WILD LIFE
00
 明日から楽しい夏休み、というその日の団活で、ハルヒがいきなり「合宿に行くわよ!」
と言い出したのは、まぁ、予想の範囲内だった。
「なんの合宿だ」
「宿題強化合宿よ! あんたが去年みたいに、最終日までためこんだりしないようにね!」
 そりゃあありがたいな。去年の宿題に関しては、残しといたのが結果的によかったのか悪かったのか判断に苦しむところなんだがな。ループ的な意味で。
 なんてことを考えているうちに、古泉がいつものごとく様々な手配を鮮やかな手腕で済ませ、俺たちは夏休み開始早々に三泊四日の合宿、という名目のただのキャンプに出かけることになった。
 ハルヒたっての要望だとかで、今回の宿は山奥の湖畔にあるロッジだった。
管理人は別棟の管理棟にいるだけらしく、人里離れたそんな場所に高校生の男女が保護者もなしに泊まり込みなんてできるはずもない。どうするのかと思っていたら、今回はなぜか古泉の属する機関から多丸裕さんが保護者として参加してくれた。
古泉の親戚って触れ込みだから、まぁそれほど不自然ってわけでもないかな。
 ロッジに到着すると、古泉はさっそく建物の中を案内してまわった。
「寝室は一応2部屋ありますが、間仕切りが薄い板一枚なんです。仕切る必要のないときは、1部屋にして使えるようになっているので。ですから」
「別にあたしはかまわないわよ。キョン、こっちのぞいたら死刑だからね!」
「誰がのぞくか! っていうか、なんで俺だけに言うんだよ」
「古泉くんがそんなことするわけないじゃないの。バカねぇ」
 なんだそれは、差別ってもんじゃないかと抗議すると、ハルヒはムカつく仕草でわかってないわねと肩をすくめた。
「古泉くんは、あんたみたいに欲望まるだしのケダモノじゃないのよ。モテる男は余裕があるわよね! せめてあんたも、古泉くんの爪の垢でももらっといたら?」
 言いたい放題言いやがってから、ハルヒはじゃあ荷物の整理が終わったらリビングに集合ねと、間仕切りを閉めた。壁と化した板の向こうから、ハルヒのはしゃぐ声とさっそくいじられているらしい朝比奈さんの可愛らしい泣き声が聞こえてくる。
 めでたくケダモノではない認定を受けた副団長殿はといえば、困ったような笑顔を浮かべたままで俺の隣に突っ立っていた。
「ケダモノじゃないんだとよ」
「……何がおっしゃりたいんです?」
 ジロリと横目でにらんでやると、古泉は涼しい顔で俺を見下ろした。
「別に? 信頼があつくて、けっこうなことだよな」
「含みがありそうな言い方ですねぇ」
 ちなみに多丸さんは、設備を見てくると言って席をはずしている。二人きりなのを承知の上で、古泉は俺の肩に手をおいて、耳元に口を寄せてきた。近けえよ。
「残念ながら、さすがに今回は無理でしょうね。こんな薄い間仕切り1枚じゃ、丸聞こえですし」
「な、何がだ」
「そういえば多丸さんもここで一緒に寝るはずですし、声殺してもダメですよねぇ。残念です。せっかく、三晩も同じ部屋で過ごせるのに」
 だーーーーーーっ!! 何を言ってやがるんだ馬鹿野郎! 何が無理なんだ、何が丸聞こえなんだ、何が残念なんだって? 団長殿ーっ! ここにケダモノがいますよーっ!
「だから我慢するって言ってるじゃないですか。失礼ですね」
「あたりまえだっ!」
 そんなことを言いつつも心底残念そうな顔の変態エスパーを、俺はまだ手に持ったままの着替え入りカバンで思い切りどついてやった。



 まぁ、こんな会話からもおわかりのように、俺と古泉はそういった関係にある。
世間一般常識から鑑みれば少々はずれちゃいるが、いわゆる恋人同士、となって、もう半年以上。ハルヒ曰く“ケダモノじゃない”らしいこの男が、実はその爽やかな笑顔の下にどんな本性を隠しているか、自らの身体でもって知るようになってからもかなりの時間がたっている。
 そろそろ落ち着いてもいい頃なんじゃないかとも思うんだが、古泉は相変わらず三日と開けずに自分の部屋へと誘ってくるし、ちょっとでも人目につかない環境で二人きりになろうものならすぐ盛る。いい加減にしろこの節操なしと怒っても、その時は多少反省したようにしゅんとした顔を見せるものの、結局は元通りだ。
 それが三泊、同じ部屋で枕を並べる状態でいて、本当に大丈夫なのか? まぁ、ハルヒにだって機関にだってバレちゃ困るんだから、無茶はするまいが。

 ……などと思っていたのは、やっぱり甘かったらしい。
「大丈夫ですか? 顔が赤いですけど」
「だい……じょぶだ」
「のぼせたのでは? まったく、意地張ってお湯からでないから……」
「誰のせいだ誰のっ!」
 女子組が夕飯を作っている間、男子は邪魔だからお風呂にでも入ってきなさいと追い出され、予防線に多丸さんも誘って3人で共同の風呂に来た。
が、多丸さんが酒が入ってるからとろくに湯船に浸かりもせずさっさと上がって行っちまったのは、とんだ計算違いだったな。風呂には他に客もいなかったから、あっという間に古泉とふたりきりになった。
 背中を流して差し上げますよと下心を隠しもしない顔で言われて、素直に頼んだりすればどんなことになるかは火を見るより明らかだろ。だから俺は、いやいい遠慮すると言い張って、古泉が身体やら髪やらをやけにゆっくり洗ってる間湯船から出ようとせず、結果的にのぼせる寸前の状態でフラフラしているわけだ。
「そこで湯あたりで倒れでもしたら、結局同じ結果になるってわかってます?」
「のぼせてなどいない。平気だ」
 脱衣所にある洗面台で、冷たい水を頭からかぶって顔をあげると、目の前の鏡に古泉の姿が映っていた。鏡の中で目があった奴は、いつものように気障な仕草で肩をすくめて見せる。
「そんなに警戒なさらなくても、いきなり襲いかかったりはしませんよ?」
「されてたまるか!」
 お前の言い方は、冗談なんだか本気なんだかわかりづらいんだ。
笑いながら、先に戻ってますねと脱衣所を出て行く背中を見送って、俺は溜息をついた。

 そんな調子で、後から俺たちのロッジに戻るとすでに夕飯はできあがっていて、遅いわよっというハルヒの一喝に迎えられた。長風呂の自覚はあったのですまんすまんと謝りつつ席につき、女子チーム渾身のカレーをさっそくいただいた。
長門は知らんが、ハルヒと朝比奈さんの料理の腕前はかなりのものだ。誰が作ってもそれなりになりそうなカレーでさえ、どこか出来の違う文句なしの旨さだ。
 わいわいと食べている最中、ハルヒが急に全員を見渡して声を張り上げた。
「みんな! 合宿のあとの予定は? 出来る限りは遊ぶんだから、用事があるならちゃんと申告しなさい!」
 去年はたしか問答無用でひっぱりまわしやがったのに、どういう風の吹き回しなんだ。いやまぁ、わかってるさ。一応受験生である朝比奈さんのことを、ハルヒなりに考えてるんだろうよ。
「私は……8月中に2週間くらい、予備校の夏期講習にでます〜」
 案の定、朝比奈さんはスプーンでちまちまとカレーを食べながら、控えめにそう言った。
すでに2皿目を攻略中のハルヒは、ふんふんとうなずいて、隣でもはや何皿目かもわからないカレーを黙々と胃に収めている長門を見る。
「有希は?」
「特にない」
 そう言ってから、長門はちょっとだけ首をかしげた。
「……図書館に本を返却にいくことは、あるかもしれない」
「ふふ、有希らしいわねぇ。じゃあ、キョンと古泉くんは? 予定あるの?」
 キョンくんおかわりいかがですかと言ってくださった朝比奈さんのお言葉に甘えながら、俺はああ、あるぞとうなずいた。
「この合宿から帰ったらその足で、毎年恒例の田舎の祖母ちゃんちだ。妹がものすごく楽しみにしてるんでな、1週間くらい行ってくる」
「ええ〜? 帰ってすぐなんですかぁ? 忙しそう」
 おかわりをよそった皿を差し出しつつ、朝比奈さんが目を丸くする。キョンくん大変そう、と心配してくれるその横から、ハルヒがカレーの攻略を途中で止めて、めずらしく気遣うような顔でこっちを見た。
「あら、じゃあ今って、あんたの家族を待たせちゃってるの? 合宿が終わるまで」
「いや、どっちにしろその日じゃないとオヤジの休みがとれなかったんだ。まぁ、少々忙しいのは確かだが、田舎いきゃガキどもの面倒みて一日が終わるからな。この合宿で宿題を終わらせられるのは正直助かる」
「そう? それならよかったわ」
 ほっとしたようなハルヒの表情に、こいつもいつもこんななら可愛いのに、と苦笑する。その笑いの意味に気づいたのか、すぐにまたいつものムッとした顔に戻っちまったけどな。
「古泉くんは? 帰省とかするの?」
 質問が最後の団員・古泉に向けられると、奴は上品に口元をティッシュでぬぐってから、いつも通りのそつのない笑顔で、いいえと首を振った。
 どうでもいいが、なんでお前は俺といるときとカレーの食い方すら違うんだ。いつもはスプーンを子供みたいに握って、結構ガツガツ食ってんじゃねえか。まったく器用な奴だな。
「両親とも海外に住んでいるので、気軽に会いにいくわけにもいきません。僕も特に予定はありませんから、ご用命があればなんなりと」
 一樹くん、よければ遊びにきなよと、古泉の隣から多丸さんが声をかける。そういえば、あの孤島の持ち主の弟って設定なんだよなとあらためて思い出した。
 孤島合宿のときはまだ、古泉とは普通に友達づきあいだった。慣れない酒飲んで潰れて、同室だったこいつにだいぶ迷惑かけたっけ。一度、こういう関係になってからそのときのことを謝ってみたら、迷惑というか、あのときは自分の理性との戦いに苦しみましたと白状された。
 そのときすでに俺のことを好きだったらしい古泉は、酔っぱらってでろでろな状態の俺をどうにかしたい欲望と戦ってたんだそうだ。だってやけに色っぽかったんですよ、とか言われたが、自分ではわからん。そんなもん。
 あのときと今と、対して条件は変わらんぞ古泉。女子部屋との仕切りが薄かったり、同室に俺たち以外の人間がいたりと、かえって条件が厳しいくらいだ。
それなのに我慢がきかないって、どうなんだ。ちょっと、いろいろ緩みすぎなんじゃないのか。エージェント失格だな。



 そんなこんなで、賑やかに合宿1日目の夜は更けた。男子組と女子組がそれぞれの部屋に引っ込み、なにやらはしゃぐ声が聞こえていた女子部屋も静かになった。
俺たちも明かりを消してそれぞれのベッドにもぐり込んで数時間。
 夜中、何かの気配を感じて、ふいに目が醒めた。
なんだと思って寝返りをうったら、目の前に覆い被さるように人の顔があったからびっくりした。ホラーかよ。
「おっ……どかすんじゃねえよ、古泉」
「すみません……」
 静まりかえった部屋の中で、一体いつからそうしていたのか、隣のベッドに寝ていたはずの古泉は俺の身体の両脇に手をついて、上から俺を見下ろしていた。
「なにしてんだ……寝ろよ、ちゃんと」
 多丸さんを起こさないように、ささやくくらいの声でそう言ってやる。だが、薄闇の中に浮かび上がる古泉の顔は、なんだか不満そうだった。
「キスのひとつくらい、させてくださってもいいじゃないですか」
「馬鹿。バレたらどうする気だ。すぐそこに多丸さんが寝てるんだからな」
「だったら、ちょっと抜け出しませんか? 湖でも見にいきましょうよ」
 ね? と笑う鼻先を、指先で軽くはじく。痛っ、と小さく悲鳴をあげて、古泉は身体を起こして鼻を押さえた。
「酷いです〜」
「我慢するって言ってただろうが。自重しろ」
「だって……」
 鼻を押さえたままの涙目で、古泉は俺を見る。寝る前までの優等生口調は一体どこに行ったんだと家捜ししたくなるような声を出しつつ、古泉は口をとがらせた。もう完全に駄々っ子モードだな。
「だってあなた、この合宿が終わったら、そのままご家族で田舎のお祖母様のところに行ってしまわれるんでしょう? 1週間も。そんなに我慢できません」
「だからって、この環境じゃどうしようもないだろうが」
「僕はもうこの際、そのへんの草むらだろうがトイレの個室だろうがかまいませんっ」
「落ち着け」
 拗ねた子供みたいな表情だが、言ってることはとんでもないな。
「まったく、普段は世界がどうのって必要以上に慎重なくせに、なんなんだ」
「あなたが無防備なのがいけないんですよ! 人が必死に押さえてるのに、お風呂でのぼせてぼーっとしてたり、食器洗いで水かぶってシャツ透けさせたり、すぐ隣のベッドで可愛い寝息たてたり……」
 って待て待て。今、あきらかに不可抗力の項目がはいってたぞ。
「皿洗いのときは、洗い場で足滑らせたんだからしょうがねぇだろ! あと寝息にまで責任が持てるか」
「それに夕飯のとき、なんだか涼宮さんのこと見つめてたじゃないですか。すっごく優しい顔で。僕にはあんな顔、めったに見せてくれないのに!」
「馬鹿、声でけえ!」
 あわてて古泉の口を手でふさぎ、向かいのベッドと隣の部屋の様子をうかがう。
幸い、誰も目をさましはしなかったようだ。
「う〜……」
 内心のいろんな葛藤をダダもれにさせつつしばらくうなっていた古泉は、やがて悲壮な顔でわかりましたと溜息をついた。
「じゃあ、キスだけで我慢します。舌とか、入れない奴でいいですから」
「だからダメだって!」
 それだけでも許可したら、歯止めが効かなくなるに決まってるだろうが!
「いいじゃないですかキスくらい〜」
「話が振り出しに戻ってんぞ」
 顔を寄せてくる古泉の顔をぐいぐいと押し返し、しまいには足まで使って、あきらめない変態エスパーを引き離しにかかる。
「大体お前は、いつもいつも盛り過ぎなんだ!」
「そんなことないですよ。普通です」
「ふざけんな、どこがだ。いい機会だからな。あと2日! このロッジ内で手ぇ出してみろ。残りの夏休み中、指一本だって触らせてやらんからそう思え」
 そう宣言してやったら、古泉はこの世の終わりみたいな顔をしやがった。
まぁ、夏休み中禁欲なんて俺自身が持つわけがないが、これくらいは言っておかないとブレーキが利かなそうだからな。
「……わかりましたよ、もう」
 しょんぼりと肩を落として、古泉は自分のベッドに戻っていった。ごそごそと布団にもぐり込む姿がなんだか可哀想に思えてきちまったが、いかんいかん。甘い顔を見せちゃダメだ。
 ちなみに俺たちのひそかな攻防の間、多丸さんは結局、目を覚ます気配もなかった。
けっこう酔ってたみたいだからな。まぁ、よかった。
 ……こんなにぐっすり眠ってるなら、確かにキスくらいならできたかな、なんて思ったのは、古泉には内緒だ。



 そんなことがあった翌日、合宿2日目。
目を覚ますとすでに古泉の姿はなくて、大欠伸しつつトイレに行ったら洗面所で顔をあわせた。すでに完璧に身支度をすませた古泉は、昨夜の醜態などかけらも見せずに、さわやかな笑顔でおはようございます、と来た。
「ああ……おはよ」
「今日は、午前中は夏休みの課題をみっちりやるそうですよ。予定通りに進められたら、午後は湖で遊ぶんだそうです。がんばりましょう」
 それでは後ほど、と言って、古泉はリビングの方へと去っていった。
いっそ見事なポーカーフェイスだな。昨夜のアレが夢かと思うくらいだ。まぁ、夜中のテンションってのは、朝になると妙に気恥ずかしいもんだよな。

 朝メシを食ってから取りかかった俺の課題は、主にハルヒと古泉のおかげでわりとさくさくと進んだ。なので午後も予定通り、水着に着替えて全員で湖に繰り出すことになった。
着替えのときも水辺で戯れているときも、古泉の言動に危うい部分はない。常時、いつも通りの営業スマイルで、約束通り過剰に接近することすらない。
 やっと自重しやがったかとホッとしつつ、だがまぁ、なんとなく拍子抜けしたのも事実だ。
意地になってるのかもしれんが、こんだけ押さえが利くなら、最初からそうしてりゃいいのに。ゆうべの切羽詰まった様子はなんだったんだ。
「おっと……」
 上の空だったせいで大きめの石を踏んで、水際で転びそうになった。すかさず後ろから手が伸びてきて、腰をガシリと支えられる。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。サンキュ、古泉」
「そのあたりの石、濡れて滑りやすくなってますから、気を付けてくださいね」
 腰にまわされていた手は、未練も残さず離れていく。ハルヒに呼ばれてさっさと踵を返す後ろ姿を、俺はなんとなく面白くない気持ちで眺めた。
「……やれば出来るんじゃねえか。バーカ」
 実際、そのあとロッジに戻って全員で夕飯を作って食べ、男女ごとに風呂に行ったり、リビングで課題の続きをして休憩時間にゲームをして、なんてはしゃいでいる間も、古泉はずっと優等生モードを崩さなかった。
 飲んでなくてもカラスの行水だった多丸さんが上がったあとの風呂でだって、たまたまトイレで鉢合わせたときだって、罰ゲームで管理棟の売店にジュースと菓子の買い出しに行かされたときだって、ふたりきりと言えばふたりきりだったのに、こいつは終始、まるで他の連中に接するのと同じような態度を貫きやがった。もちろんベッドに入ったあとも、昨夜みたいに駄々をこねてくるようなこともなく、俺に背を向ける格好で寝息をたてている。
まぁ、そうしろっつったのは俺だしな。
いいんだよ、それで。うん。
「はぁ……寝るか」
 自分でも、言ってることと思ってることが矛盾してるのはわかってる。
人のこと言えねぇな、俺も。
だけど、古泉が約束守って我慢してるってのに、俺が流されちゃダメだろ。自重自重。
俺はぶるぶると頭を振ってから古泉側に背を向け、布団を頭からかぶって目を瞑った。



 合宿スケジュールは順調に消化され、ついに3日目の最終日となった。
順調……とは言っても、案の定課題の方は全部は終わらなかった。去年、ほぼ1日でやったあの最終日と違って切羽詰まってないってこともあるし、やっぱり5人(+1人)でいるとついつい遊んじまう。
しかしまぁそれでも、数学とかのやっかいなやつが片付いたのは、充分にありがたい。
 そんなこんなで最終日の夕飯は、みんなで打ち上げをかねてバーベキューをすることとなり、昼過ぎ頃から全員で準備をはじめたのだが。
「あらっ? なんでお肉がこんなとこに出てるの?」
「どうしたハルヒ」
 初日に買って冷蔵庫に入れてあった材料をそろえていたハルヒが、急に声をあげた。
どうかしたのかと声をかければ、振り返って眉を寄せ、困り顔だ。
「バーベキュー用のお肉、冷凍しといたのを冷蔵庫に移したはずなのにテーブルに出てたのよ。あーあ、これもうダメね。傷んじゃってる」
 手に持っているのは、どうせ大人数だからと選んだ業務用のでかいパックがいくつか。
この陽気で、肉はすでにどろどろの状態で、無残に変色している。臭いもやばそうだ。
「誰かが、解凍しきれなさそうだと思って、気を利かせて出したんじゃないか?」
「そうかもね」
ハルヒはしばらく考えていたようだが、やがて他に道はないと思い至ったようだ。
「少しは残ってるけど、これじゃ足りないわ。キョン、悪いけど買い出しに行って来てくれない? 麓まで降りないとダメだけど、多丸さんに車出してもらって」
「ああ、いいぜ。まだ夕飯には間があるしな」
 肉が少ないと、長門が拗ねそうだし。
 ついでにあれもこれもと言われてメモを作ってから、多丸さんを探す。ロッジの前で見つけ出すことは出来たが、車を出してくれるよう頼んだら、ゴメンゴメンと頭を掻きながら謝られた。
「さっき、昼ご飯のときにビール飲んじゃったんだよねぇ。飲酒運転はまずいから、ごめんよ」
 まぁ、そういうことなら仕方ない。時間はかかるが歩けない距離じゃないはずだ。
日々、あの坂道で鍛えた健脚の力を、今こそ発揮するときが来たな!
 出かけようとしたところで、古泉と遭遇した。買い出しだと言ったら、それはご苦労様ですとうなずき、それから奴は首を傾げた。
「僕、ご一緒しましょうか? お一人じゃ荷物大変でしょう」
「ああ、そうだな。頼む」
 どうせ、料理の準備でお前が出来ることなんて、ろくにないしな。
「その通りですが酷いですね」
 苦笑する古泉を行くぞとうながして、俺たちは連れだって山道を降りていった。
そういえば二人きりなんじゃないかこれ、と、ちらりと思ったが、古泉は並んだ俺との間に常に30cmくらいの距離をあけ続けた。いわゆる、友人同士の距離ってやつだな。
 誰も見てないってのに、律儀な奴だよ、ホントに。



「……っ、ひどくなってきたな!」
「足下、気を付けて下さいね!」
 無事に買い出しをすませた帰り道。
古泉がのんびり本屋なんか見てまわったせいで遅くなっちまった俺たちは、途中でいきなりの雨に遭遇した。
 すでに山道に入っていたので雨宿りする場所もなく、しかも雨足はどんどんひどくなって前もろくに見えない。
「山の天気は変わりやすいっていうが……ああもう、天気予報くらい聞いとくんだった!」
 先導する古泉の背中を必死で追う。実は俺としては道すらおぼつかなかったんだが、古泉の足取りは迷いがなかったから、大丈夫とふんで案内はまかせた。だから、ふいに古泉が立ち止まってあれ? なんて首を傾げたときはどうしたのかと思った。
「おかしいな。どこで間違えたんだろう」
「道か?」
 濡れた前髪を掻きあげながら古泉が振り返る。
「はい。あんな小屋、来るときにはなかったですよね」
 指さす先に見えているのは、丸太でつくられてるみたいなしっかりした作りの小屋だ。
窓はあるが、中から明かりがもれてないところを見ると無人だな。
古泉は小屋に近づくと、ドアをノックしてからノブに手をかけた。
「あ、開いてますよ。ちょうどいいから雨宿りさせてもらいましょう」
 一体なんの建物なのかわからないのは不安だが、雨はまだやむ気配もないし、道も見失っている現状からすると背に腹は代えられん。俺はさっさと中に入っていった古泉のあとを追って、小屋に足を踏み入れた。
「ああ……警備のための詰め所のようですね。この先に別荘地でもあるんでしょう」
 部屋の中を探っていた古泉が、日誌のようなものを見つけてそう言った。今日は、誰もいないのか?
「みたいですね。別荘に来ている方がいないんじゃないでしょうか」
 そういいつつ古泉は、棚をあさってタオルを見つけ出し、俺に投げてきた。
「いいのか、勝手に使って」
「あとでおわびしておきますよ。ご心配なく」
 まぁ、ここまできたら毒食らわばってやつだな。俺は濡れたTシャツを脱いで、上半身と髪をタオルで拭いた。これくらいで風邪をひくような季節じゃないのが救いだな。しっかし……下着までびっしょりで、かなり気持ち悪いぞ。早く戻って着替えたいぜ。
「大丈夫ですよ。涼宮さんがバーベキューを楽しみにしていましたからね。あと2,3時間。夕飯の時間までには上がるでしょう」
 デスクと椅子があるだけのせまい部屋の奥にあった扉を開けながら、古泉は言った。
まぁ、そうだろう。まったくハルヒ様々だ。
 が、それにしても暗いな。空に分厚く垂れ込める雨雲のおかげで、まだ夕方だってのに、部屋の中は文字も読めないほど薄暗い。この設備なら、電気くらいはちゃんと通ってそうだが……。
「古泉、明かりつかないのか?」
「ブレーカーが落ちてるみたいです。配電盤はどこかな」
 窓を見れば外からたたきつける雨で、ガラスの表面を滝のように雨水が幾筋も流れを作っていた。遠くから雷鳴すら聞こえてる気がするが、まさか停電か?
 そう思ったとき、古泉が俺を呼んだ。いつの間にか奴は、隣の部屋の中へと踏み込んでいた。
「おい、勝手に入っちゃ……」
「ランプがありますよ。どうやらこちらは仮眠室のようです」
 入り口からのぞき込んだ部屋には、確かに簡素なベッドが一台置いてあった。
そこに腰掛けた古泉は、サイドテーブルに乗っている古風な感じのランプをしきりにいじっている。おとぎ話とかに出てきそうなデザインだな。まさか本物か?
「形はランタン風ですが、動力は電池みたいですよ」
 ちょいちょい、と手招かれ、俺は一瞬躊躇した。
小屋の中に2人きり。しかも傍らにベッド。そりゃ警戒心だってわくってもんだろ。
「あ、点いた」
 ぽうっと、古泉の手の中にオレンジの明かりが灯る。ほら、と振り返った古泉は、わりと明るいですねとごく普通の態度だ。
「申し訳ないですけどここの毛布をお借りして、くるまっていましょう。あなたが風邪をひいては大変ですから」
 ベッドに上がって毛布をごそごそと引き寄せている古泉の姿に、俺は考えすぎかと反省した。そんな不埒なことより、今は俺の身体の心配をしてくれてるんだな。俺との約束をちゃんと守ろうとしてるのはわかってるし、疑って悪かった。
大体、いくら今は2人きりとはいえ、ここはいつ警備の人とやらがやってくるかわからない場所だ。わりとTPOかまわずに盛るやつだが、さすがにそのくらいは考えるだろう。
「こちらへどうぞ」
 ぽんぽん、とベッドに腰掛けた隣をたたいて示す。俺は肩をすくめて溜息をつくと、部屋の中に足を踏み入れ、そこに腰掛けた。が、そこではたと気がつく。
やべ。短パンもびっしょりだから、布団が濡れるぞこれ。
「古泉、このままじゃシーツが濡れちまう。毛布だけ借りて床に……」
言いながら、隣の古泉を振り返る。
 と、ふいに古泉と目があって、俺は絶句した。
なんだ? なんかぞっとしたぞ、今。
薄闇の中に浮かび上がる古泉の瞳に、ランプの光が反射する。
腿のあたりに肘をおいて、組んだ両手で顎を支える姿勢で、古泉は俺を見ている。
訳もなく心臓が大きく脈打った。
「古泉……?」
「かまいませんよ、シーツなんて。今から、ぐちゃぐちゃになる予定ですし」
「へ?」
 にっこりと、古泉はいかにも楽しそうな笑顔をみせた。
「大丈夫です。後ほどこちらの管理局に連絡して、機関から新品のタオルとシーツを届けさせますから」
「な…………っ!」
 次の瞬間、俺はいきなりベッドに押し倒され、肩をがっしりと押さえつけられていた。
見上げる視界に、古泉の顔が見える。ランプのほのかな灯りを背負い、陰影の中に沈む表情はやけに満足そうだ。
「……っにをしやがる!」
「言うんですか? もちろんセッ……」
「うわ、いい! 言わなくていいっ!」
 そりゃ、この成り行きならそうだろうよ。だけど、ここがどこだかわかってんのかお前!
「もちろん。ここならロッジ内ではないですから、あの約束は適用されませんよね?」
「あ? ああ、あのロッジ内で手を出したらってやつか。いやまぁ、そうだがそういう意味じゃない。こんなとこじゃ、いつ誰が来るかわからんだろうが!」
 俺の制止をものともせず、古泉の舌が耳を舐め、耳たぶを甘く噛む。
つい反応してしまうのを必死にこらえつつ押し返そうとする俺に、古泉はしれっと言った。

「ああ。今日、こちらの警備詰め所を使用する予定がないことは、ちゃんと確認済みですよ。ご心配なく」

「………………は?」
 今、なんかおかしなことを聞いたような……。
確認済み? 確認済みってなんだよ。俺たちはここに、雨に降られて道に迷って、偶然たどりついたんじゃなかったのか?
 そんな疑問が浮かんでいるだろう俺の顔を、古泉は何も言わずに、にこにこと微笑みながら見下ろしている。まさか……。
「……お前、もしやわざと迷って」
 いや。事前にここの使用状況まで調べてた手回しのよさから察するに、それどころか、肉を冷蔵庫から出してダメにしたのも、田丸さんに運転できないようビールを飲ませたのも、帰りに雨に降られたのさえも……。
「いやぁ。買いかぶっていただけるのは光栄ですが、さすがの僕でも、雨を降らせるのは無理ですよ。涼宮さんじゃあるまいし。でもまぁ、夕立の可能性は天気予報を聞いて知ってましたし、わざと帰り時間を遅らせて予報の時間にあわせるくらいはしましたけど」
「てことは、他の工作については否定しないんだな?」
「はい♪」
 はい♪じゃねえよ!
 我慢してるんだなとか、律儀だなとか、疑って悪かったなだとか、そのへんの俺の感動を返せ! 返しやがれ! 手の込んだことしやがって、その無駄な行動力は一体どこからわいてくるんだ!
「愛の力は無限大ですっ」
「アホーーーーーーっ! っあ、こら触んな! 舐めるな! 脱がすなーっ!」
「この雨が上がるまでが、僕らに許されたフリータイムです。さ、あなたが田舎にいってらっしゃる1週間分、まとめてしておきましょう!」
「ふざけんな、壊れるわ馬鹿野郎ーーーーっ!」



 それから2時間後。古泉の言ったとおり、バーベキューの開始に間に合うように、雨はやんだ。連絡はしてあったらしく、買った物を持ってロッジに帰ると、ハルヒに災難だったわねといたわりの言葉をいただいた。
 ああ、まったくだよ。
「あんた、何へんな歩き方してんの。腰どうかしたの?」
 酷使させられすぎてだるいんだ、なんて言えるわけもなく、俺は山道で降られて走ったとき、転んで打ったのだと言い訳した。
 バカねぇとあきれたようなハルヒの横で、節操なしの盛りすぎ超能力者が俺を見ながらニヤニヤと笑っている。団長殿ーっ、そこにケダモノがいますよーっ。
 ちくしょう憶えてろよ、と心の中で悪態をつきつつ、俺は生乾きの服を着替えるために、よろよろと部屋へと向かうのだった。

 ほんっとに、憶えてやがれよ。
ケダモノめ!


                                                   END
(2010.07.11 up)
BACK  TOP  NEXT

リクエスト「迂闊なキョンと周到な古泉」でした。
どのへんからどうやって準備整えたのやら、古泉ってば優秀すぎですね!(笑)