を振る。それでも黙り込んだままの運転席が気になって、再び首を振り向けて思わずぎょっとした。
「な、にを泣いてんだ……!」
「すいません……」
 古泉は子供みたいに涙をポロポロとこぼして、手の平でそれをぬぐっていた。やめろ。大の男にそんな風に泣かれちゃ、いたたまれねぇ。
「僕は、バカだったんだなぁと思って……」
「いまさら何を、わかりきったことを言っている」
「そんな、不思議なものを見るような顔で言わないでください。傷つきますっ」
 カチ、とシートベルトをはずす音がした。次の瞬間、すごい力で抱きしめられて、助手席の窓に思い切り後頭部がぶつかった。痛ぇと抗議しようと思ったが、すがりつくみたいに抱く腕の力につい、ほだされちまう。ああ、なんか久しぶりだな。
「まぁ、俺はお前のそういう馬鹿なとこも好きだからさ。……とりあえず、ハルヒに感謝しとこうぜ?」
「はい……」
 抱きしめる腕の力と髪の匂い、耳もとで囁く声。あの頃と変わってないそんなものたちをたちまち思い出した自分の感覚に苦笑しつつ、俺は古泉の顔をあげさせ、キスをした。
 数年ぶりに触れる唇の感触も、やっぱりなにひとつ変わっていなかった。



「風が涼しいですね」
「そうだな」
 全開にした窓から、朝の風が車内に吹きんでくる。
いささか強すぎるほどの風に髪を乱しながら、古泉はギアを切り替え、さらにアクセルを踏み込んだ。夜明けの色に染まり始めた高速道路の上を、少しずつ増えてきた車の間を縫うように追い抜いて、俺たちの乗る車は疾走する。東の空はそろそろ白みはじめて、瞬いていた星たちも姿を消す時分だ。
 多摩川を越える橋を渡りはじめたころ、俺は古泉が、カーステレオにあわせて鼻歌なんか歌っているのに気がついた。めずらしいな。
「そういえばこの曲って、なんだ? 聞き覚えはあるんだが」
 鼻歌を止め、古泉はこちらをちらりと見てから、ほんの少しだけボリュームを上げた。
「エアロスミスですよ」
「へぇ。……こういうの好きなのか。いままで、車でもお前んちでも聞いたことないけど」
「あは」
 なんでだか古泉はそこで、小さく笑う。照れ笑い? みたいだが。
「僕もこの系統のアルバムははじめて買いました。昨日、衝動買いしたんです」
「衝動買い?」
「誘拐≠ノ赴く前に、景気づけにね。……お店の方に、『花嫁を奪いに行くとき、あなたなら何を聞きますか』と言って選んでもらったんです」
 花……ってお前。
「誰が花嫁か」
「間違ってないでしょう? 涼宮さんいわく、僕が旦那様、らしいですから」
「開き直るな」
「もうこれは、プロポーズしろとのお達しですかねぇ」
「アホ抜かせ」
 つっこんでやりたいとこだが、運転中だからそうもいかん。古泉はヤケクソ気味に笑い声をたててからいったん口をつぐみ、今度は少し苦い笑みを浮かべた。
「……涼宮さんのいらっしゃる方角には、もう足を向けて寝られませんね」
「ん?」
 古泉はそのまま、困ったように笑っている。
 まぁ、わかる気はする。やったことはろくでもない悪戯みたいなもんだが、あいつはあいつなりに、俺たちのことを考えてくれたんだ。さんざん振り回されもしたが、高校時代あいつに逢えたことは、やっぱり幸運だったんだろうとは思う。
 古泉は俺がハルヒと幸せになる未来がどうたら言ってたし、その表情を見るに今でもわりと本気でそんなことを思ってそうだが……ま、俺には過ぎた女だったってことさ。
「いちいちハルヒのいる方向を確認してから布団敷くのかよ」
 わざとはずしたことを言い返してやれば、古泉はわかっているのかいないのか、ハンドルを握ったまま肩をすくめた。
「まぁ、心意気は。……そろそろ東京ですよ」
 橋を渡り終えれば、そこはもう東京だ。本格的に夜も明ける。
「ああ、そういや、どうするんだ?」
「なんですか?」
 高速を降りる方向にハンドルを切りながら、古泉は素で聞き返してきた。すっかり忘れてやがるな。まぁ、無理もないか。
「お前、夜が明けるまで帰さないって言ってただろう。つまり、明けたらちゃんと家まで送るつもりだって。――どうすんだ。送ってくれるのか」
「…………」
 古泉は黙ったまま、真面目な顔で俺に視線をよこした。俺はあえて何も言わず、古泉の反応をうかがう。さすがに、これで素直に家まで送るようじゃ、額に馬鹿と書いて博物館に寄贈するしかないんだが。
 そんな俺の思惑が通じたのかどうか。古泉は下道に合流してスピードをゆるめてから、にっこりと笑ってちゃんと答えてくれやがったさ。

「もちろん、帰らせるわけないじゃないですか。朝が来てもね。……ついでにもう二度と、離す気はありませんから、覚悟してくださいね?」

 うん。まぁまぁの答えだな。
正解ってことにしといてやるよ。



                                                   END
(2010.08.08 up)
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そしてもういっこ、B’zの「Crazy Rendezvous」でした。
リクエストしてくださった方が、どちらにするか迷ったという曲です。
久しぶりにアルバム引っ張り出して聞いてたら、ネタが降ってきたので書いてしまいました(笑)

悪戯のために隠してあったのを、表に出しました。