ベッドサイドの灯りだけが照らす闇の中、古泉はハルヒが考えたこと、とやらをトウトウと話す。つまりそれが事件の真相、ってことらしい。
部屋の中にいるのは俺と古泉のみ。ハルヒたち女子は全員、女子部屋に篭っちまったからだ。
ふたつのベッドに向かいあって座って、話し合う男ふたりって構図は、客観的に見たらかなりキモイんだろうな。しかもなんか、顔近いし。
だがそのときの俺は古泉の話す推理に気を取られて、そんなことは意識の外だった。
「桂一さんの胸にナイフが押し込まれたのは、そのときですよ」
「!」
ドアに押されて胸に突き刺さり、桂一さんの命を奪ったナイフ。
そのドアを開けたのは……。
「じゃあ犯人は……」
「──つまり」
そう言って古泉は、何が面白いのか笑顔になった。
「僕と、あなたと……」
順番に自分と俺を指し示す。
「新川さん、ということになります」
……そんな。
(俺が……殺した? 桂一さんを……?)
呆然とする俺をじっと見つめ、古泉はさらに言い募る。
「涼宮さんは、それに気づいたんでしょう。だからなにもいわなかった……」
古泉は姿勢を変えて、座ったまま手をベッドについて体重を支えた。
「ぼくらをかばうため、真相を自分ひとりの胸に秘めてね」
冷たい塊が、胸の中を落ちてゆく。
どうして。なぜこんなことになる。こんなことはありえない……。
「……!」
古泉の瞳に、室内灯のオレンジの光が反射してゆらめいた。自分も殺人犯になったかもしれないってのに、憎たらしいくらい落ち着いた顔。どこか挑戦的に、俺をみつめる……。
ふとそのとき、俺の中で何かがはじけた。
今までくすぶっていた疑問がするすると紐解かれ、やがて1本の線になる。
そうか。
そういうことか、古泉。
「……たしかに筋は通っているが」
そういうことなら、ちょっと脅かしてやろうか。
俺はふと顔をあげ、古泉を見た。
「お前に気づかれたのは、まずかったな」
ゆらりと立ち上がり、古泉の首に手を伸ばす。
「お前の口さえふさいじまえば、このことは誰にも知られずにすむ……。そういう理屈だな」
古泉はベッドに腰掛けたまま、動かなかった。
俺の両手が首にかかり締め上げてくるのを、ただじっと見ている。
驚きのあまり動けないという風ではない。ただじっと、真面目くさった顔で、俺を見つめる。
あまりに反応がないので、俺は手を離すきっかけがないまま……ただそれ以上力を入れることもせず、結果的に古泉をベッドの上に押し倒す形になった。
「……どうして、わかりました?」
かすかに笑みをふくんだ声で、古泉がいった。俺はいまだヤツの首に両手をかけた姿勢のまま、ため息をつく。
「なんとなく、かな」
「なるほど……慧眼、恐れ入りました」
いつもの調子に戻って、古泉が笑う。やっぱりそうか。これは全部、こいつの機関≠ニやらの仕込みだな。やれやれだぜ。ってことは桂一さんも生きてるな。
さっそく確かめに行こうと、古泉の首から手を離して身を起こそうとする。
と、その手が何者かにつかまれた。……って、この場合、犯人は一人しかいないけどな。
「……なんだ」
「いえ。離れてしまうには惜しい体勢なもので」
古泉はベッドに身を横たえたまま、俺の腕をつかんで離さない。俺は片手を古泉につかまれ、片手をやつの頭の横あたりについた不安定な姿勢だ。
「なんのつもりだ。離せって」
いいかげん苦しいぞ、この体勢。
「鈍いですねぇ。そろそろ気づいてもいい頃なのに」
「なんだよ。さらにまだ、隠されてる真相があるってのか?」
「違います。そっちじゃなくて、僕の気持ちの方ですよ。本当はわかっているでしょう?」
いつもと同じ笑顔で、いつもと同じような口調で、しれっとやつは告げた。次の瞬間ふと笑顔が消えて、まっすぐな視線が俺を捕らえる。
「それとも……はっきり、好きですと言わなければいけませんか?」
「う……」
――いや。あんまり認めたくはないが実のところ、そうなんじゃないか、とは、ときどき思ってた。
顔が近かったりスキンシップが過剰だったりするのはクセなのかと考えてたが、俺以外にやっているところを見たことがない。まぁSOS団は俺以外は女子だから、同じことをしたら問題だろうが、廊下や学食で見かけたときも、他のやつらに対する態度はごく普通だし。
それがいったいどういうことなのか……考えないようにしてたってのが正解かな。
「正気か……?」
「言ったでしょう? 僕はいつでも、ほどほどに正気なつもりです」
にっこり、と、その顔に笑みが戻る。ほどほどに正気ってそりゃ、ほどほどにはイカレてるってことじゃないのか。
古泉はその姿勢のまま、器用にも肩をすくめてみせた。
「まぁ別に、だからどうしろというわけじゃないですよ? だって、考えてみて下さい。もし僕とあなたがどうにかなったとしたら……」
ならねえよ。つか、考えたくねえ。
「だから、もしも、ですって」
見下ろしていた顔が、苦笑めいた表情を作る。
「そんな可能性が、0.1%以上あるとは思ってませんって。……それでその0.1%が起こったと仮定して、涼宮さんがどうなるか。想像するだに恐ろしいですね」
「そりゃお前らが勝手に思ってるだけだろうが」
俺が、ハルヒにそんなに影響大だとはどうしても思えないんだが。何度も言うが、お前たちは俺を過大評価しすぎなんだよ。
古泉はそれを聞くと、おや、と言うように目を見開いて……おいやめろ、引っ張るな!
がくっとシーツについていた腕がくずれ、そこに肘をつく体勢になる。近い近い! 顔が近いって!
じたばたともがく俺の腕をがっちりとつかみ、耳に吐息のかかるそんな距離で、古泉はささやいた。
「……では、試してみますか?」
ぞくり、と何かが背中を駆け抜けた。恐ろしいことにそれは、不快とか嫌悪のそれじゃなかった。どちらかといえば……恐怖? に近いか?
俺はぐいと腕を突っ張って身体を離してヤツをにらみつけ、ため息をついた。
「いいかげんにしろ。そろそろシャレにならんぞ」
一瞬押し黙った古泉は、やがてくすくすと笑いながらつかんでいた手を離した。それからようやくベッドに身を起こし、両手をひろげて見せる。
俺はその後には当然、冗談ですよ、と続くものと思っていた。だが古泉のセリフはそうじゃなかった。
「あなたって人は……本当に鈍いですねぇ」
なんだそれは。どういう意味だ。
「さてね。……さあ、どうします? 事件の真相を涼宮さんに話しにいきますか? そういえば、あなたがどう推理したのかもちゃんと聞いておきたいな」
まるで何事もなかったような顔で、古泉は話を戻した。……結局俺は、からかわれたのか。 古泉は、新川さんがどうの圭一さんがこうのと言いつつ、俺に背中を向けて部屋を出て行こうとする。なんで言わないんだ古泉。一言、冗談だって。
「古泉!」
ドアを開けて、古泉が振り返った。廊下からの明かりがまぶしくて、ヤツの表情がよく見えない。
「早くいきましょう。待ってますよ……涼宮さんが」
最後の一言は、ささやくようだった。立ち尽くした俺の目の前で、ドアがバタンと閉じられる。俺はしばらくそのまま、動くことが出来ずにその場に立ち尽くしていた。
――古泉?
――本当に、鈍い人ですよね。
涼宮さんが推理ゲームの逆転劇を演じた翌日、帰りのフェリーの上で強い海風になぶられながら、僕は隣で手すりに寄りかかっている彼を横目で見る。
この人は、なぜ今になっても、自分の涼宮さんに対する影響力を認めようとしないのだろう? ほら、嵐までもがきれいに去って、空にはこんなに青空が広がっているというのに。
機嫌良く、朝比奈さんや妹さんと話している涼宮さんと彼をちらりと見比べる。フェリーの軌跡を描く海面へと視線を逃がしながら、僕は心の中で彼に告げた。
――昨日の言葉は、もちろん嘘でも冗談でもありませんよ。すべて本気です。あなたからの返事も、進展も望んでいないというところまで含めてね。だってこの世界の安定を考えれば、あなたは涼宮ハルヒと……結ばれるべきなのだから。
本当、鈍い人ですよね。
あなたなんか、さっさと涼宮さんと結ばれてしまえばいいのに。
僕の気持ちにもさっさと気づいて、さっさと手ひどくふってくれればいいのに。
そうすればきっと……あなたをあきらめられるのに。
せっかく拒絶されるつもりで告白したのに、なんでいつもと全然変わらない態度で接してくるんですか。こっちが対応に困りますよ。
――本当に鈍い人、ですよね……。
END
(2009.10.09 up)