花鎮め
00
 桜なんて、大嫌いだ。

 ある日突然咲き出して、ほんの短い間に狂ったように咲き乱れて、あっという間に散っていく。地面に落ちた花びらは、濡れて踏まれてゴミと同じ。
 まるで、僕みたいだ。

 僕はただの、ごく普通の中学生だったのに。
地元の中学に入学してほんの半年、初夏のある夜、いきなり世界が激変した。
ある1人の少女の不満が生み出した、灰色の空間。閉鎖空間。
そこで暴れる少女のフラストレーションの具現。神人。
僕の身には、そいつを倒すための力が宿り、毎晩のようにそこに呼びだされる。
灰色の空の下を飛び回り、神人が振り回す腕や降ってくる瓦礫をかいくぐり、その身体を切り刻む。

最初は恐怖ばかりだった。
怖くて怖くて、足がすくんだ。
慣れてからも、スーパーヒーローになったかのような錯覚はほんの一時。
あとはただ、慢性的な疲労と寝不足に、空しさを募らせるだけ。
倒しても倒しても、キリなく毎晩生み出される少女の不満と戦う毎日にはもう、うんざりだ。

 僕の力はある日突然桜のように開花して、短い間に狂ったように咲き乱れて、そしてある日、あの青い腕にか、降ってくる瓦礫にか押しつぶされて、あっという間に散るんだろう。地面に落ちた僕の身体は、濡れて踏まれてゴミと同じ。
 だったらいっそ、早く終わってしまえばいい。
 たった1人の少女の機嫌に脅かされる世界なんて、早く壊れてしまえばいいのに。

 風に舞い降りる桜の花びらを見上げて、僕はそこに立ちすくむ。
閉鎖空間からの帰り道、夜の闇の中に佇むのは僕1人。
どうせ急いで帰ったって、機関の寮の僕の部屋は1人部屋だ。誰も待ってる人はいない。
この力を得てから、僕はいつだって独りぼっちだ。
 ごう、と風が巻いた。花びらが風と一緒に渦を描く。乱れた髪を乱暴にかき上げたとき、背後でジャリ、と砂が鳴った。

「よう。どうした坊主」

 ふいに、声がした。
反射的に、逃げなきゃと考える。こんな夜中に中学生が1人、制服姿でうろついていれば、家出やその他と間違われることもしょっちゅうだ。
「逃げなくていい。俺は警官でも、お節介な善意の大人でもない」
 そっけないのに妙に気の引かれる声だ。
 逃げようとした足を止めて振り返った先にいたのは、パーカーのポケットに両手を突っ込み、だるそうに立っている男だった。年齢は僕よりだいぶ上、高校生でもなく、成人しているかいないかくらい。短い前髪の下の瞳が、やけに親しげに僕を見ていた。
「こんな時間に1人で花見か? 風流だな」
 彼はポケットから両手を出さないまま、歩道に並ぶ桜を見上げた。散っていく花びらに眼を細め、花吹雪だななんてつぶやく。
「別に。桜なんて大嫌いだし」
「へぇ?」
 ゆっくりと僕に近づいてきた彼は、ジュースをおごってやるよと言って自販機の方に僕を促した。別に飲みたかったわけじゃないけど、僕はなんとなく彼についていった。
「コーヒーで……いや、何がいい?」
 なぜか当たり前のようにコーヒーを買おうとした手を止めて、彼が僕に尋ねてくる。僕は無言であたたかいミルクティーを指さした。
「そうか」
 買ってもらったミルクティーの缶を両手で抱え、ベンチに並んで腰をおろす。そこからはちょうど、はらはらと散り急ぐ桜並木の桜たちが眺められた。

 彼は何も言わなかった。
ただじっと黙ったまま、風にざわめく桜を眺めている。
甘いミルクティーをちびちびと飲みながら、僕はおかしな感覚を覚えていた。
 不思議だった。
見も知らぬ、初めて会った人なのに、なんだか心が安らぐ。
そこにいてくれるだけで妙にあたたかくて、ささくれた気持ちがなだめられていく気がした。
この人は、誰なんだろう?

「……桜が、嫌いなのか?」
 缶の中身が残りわずかになったころ、彼がようやく口を開いた。見上げると、視線は相変わらず桜並木の方を向いている。
「嫌いだよ」
「なんでだ?」
「僕に似てるから」
 足下で泥まみれになっている花びらを靴の先で蹴り上げながら、そう吐き捨てる。意味は伝わらないかもしれないけど、別にかまわない。
「俺の知ってる奴も、昔、似たようなことを言ってたな」
「知り合い?」
「ああ。知り合いっていうか……同居人だ」
 彼女かな、と思いながら、僕は彼の横顔を見つめた。
「子供の頃は、桜が大嫌いでしたよっていうから、なんでだって聞いてみたんだ。そしたら、自分に似てると思ってたからだって。男のくせに自分を花に例えるってどうなんだって思ったけど、まぁそれが似合う奴だからな」
 お前もやっぱり似合ってるぞ、とついでのようにつけくわえて、彼は少し笑った。
「ある日いきなり花開いて、散り急ぐみたいに咲く姿が似てると思ってたそうだ。その姿があんまりにも刹那的でいろいろ思い知らされてる気がして、見るのが嫌だったんだと」
 ああ……僕と同じだ。その人にも何か、事情があったんだろうか。僕ほど特殊ではないにせよ。
「だから俺は、今は嫌いじゃないのかって聞いてみた。そしたら、ある人に言われたことで、それほど嫌いじゃなくなりましたってさ」
「何を言われたの?」
「教えてくれなかったんだ、それが」
 もったいぶりやがって、なぁ? と、僕に同意をもとめられても困る。
そんな気持ちが顔に出てたのか、彼はまた笑って、僕の頭をぽんぽんと叩いた。やめてよと振り払うと、何が面白かったのか彼はさらに笑った。
「……あんたはどうなの?」
「ん?」
「桜。好き?」
「同じこと聞くんだな。そうだな、俺は好きだ」
「どうして?」
 やっぱり同じこと聞きやがる、とつぶやいて、彼は上空を見上げた。
「聞かれたんだ。なんて答えたの」

「んー……お前に似てるから、って言ったな」

 彼は首ごと空を見たまま、一向にこっちを見ない。照れくさい、と思ってるのがわかったから、僕はそのまま黙って続きを聞いた。
「花鎮祭(はなしずめのまつり)って知ってるか。桜の花が散る頃に神社なんかで執り行われる神事でな、すごく昔から伝わってる祭りだ」
 昔、ちょうど桜の散り始める今頃は、気候とかいろいろな原因が重なって、病気が流行り死人が増えた時期だったらしい、と彼は言う。
「昔はそういうのはみんな鬼や悪霊の仕業だったから、桜が散ったせいで暴れるそいつらを鎮めるために行われてた祭りだったんだな。それが花鎮祭。……なんで桜が散るせいだと思われてたのか、わかるか?」
 僕はふるふると首を振った。彼は少しだけ僕の方を向いて笑う。なんだかすごく、胸に迫る笑顔だった。
「桜には霊力が宿るとされてたからだよ。だから、桜が咲いている間は、人々は守られているって考えられてたんだ。悪霊とか病気とか……世界の崩壊とかからな」
 急に、鼻の奥がツンとした。じわりと目尻に熱い何かがこみあげる。僕はあわてて下を向いて、何それ、わかんないよとつぶやいた。
「そうか?」
 涙がこぼれそうになって、僕は顔が上げられなかった。そんな僕の頭を、彼がまたぽんぽんとたたき、髪をぐしゃぐしゃとかきまぜる。なんだか気持ちよくて、僕はやめてと言えなかった。

「さて、タイムリミットだな。俺はそろそろ帰らにゃならん」
 しばらくしてから、彼はそう言って立ち上がった。
はっと顔を上げると、彼は腰をまげて僕をのぞき込み、もう一度僕の頭に手を置いた。
「今、お前はつらいのかもしれん。でももうちょっとがんばれ。高校生になれば、いろいろ変わる。お前はきっと、大切に思う人……たち、に会えるし、それなりに楽しい毎日を送れるようになるはずだからさ」
 じゃあな、と手を振って、彼は去っていく。
桜吹雪の向こうに消えていく彼の背に僕は、また会える? と声を投げてみた。
「ああ、もちろんだ。また会おうぜ、古泉」
 彼の名前を聞き損ねた、と思い出したのは、彼の姿がとっくに見えなくなってからだった。



 そういえば、どうして僕の名前を知ってたのか、疑問に思わなかったなあのときは。
毎年、桜を見るたびに思い出すあの出来事を、また脳裏によみがえらせながらそう思う。
「場所取りはいいが、退屈だな」
 レジャーシートの上にあぐらをかき、彼は僕の隣であくびまじりにそうぼやいた。
 彼と過ごす3年目の春。日曜日の本日は、SOS団のみんなで花見をするための場所取りを、彼とふたりで仰せつかった。
「いいじゃないですか。こんなのんびりした日曜も」
「まぁ、朝比奈さんの花見弁当が食えるんだから、ここはよしとするか」
「そうですね。それに」
 僕はこちらを見ている人がいないのを確認して、シートに置いている彼の手を軽く握った。
「あなたとふたりきりで過ごせる時間は、悪くありません」
「……馬鹿野郎。離せよ、こんなとこで」
 あとでな、と小さくつぶやいてそっぽを向く彼の横顔に、あのときの彼の面影が重なった。
 高校生になり、約束通りに再会した彼には、中学生の僕と出会った記憶はまだない。桜吹雪の中で話した彼は今の僕らより少し年上だったから、きっとあの彼は今よりもさらに未来の彼なのだろう。
 あのことがあったあと、僕は周囲がびっくりするほど変わったらしい。
自覚はあまりなかったけれど、森さんは今でも、あんなにやさぐれたままだったらどうしようと思ってたのよ、よかったわと言うことがある。周りの大人たちは、僕のことをすごく心配していてくれたのだ。子供だった僕には、そんなことまるでわかっていなかったけれど。
 思い返すと恥ずかしくて仕方ないが、それでもその記憶は、いつでも僕の心をあたためてくれる。
「綺麗だな、桜」
「そうですねぇ。……でも僕、子供の頃は大嫌いでしたよ、桜」
「そうなのか? なんでだよ」
 思いついて言ってみたら、聞いていたとおりの反応が返ってきた。
「自分に似てるから、でしょうか」
「おま、男のくせに自分を花に例えるとか……まぁいい。どこが似てるんだって?」
 そんなあきれた顔をしながら、実は似合ってるからいいとか思っていてくれたわけですね。そう思いつつ、僕は不思議とよく憶えている、あのとき彼が教えてくれた言葉を繰り返した。散り急ぐ花は、刹那的すぎて見るのが嫌だと。
「ふぅん……」
 彼は何を考えているのかじっと僕を見つめ、やがて今はどうなんだと尋ねてきた。
「そうですね。ある人に言われたことがあって……それ以来、それほど嫌いではなくなりました」
「ほう。何を言われたんだ?」
「ふふっ、内緒です」
 人差し指を唇に当てて片目を瞑ってみせると、彼は眉をしかめて、お前キモイと暴言を吐いてくれた。失礼ですねぇ。
「あなたは、どうなんです?」
「ん?」
「桜です。お好きなんですか?」
 実は答えは知っているんですけどね、なんてことを思いつつ、つい確かめたくて、僕はそう問い返した。
「ああ……そうだな。好きだぞ」
「ほう、それは何故ですか?」
 次に彼が言った言葉を聞いて、僕はあのときの彼が、小さな嘘をついたことを知った。
これはぜひ、あの彼と時間が重なる日が来たら、問い詰めてみなければなるまい。
僕はそんなことを考えて、1人ほくそ笑むことになった。

 どうして、と理由を聞かれた彼は、赤く染まった顔をぷいと背け、ぼそりと答えたのだ。
「……内緒だ。バーカ」


                                                   END
(2010.04.18 up)
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ちょっと出遅れましたが桜と中学生の古泉話。
ありがちなネタだけど、書きたかったんですよぅ。

大人キョンはたぶん大学生くらい。