Silent night
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  終業間際に、大きなトラブルが発生した。
 原因も責任の所在もあきらかではあったが、とりあえずそのあたりの追求は後回しにし、部署の全員で処理に当たった。
 折しも今日は、クリスマスイブ。僕の部下たちの中にも、恋人や家族との約束があった者は多いだろうが、こればかりは仕方がない。予定のあるものはすみやかに先方に連絡を入れるようにと指示し、もちろん僕自身も、家で待っているはずの最愛の恋人に謝罪の電話を入れるため、携帯を持ってオフィスの外の廊下に出た。
 3コールぐらいで出てくれた彼に、簡単に事態の説明をする。そんなこんなで遅くなるから、恒例のクリスマスディナーは食べられそうにないと伝え、とにかく謝った。
「すみません。せっかくのイブなのに……」
『ま、トラブルじゃしょーがねえだろ』
「あなたが作ってくださるごちそうも、楽しみにしていたのですが」
『ああ、大丈夫だ。まだほとんど下ごしらえの段階だから。明日食えばいいさ』
 今日はテキトーに食っとくから気にすんな、と彼の声は軽い。背後からはテレビ番組からのものらしい笑い声が聞こえてきていた。
『あんま遅くなるようなら先に寝とくから、合鍵で入れよ。んじゃ、がんばってな』
 はい、と返事をしたら、じゃーなとの一言を最後にプツリと通話は切れた。信号音だけが聞こえる電話をしばらく眺め、僕は溜息をつく。
 せっかくのクリスマスイブが仕事でダメになったというのに、あっさりとしたものだ。残念そうな様子など欠片も見えない。もちろんもともと彼は、せっかくのイブなのにと駄々をこねるような性格ではないし、仕事と自分とどっちが大事なのかなどとくだらないことを聞くような思考も持っていない。行事や記念日には、ほどほどに淡泊な人なのだ。
 でも、出来ればもうちょっと残念そうなというか、イブの夜を一緒に過ごせないことを惜しむ風情ぐらい見せてくれてもいいのではないかと思う。まぁ、高校の同級生だった僕らが社会人となってから再会し、恋人として同棲をはじめて、もう6年がたつ。お互いそろそろ30代も半ばに差し掛かっていることだし、そんなものなのかもしれない。
「古泉課長ー! 先方から電話ですー」
「あ、はい。今行きます」
 オフィスの中から顔を出した部下に呼ばれ、僕はもう一度溜息をついて、携帯を胸のポケットへと戻して踵を返した。



 6年前、思わぬ再会を果たした僕たちは、かなりの紆余曲折と修羅場を乗り越えてお互いの気持ちを確認しあった。
 直後にそれまで住んでいた部屋を引き払い、同棲を開始してから今まで、それなりにうまくやってこれたと思う。同性同士であるという特殊事情があるため、あまり大きな声で喧伝するわけにはいかないから、世間的にはまだ独身ということにはなっている。が、僕としてはもうこのまま、彼と一生を添い遂げたいと思っていた。彼が許してくれるなら海外挙式だろうが養子縁組だろうが辞さない覚悟だが、あいにくそういったことを彼に打診したことはなく、したがって彼がいつまで僕とともにいてくれるつもりであるのかは依然として不明なままだ。
 勢いで一緒に住み始め、特に不都合がなかったからそのままずるずると6年。未来の約束はなにもないから、ある日突然彼があの部屋を出て行くと言い出しても、僕には止める術はない。そう考えると、焦りとか寂しさとか憤りとか、いろんなものが胸の中でぐるぐると渦巻いた。
 トラブルの後処理の指揮をとり、電話をかけまくったり部下に指示したりと忙しく立ち働きながらも、憂鬱な気分が晴れなかった。しょーがねえだろ、という彼の軽い返事と、その背後から聞こえていたテレビからの笑い声が耳を離れない。そういえば今朝は、行ってきますのキスをしなかったなと、余計なことまで思い出してしまった。数日前から彼は微妙に機嫌が悪かったが、キスをスルーされたのは初めてのことかもしれない。
「課長? エラー出てますよ?」
「えっ、あ、すみません」
 エラー音を発していたシステムをとりあえず止め、もう一度やり直す。新入社員でもやらないようなポカミスを部下に指摘されてしまった。いけないいけない、と頭を振って、仕切り直すために一言断って洗面所へと向かった。
 なぜ機嫌が悪かったかというと、それは僕のせいではない。……と思う。問題があったのは先週、招待を受けてふたりで出席した、僕らの共通の友人の結婚式でのことだ。

 正確には結婚式そのものではなく、特に親しい友人たちだけで祝う二次会の会場での出来事だった。新郎も新婦も僕らと同い年であったため、当然二次会に集まったふたりの友人たちも、同世代が多かった。とくれば、その会場が出逢いの場と化すのはある意味必然だ。そして30代半ばならすでに結婚している者も多いため、独身の者たちの周囲に異性が群がることになるのもまた、必然なのだ。
「モデルとかやってるんじゃないですか?」とか、「えっ、20代じゃないの?」とかは、割とよく聞かれる質問だが、「どこにお勤めなんですか?」だの「ご自宅ですか? ひとり暮らし?」だの「ご兄弟は?」だのは、確実に何かを狙っているがための質問としか思えない。なんだか、狩りの獲物にでもなった気分だ。
 彼女がいるかと聞かれて曖昧に誤魔化そうとしたためか、いないと判断されて、女性たちのハンティングはますます露骨になった。助けを求めてちらりと彼の方を見ると、彼も数人の女性に囲まれてはいたが、ごくなごやかに会話している。僕の視線には気づいたようだが、すぐにふいと視線を逸らして女性たちとの会話に戻ってしまった。視線の意味はわからないのかと思ったが、そうでなかったのは帰りのタクシーの中で判明した。
「モテモテだったな」
 タクシーの後部座席に並んで座る彼は、窓に寄りかかって外に視線を向けたままそう言った。
「女の子独り占めしやがってって、他の男どもがボヤいてたぞ」
「気づいてたなら、助けてくださいよ」
「楽しそうだったじゃねえか。でれでれしやがって、せっかくのイケメンが台無しだ」
「そんなわけないでしょう」
 別に女嫌いと言うわけでないが、今日の彼女たちはどちらかというと、女性というよりはハンターに見えていた。獲物がハンターたちに囲まれて、楽しいわけがない。油断したら頭から食われそうな気さえしていたのだから。
「どうだかな。イケメンエリートサラリーマンは引く手あまただよな。モテモテでうらやましいね」
 そんな嫌味を言われれば、僕だって少しはムッとする。つい売り言葉に買い言葉で、彼に言い返した。
「あなたこそ、なかなか素敵な女性たちと、いい雰囲気になっていたではありませんか」
「彼女たちは、俺の本を読んでくれてる人だよ。お前とは違うさ」
 ま、どうでもいいけどさ。そう言って彼は口をつぐみ、それきり家に着くまで一言もしゃべらなかった。着いてからはさっさとシャワーを浴びてきて、酔ったから寝ると言って寝室へ引っ込んでしまった。
 翌朝はいつも通り、時間に起きて朝食を作って僕を仕事に送り出してくれたけれど、その日からずっと彼は、微妙に不機嫌なままなのだった。



「お疲れ様でした。古泉課長」
 ようやくなんとか事態を収拾し、男泣きに泣きながら謝罪を繰り返す原因を作った部下を慰めて、ようやくひと息。誰かが気を利かせて淹れてくれたコーヒーをすすりつつ窓辺でボンヤリしていると、同じようにホッとした顔の部下の1人が、そう声をかけてきた。
「はい。ご苦労様でした。大きな被害を出さずに処理できてよかったです」
「ホントですね」
 ふう、と溜息をついて、部下は脱いで肩に掛けていた上着を椅子に投げ出し、行儀悪くデスクに腰掛けた。腕時計をちらりと見て、ああこんな時間かとつぶやくのにつられて僕も自分の時計を見る。針は23時少し前を指していた。
「イブもあと1時間ちょっとで終わりですねぇ。ケーキを食い損ねましたよ」
 子供ももう寝てるだろうなとボヤく彼は、僕より2つほど年下のはずだがすでに3歳の女の子を持つ一児の父だ。可愛い盛りの子供の写真を、何度も見せてもらったことがある。僕は小さく笑って、サンタさんの出動準備は整っていますかと聞いた。
「そっちは嫁さんに頼んであるんでばっちりです。課長も……っと、結婚はまだでしたっけ。彼女に怒られませんか、せっかくのイブなのにって」
 部下たちには、結婚はしていないが恋人はいると言ってある。もちろん相手が“彼”であることなどは告げていないが、そのくらいの予防線を張っておかないと、よけいな勘ぐりを受けたり合コンに誘われたり上司からお見合いを持ちかけられたりと煩わしいのだ。
「特には。がんばれと言われただけですね」
 苦笑しつつそう言うと、部下はそうですかとうなずいた。
「変に駄々をこねられるのはうっとおしいですからね。物わかりのいい彼女でよかったじゃないですか」
「まぁ、一緒に暮らしてもう長いので、そんなものなのかもしれません」
「何年くらい暮らしてるんです? 籍はいれないんですか?」
「そろそろ6年になりますねぇ。籍は、そうですね。相手の気持ちもありますし」
 いわゆる婚姻という形では無理だが、いちおう同一の戸籍になることならできる。が、彼がそれを望んでいるかどうかは不明だからそう答えた。
「それっぽいこと言ったりしないんですか、彼女」
「そんなそぶりはないですね。形にはこだわらない質なのかな」
「なるほど」
 節電対策として、窓周辺のフロア照明は落とされている。そこから窓越しに見下ろす街のイルミネーションは、気のせいかいつもより華やいで見えた。自宅はどっち方面だったかな、などと思っていると、突然僕たちの会話に誰かが割り込んできた。
「信じられない!」
 はっと視線をフロア内に戻すと、そこにいたのは今年の春に入って来たばかりの事務の女の子だった。彼女も残っていたのか。
「クリスマスイブにいきなり残業で、何の文句も言わないなんて! オマケに6年も同棲しといて結婚のけの字も言い出さずに平然としてるなんて、そんな都合のいい女がいるわけないじゃないですか!」
「そ、そう言われましても……」
 すごい剣幕でまくしたてられ、思わず及び腰になる。話をしていた部下の彼も、あっけにとられて目をしばたたいていた。
「こんなこと言いたくないですけど……古泉課長、それって倦怠期なんじゃないですか? 愛情が醒めてるのに惰性でつきあってるみたいな。そんなの、よくないです!」
「お、おい……」
 ストレートな物言いに、部下の彼はあわてて彼女を止めようとする。が、若さゆえの怖いもの知らずなのか、それとももともとの性格なのか、彼女の舌鋒は止まらなかった。
「愛情もないのに一緒にいたって、いいことないです! 醒めたならさっさと次行った方がいいと思いますっ!」
 手にしていたお茶菓子らしき包みを強引に僕らに渡し、彼女は言いたいことだけ言って去っていった。僕らはただぽかんと、その後ろ姿を眺めてしまう。
「……彼女、何か嫌なことでもあったんでしょうか?」
「いやぁ」
 首を傾げて聞いてみると、部下の彼は苦笑したようだった。受け取った包みをあけて小さなケーキのような菓子を取り出し、口の中に放り込む。咀嚼しながら、彼は僕を見て言った。
「課長、ご自分がどれくらいモテてるか知ってます?」
「は?」
「そりゃ、30半ばで課長になってる有望株で、しかもそんなことを鼻にもかけず、部下にまで敬語で話すような独身のイケメンですよ。女子社員の中じゃダントツ人気なんですから、あわよくばと思う子も多いでしょ」
「はぁ……」
 ならば彼女もまた、ハンターのひとりということか。女性のバイタリティには、まったく感嘆するしかないなと思う。もはや尊敬に値する。
「で、実際はどうなんですか」
 のんきにそんな感想を抱いていたら、部下の彼にそう聞かれた。何がですかと聞き返したら、倦怠期がどうとかですよとあきれたように言われた。
「さぁ……」
 そう聞かれると困ってしまう。もともと彼はあまり露骨に愛情表現したり、好きだのなんだの言う性格ではないのだ。今でも毎日挨拶のキスはするし、セックスレスになっているということもないが、それが惰性でないと言い切る自信はない。
 結婚式の二次会での彼の態度は、ヤキモチを焼いてくれた証拠と言えるかもしれない。が、どうでもいいけどさ、という彼の言葉がちくりと胸を刺す。もしかしたら本当に、もはやどうでもいいと思われている可能性も、低くはないのだろうか。
 6年という月日は、あれほど燃え上がった想いが燃え尽きて、燻るだけの熾火になって、やがて灰へと変わるに充分な時間であったのか――。



 帰りたくないな、と思いながらも、終電前にと急ぐ部下たちと一緒に会社をあとにした。
 彼と一緒に借りている部屋は、電車で1本の近距離だ。2年前の2度目の引っ越しのとき、すでに会社をやめて物書きの仕事のみで生計を立てようとしていた彼が、僕の都合にあわせた場所に新居を決めてくれたからだった。
 ちょうどホームに来ていた準急電車に乗り込んで、8人掛けの椅子の端っこに腰掛けた。やがて電車が動き出す。今から帰りますと書いて送ったメールに、返事はない。たぶんもう眠っているのだろうと、僕は溜息をついて携帯を胸のポケットへと滑り込ませた。
 平日の終電間際の乗客たちは、ほとんどが居眠りをしている。僕と同じく会社帰りらしいサラリーマン。大学生らしき若者はどうみても酔っぱらいで、座席に座って上を向いて軽い鼾をかいている。向かい側の座席の端っこに座ったOLは、膝のバッグをしっかり抱えて船を漕いでいた。
 8人掛けの椅子を独り占めの状態で、闇の中に時折ネオンやライトが流れる車窓を眺める。こうしていると、今日がクリスマスイブだなどという気は全然しない。恋人たちにとっては大切な行事らしいクリスマスなんて、まるで僕とは関係ないところではじまって、いつの間にか終わっているだけのものみたいだ。
 ――もしかしたら彼との恋もそんな風に、僕の知らないところでいつの間にか、終わっていたのかもしれない。
 このままずっと駅に着かなければいいのに、という僕の思いも知らず、電車はいつも使っている駅のホームに滑り込む。上り電車はありませんので乗り過ごしにご注意願いますとの放送に再び溜息をつき、僕は席を立って電車を降りた。
 人の少ない改札を抜け、駅舎の階段を下りて歩いて5分。賃貸マンションの古いエレベーターに乗り込み、たどり着いた我が家の玄関ドアを合鍵で開けると、やはり中は真っ暗だ。眠っているのだろう彼を起こさないように、そっと中へと滑り込む。――と。

「――お帰り」

 声とともに、かすかな明かりが闇に灯った。
「あれ……?」
 玄関先で、キャンプで使うランタン型のライトを掲げて僕を出迎えてくれたのは、彼だった。先に寝たはずではなかったのかと思ったが、彼はパジャマではなく普通にセーターとジーンズ姿だ。
「起きて、たんです、か……?」
「ああ。メシは食ったのか?」
「あ、はい、一応。ファーストフードですけど……」
「そっか」
 彼はうなずいて、早くあがれよと僕を促した。どういうことだろうと首を傾げつつ、彼のあとについてドアを開けてリビングへと足を踏み入れると、まず目に入ったのはテーブルの上に飾られた小さな小さなクリスマスツリーだった。
 メインの照明はつけないまま、部屋の中は、そのツリーとスタンドの明かりだけに照らされている。テーブルの上には、ワインらしきボトルとグラス、それとチーズやスモークサーモンなどが盛られた小さな皿が並べられていた。
「これは……」
「まだギリギリでイブだろ。ちょっとだけ、つきあえよ」
 手にしていたランプをそのへんに置いて、彼はテーブルの上のワインを取り上げて栓を抜く。早く座れと促され、とにかく上着だけ脱いで席に着くと、ワインが注がれたグラスが目の前に置かれた。彼のグラスが近づいてきたので、それを持ち上げ縁同士を触れあわせた。カチリといい音がした。
「イブの日に大変だったな。お疲れさん」
 彼はそう言って微笑み、くいとグラスを傾ける。なかなかいけるぞ、お前も飲んでみろよとの声にようやく我に返って、僕もおざなりに口をつけてから尋ねてみた。
「起きたまま、ずっと待っていてくれたんですか……?」
「うん? まぁ、せっかくクリスマスだしな」
「電話したときは、先に寝てるとか言ったのに」
 実に素っ気なくあっさりと、じゃーなと返してきた声は、まだ耳に残っている。あれから気が変わったのか、それとも……。
 まさか何か、悪いことの前触れなのではないかと戦慄する。考えたくはないが、最後の晩餐的な……そういうアレを言い出すための……。
 僕のその考えは、どうやら顔に出ていたらしい。しばしきょとんとした顔で僕を見ていた彼が、やがてプッと吹き出して笑いはじめた。
「ったく、いつまでたっても変わんねえなぁ、そういうとこ。ほんっとに、お前は馬鹿だな!」
「そんなに笑うことないじゃないですか……」
 すまんすまん、と言いつつ彼はさらに笑って、そうしながら何やらごそごそとポケットを探り始める。やがてテーブルの上に置いたのは、リボンのかかった小さな箱だった。
「待ってたのは、こいつを渡そうと思ってたからだ。残業になるって聞いて、それじゃどうせならびっくりさせてやろうと思ってさ」
「なんですか、これ」
「まぁ、クリスマスプレゼント、かな」
 なんだろう、と思いつつ、リボンをほどいて箱を開けてみる。それだけで中身がわかってしまって、途端に動けなくなった。これは……。
「え……っ?」
「いちおうプラチナ。ちょっとがんばった」
 動けない僕のかわりに彼が、独特の形のビロードの箱を開けてみせる。中に収まっていたのはやはり、おそろいの細い2本の――リングだった。
「ほれ。左手を出せ、古泉」
 彼の手が僕の左手をつかみ、引き寄せる。すっかり呆然としていた僕は、銀のリングが左手の薬指に填ったのを見て、ようやく我に返った。
「なっ……なんで! こういうのは、僕が」
「どっちだっていいだろ−? 男同士なんだし」
「でっ、でも」
「いいから、俺にもつけてくれよ。ほら、早く」
 せかされるまま、なんとなく釈然としない気持ちで、彼の左手薬指にリングをはめる。が、そうすると彼がものすごく嬉しそうな笑顔になったので、僕は何も言い返せなくなってしまった。
「もう……いきなりどうしたっていうんですか。びっくりしますよ」
「させようと思ってやったんだから、当たり前だろ」
 満足そうな顔で彼がうなずく。それからリングごと僕の指を撫で、言いにくそうに、ボソボソとつぶやいた。
「まぁ、な。俺の自己満足っていうか……虫避けだよ。こないだみたいなことが、ないように」
「こないだ……?」
 僕が聞き返すと彼は視線を逸らし、小さい声で二次会の、と言った。
 まさか、先日の結婚式の二次会でのアレのせいなのか。僕が大勢の女性……もとい、ハンターたちに囲まれたあの。
「だってうぜえんだよ! お前は俺のなのに、わらわらと群がってきやがって!」
「…………っ」
「いや、お前がああいうのに気を移すなんて思ってねえよ。だからどうでもいいんだけどな! ただ俺が、気に入らないんだ。それだけだ」
 ぎゅっと手を握られて、頬が熱くなる。胸の奥から、何かがこみあげてくる。どうしよう。嬉しくて、嬉しすぎて、泣きそうだ。
 倦怠期? 惰性? 最後の晩餐? なんですか、それ。どこの宇宙の言葉ですか? とりあえず僕たちには、なんの関係も必要もない単語だということだけは確かですよね!
 ついさっきまで考えては煮詰まっていた、すべてのぐだぐだを速攻でブラックホールの彼方に捨て去る。現金なやつだと言われても、まったくかまわない。今の僕は世界、いや宇宙一、幸せな男だ。
 彼が照れくさいのかワインをぐいぐいと飲み進めている間、僕はあまりの幸せに打ち震え、喜びと興奮をかみしめていた。が、彼の攻撃はこれだけでは終わらなかった。すっかりうかれている僕に、ほんのりと頬を赤く染めて瞳を潤ませた状態の彼が、さらに追撃をしかけてきたのだ。
「それとな、古泉」
「はい?」
 さらに少し躊躇したあとに彼がした提案は、まさに僕の息の根を止めるほどの爆撃だった。一瞬、目を開けたまま夢を見ているのかと疑ったくらいの。
 彼はじっと僕を見据え、思い切ったように言った。
「……家を、買わないか。ああ、マンションでもいいが、とにかくふたりで」
 僕は思わず、彼の顔をまじまじとのぞきこむ。赤くなってはいるが、酔っているわけではなさそうだ。
「俺もようやく、物書きでちょっとは稼げそうになってきたしな。だから……お前さえよければ」
 一緒に住む、家を買おう。
 もう一度、念を押すように、彼は確かにそう言った。
「いいんですか……?」
「ん?」
「家のローンとなれば、繰り上げ返済を駆使したとしても10年かそこらはかかるし……、返済が終わったあとも共有財産ともなれば、処分だって簡単にはできませんよ?」
「うん」
 僕が言ったことの意味は、あやまたず彼に伝わったようだ。彼はこくりとうなずいて、いいんだと言った。リングのはまった指を、胸のあたりできゅっと握り混む。
「何年かかったってかまわんさ。……この指輪は、そういう覚悟だ」
 僕はもう、何も言えなかった。今、口を開いたら、間違いなく号泣してしまう。
 そんな僕の様子に気づいているのかいないのか彼は、まぁでもローンは早く終わらせるに越したことはないよな、と照れ隠しのように言って、ふと壁にかかっている時計を見上げた。
「ああ、もう日付が変わってる。クリスマス本番だな」
 グラスに残ったワインを飲み干し、彼はさて、と席を立った。
「遅くなったな。そろそろ寝ようぜ」
 食器とグラスは明日片付けるから、そのままでいいぞ。そう言って向けた彼の背中から腕をまわし、強く抱きすくめる。彼は驚きはしなかった。
「……明日も仕事だろ、お前」
「そうですけどね。このままおとなしく、寝かせてあげられるわけないでしょう? わかってるくせに」
「やれやれ。お前もそろそろいい歳なんだから、無理すんなよ?」
「大丈夫ですよ。自己管理はできてますから」
「どーだかな。お前だけにまかせておけるか、危なっかしい」
「じゃあ、あなたが見ていてくださるんですか?」
「当然だろ。俺のもんなんだから、俺が見るのはあたりまえだ」
 偉そうに胸を張る彼を、正面から抱きしめ直す。ではお願いしますね、とささやいて唇を寄せると、まかせろと返事が返ってきた。

 メリークリスマス、という言葉を飲み込むように、僕は彼の唇をふさぐ。
 聖なる夜は、はじまったばかりだった。



                                                   END
(2012.012.24 up)
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クリスマスイブ更新−!

33歳社会人古キョン。
再会して6年目、1作目のラストの1年前です。
このシリーズは時間の流れ通りではなく、わりと年代があっちこっちする予定。
書きたかったのは、「キョンくんからの指輪」でした!