一週間ぶりに訪れた古泉の部屋は、なんだか雑然としていた。
散らかっているというほどではないが、シャツがソファの背もたれにかけっぱなしになっていたり、ローテーブルに飲みさしのカップがおいたままになっていたり、雑誌が床に開いたまま転がっていたり。
俺は部屋の中をぐるりと見回して、溜息をついた。
「……キーパーさんが入るのは明日か」
「すみません、散らかってて」
申し訳なさそうな顔で、古泉が頭をかく。
一見マメそうに見せかけながら、こいつがかなりのズボラだってことは、ちょくちょくこの部屋に来るようになってから知った。基本的に片付けや掃除は苦手らしい。
一週間に一度、機関の方からハウスキーパーさんが派遣されて掃除をしてくれるようで、その前日なんかは大体この有様だ。やけに荷物の少ない部屋だと思っていたが、どうやら散らかってしまうのを防ぐため、極力モノを増やさないようにしている結果らしい。
まぁ、こいつの書く字はかなり乱暴だったから、それほど意外じゃなかったけどな。
ちなみに料理の方は、やろうと思えば基本的なものくらいは作れるようだ。森さんにかなりしごかれたと言っていた。彼女曰く、「今時のイケメンは料理くらいできなきゃダメ!」だそうだ。
ただし、普段の夕食はもっぱらレトルトやらコンビニ弁当やら店屋物だってのも聞いた。
……今度、うちの夕飯に呼んでやるか。
「まぁいい。とりあえず、着替えをくれ」
「はい。少々お待ちを。……シャワー浴びますか」
「うん」
タオルはいつものところです、という声を背に、脱衣所に入ってさっさと服を脱ぐ。
情けない有様になった下着を放置するわけにもいかず、風呂場に持ち込んで軽く洗うことにした。
まったく、忌々しい。
団活の終わった部室なんてとんでもないところで、腰が抜けるようなとんでもないキスをされて、結果的に下着を汚すはめになった。確かに前回この部屋に来たあと、なんだかんだで一週間ほどご無沙汰だったわけだが……それにしても情けなさ過ぎる。
思い出すと恥ずかしさのあまり死にたくなるので、あわてて頭をふって考えを吹き飛ばした。
ざっと湯を浴びて風呂場から出ると、洗濯カゴの側に以前もらったのと同じメーカーの新品の下着が用意されていた。また新品か。まとめ買いでもしてあるのか?
「時間がなくて、つい洗濯物をためてしまうもので」
聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。つまり、穿くものがなくなって困ることがしょっちゅうあるってことか。
「ご明察です。しかたないので、新しいものをたくさん用意しておくことにしました」
「お前……気をつけろよ。それ、だいぶイメージが壊れるぞ」
こいつはハルヒのために、女の子が望む完璧な少女漫画的さわやか少年を演じているはずだ。それなのにこんなザルっぷりで大丈夫なのかね。
「はは。努力はしてるんですが」
苦笑いとともに、カラカラと氷とグラスがふれあう涼しげな音が聞こえる。どうやらアイスコーヒーを作っているらしい。
これだけズボラな性格をしておきながら、古泉はコーヒーにはこだわりがあるらしく、ホットもアイスも必ず豆を挽くところからはじめて淹れたものを出してくれる。今まではインスタントだろうが缶だろうがかまわず飲んでいた俺だったが、最近は古泉の淹れるコーヒーにハマりつつあった。
「どうぞ」
「サンキュ」
ひとくちグラスに口をつけ、うまいな、と感想をのべると、嬉しそうな顔でありがとうございますと答える古泉。……どうでもいいが、人が飲んでるとこ、あんまりじろじろ見てんじゃねえよ。
「すみません。あなたが、あまりに可愛くて」
思わずコーヒーを吹き出しそうになった。気管に入りかけてげほげほとむせていると、古泉があわてて背中をさすってきた。
「だ、大丈夫ですか」
「い、いきなり妙なことをぬかすな!」
「正直な感想なのに」
「アホか。コーヒー飲んでるだけで、なんの感想だ」
やっと落ち着いて、ソファを背もたれがわりに座り直す。古泉はそのまま元の席に戻らずに、俺の隣に落ち着いてしまった。
「それはまぁ……僕自身も困ってるんですよねぇ」
「はぁ?」
「あなたが何か飲んでいたり食べていたり、雑誌を見ていたり頬杖をついたり、あくびをしたりくしゃみをしたり……そういうのが全部、可愛く見えてしょうがないんですよ。もう抱きつきたくなる衝動と戦うのに、日々必死です」
「お前、いっぺん病院で脳みそ診てもらってこい」
冷たく言い放つと、古泉はヒドイとつぶやいて落ち込んだようだ。そんな恥ずかしいことを堂々と言うヤツにはこれで充分だ。
カラン、とグラスの中で溶けかけた氷が音をたてる。
テレビのかわりに流されている音楽が、ふと違う曲に切り替わった。俺は、ちょっと気になったことを、この機会に言っておく気になった。
「そういや、古泉」
「はい?」
「お前、こんなくだらない用件で新川さんを使うの、よくないぞ?」
こんなバカみたいな理由で帰るのが困難になった俺を、電話1本で迎えにこさせたことについてだ。ハルヒがらみのあれこれならともかく、アゴで使いすぎなんじゃないか。
古泉は一瞬驚いたように目を見開いて、やがて口元に小さく笑みを浮かべた。苦笑のようにも見えるが、それはなんとなく酷薄さを感じさせる笑みだった。
「わかっていますよ。あなたは真面目ですね。年長者を敬う心をお持ちだ」
まぜっかえすな。
「失礼。今回のことは……そうですね、僕なりの意趣返しと言いますか」
「意趣返し? 誰へのだ」
「もちろん――“機関”にですよ」
目をふせて、手の中のグラスを見つめる横顔に、昏い影がさす。俺は思わず声を飲み込んで、その横顔をじっと見つめた。
「今まで僕は、自分の心を殺して、あなたと涼宮さんが結ばれるように努力してきました。それが機関の意向であり、命令だったものですから。本当なら、あなたから返事をいただいたときも、断るべきだったんです。もしくはそのまま、あなたの前から姿を消すべきだった。――世界のためにね」
自分から気持ちを伝えておきながら、卑怯だとは思いますけどね、と古泉は続けた。
「でも僕は結局、エゴを捨てられなかった。涼宮さんに、機関に、そのほかの勢力に、バレたらどういう結果になるかわからない危険な綱渡りに、自ら足を踏み出してしまったんです。申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなんですが、その一方でざまあみろという気分があることも確かでして」
古泉の顔に、ときどき見せる偽悪的な笑みが浮かぶ。
「神を出し抜いた昂揚感といいますか、自分をいいなりにしてきた大人たちへの反抗心といいますか……この人は僕のものになってしまいましたよ、どうしますか? みたいな感じですね。――ああ、こんなことを言うと、嫌われてしまいますかね」
「……いや。お前の性格がひねくれてることなんて、とっくに承知だ」
俺の中にだって、それに類似した思いはある。
だってそうだろう? 世界の安定のためだかなんだか知らないが、俺は各方面からハルヒを選ぶことを強要されていたようなものだ。
世界の“鍵”とやらだから、ハルヒを選び、そして世界を崩壊から救え、と。俺には、誰か他のやつを好きになることは許されていなかった。
まぁな。ハルヒのことは恋愛感情ではないが好きだったし、これまでは他に特に好きな相手もいなかったから特に騒ぐこともしなかった。世界が壊れちまうのは、困るしな。
でも、今となってはそれは、迷惑極まりないんだ。……その、相手、を見つけちまったから。
だから、機関の関係者のそばで背徳的な行為をしていることを隠し、何食わぬ顔をしてみせるというスリルを含んだ意趣返しをしてみたくなる気持ちはまぁ……わからんでもない。悪趣味だとは思うが。
「ご理解いただけて、嬉しいですよ。でも……これきりにします。新川さんには、いろいろ助けていただいていますしね」
「ああ、そうしろ。そんなつまらんことでバレて、お前と逢えなくなるのは困る」
自分の考えをめぐらせながら、ぽろっとそんなことを言ってしまったら、古泉が突然、抱きついてきた。
ふいうちを食らった俺はバランスを崩して、やつの腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
「いきなり何をする!」
ぎゅっと全身ですがりつくように俺を抱きしめて、古泉はささやくような声で言う。
「……ホントに、あなたはずるいですよね。いろいろ鈍いくせに、欲しい言葉だけは確実にくれるんですから」
「鈍いっていうな」
「ホメ言葉ですよ?」
「納得いかん」
ふふ、と小さく笑って、古泉は俺を抱きしめたまま、俺の頭に顎をのせる。CDが切り替わったらしく、BGMはクラッシックになった。曲名も作曲者も知らないが聞いたことはある音楽が、低い音量で部屋の空気を満たす。かすかなコーヒーの芳香もまだ漂っているみたいだ。
ゆるくもきつくもない古泉の抱擁はあたたかくて、親鳥の羽根にも似て心地よかった。
――って、ちょっと待て。
「……おい、古泉」
「はい、なんですか?」
「当たってるぞ」
「あれ」
何やら堅いものが、俺の腰あたりでその存在を主張している。せっかくいい話で終わりそうだったのに、いろいろ台無しだなお前。
古泉は俺の身体を離して、困ったように頭をかいた。
「すみません。ちょっと気持ちが盛り上がってしまって」
そういえば、当初の目的を忘れてたな。なんだっけ? 人類史上もっとも原始的なコミュニケーション、だったか? ……まぁ、たまにはいいか。
俺はおもむろに古泉の顔を両手でつかむと、唇に食いついた。んぅ? とか声をもらして、古泉が目を見張る。うん、急襲成功だ。
そのまま唇を割って舌をねじこみながら、古泉の身体を床に押し倒す。
倒れた拍子にローテーブルが動き……ガタンと音がしたかと思うと、上から水が降ってきた。
「うわっ!」
「冷たっ!」
あわてて身を起こすと、テーブルの上でグラスが倒れていた。
残っていたアイスコーヒーと溶けた氷が混じった液体がこぼれ、ちょうど古泉の頭にもろにかかったらしい。ぽたぽたと滴をしたたらせて呆然とする古泉に、俺はつい吹き出してしまった。
「……笑わないでくださいよ」
「す、すまん。それより、シャワー浴びてこいよ。髪がびっしょりだ」
笑いをこらえられない俺に、古泉はがっくりとうなだれてみせる。
「せっかく、あなたの方から積極的にきてくれたのに……」
「まぁ、そういうな」
またも見つけた、古泉の新しい表情。俺的にはなかなかのアクシデントだ。
「さっさと行ってこい。……ベッドで待っててやるから」
とたんに古泉は跳ね起きて、小走りで風呂場に向かっていった。
俺はやれやれと肩をすくめてから、倒れたグラスをキッチンスペースに持って行く。さて、雑巾はどこだったかな。
結局、ベッドで待ってるという俺の言葉は実行されなかった。
やっと見つけた雑巾でこぼれたコーヒーを拭いている最中に、速攻でシャワーを浴びて出てきた古泉に襲われたからだ。フローリングの床に押し倒すな、痛いんだよ!
「ちょ、バカ古泉! ベッドでって……!」
「もーどこでもいいですっ!」
上半身裸で制服のズボンだけを身につけた古泉は、髪もまだ半乾きだ。どんだけ我慢がきかないんだよ、このケダモノめ!
「ケダモノ上等っ! 男はみんな狼ですよ!」
「何を錯乱してんだ何をーっ! ……っぷ」
顎を強引につかまれて、唇をふさがれる。もぐりこんできた舌が、またねっとりと口腔内を侵していく。それだけで俺は下腹の奥がうずくのを感じた。ちょ、俺、敏感すぎないか? 欲求不満? やっぱ1週間のブランクは長すぎだったか。
「んっ……んぅ」
まじりあった唾液が、口の端を伝って流れる。古泉の舌が離れていこうとするのを無意識に追いながら、俺の手はいつのまにかやつの腕をつかんでいた。離れていった唇は鼻を通って額に口づけ、耳へと降りていく。
知らなかったのか開発されたのかは不明だが、めっぽう弱いそこにちろちろと舌を這わせながら、古泉が腰に響く低音でささやいた。
「またキスだけでいっちゃうのは、ナシですよ……?」
「……っくしょう」
正直なところ、まだ制服のズボンを履いたままだが相当にヤバイ。自分でもわかるほど硬く張り詰めてしまって、せっかくかえた下着がまた汚れそうだ。
さすがにもう、それはゴメンだぞ。ああ、もうしょうがねえ!
俺は腕をつかんでいた手を離し、自分でベルトをはずしてズボンのジッパーをさげた。古泉が目を丸くして、そんな俺をじっとみている。
「今日は……やけに積極的ですね?」
うるせえな。たまにはそんな日だってあるんだよ。それともこういうのは嫌いか?
「いえいえ、とんでもない。光栄ですとも」
ついでにTシャツだけだった上も脱いで、そのへんに放り出す。古泉は耳から首筋へと舌を這わせつつ、器用に俺のズボンと下着をはぎとった。
「おや、これはまた」
「……マジマジと見るな」
クスッと古泉が小さく笑った。……なんだ、今ぞっとしたぞ。
「そういえば、学校ではかなりあなたに、いじめられましたっけ?」
「え……」
床の上で俺に覆い被さり、古泉はしきりに耳にキスをくりかえす。
やがて唇は再び耳を伝い、胸の突起を舐めたり噛んだり手でいじったりしはじめた。そのたびに身体はビクビクと痙攣し、快感が波のように押し寄せる。舌はさらに下降して、やっぱり弱い臍とその周辺を愛撫し始める。
だが、そこへはまだ触れようとしない。
ぞくぞくと這い上る快感。触れてもらえないもどかしさ。学校ではたしかに直接触れずにキスだけで達してしまったが、実は服の上から腿でかなりの刺激を受けていたからこそだ。
だからまったく触れずにと言うのはけっこう……というか無理で、もうじれったくてもどかしくて、どうにかなりそうだ!
我慢できずに自分で触ろうとした手は、だが、ガシリと床に縫い止められてしまった。鍛えているのか、見かけによらず古泉の力は強くて、ふりほどくことはできない。
「ダメですよ?」
「や……はなせ……って」
そこに、古泉の生暖かい息があたる。それだけでも、ビクリと腰が浮いてしまう。
「すごいですね……先走りで、ぬるぬるです」
じっと注がれる視線を感じる。恥ずかしくてたまらないが、それよりももうどうにかして欲しいという気持ちの方が勝っていた。
もう……なんというか、サドだなこいつは。知ってたけど!
「あ……こいず……もう……っ……はやく……」
「おや、もう限界ですか?」
「てめ……っ」
「わかりましたよ。……いじめすぎても、あとが怖そうだ」
いきなり、ぬるりと柔らかな感触が俺を包んだ。湿った音が聞こえてざわりと鳥肌がたち、身体の奥の方からものすごい快感が脳天まで突き抜ける。
「く……あ……っ」
目の前が白く焼き付く。声すら喉の奥で消えた。何が何だかわからない。
気がついたら俺は、ぐったりと床に身を投げ出したまま、ぜいぜいとあえぐように肩で息をしていた。
にじむ視界の中で、古泉が口元や手についた白いものを猫みたいに舐めているのが見えた。俺が見ているのに気づくと、そのままニコリと微笑む。
「すごい勢いでしたよ。気持ちよかったですか?」
「……サドめ」
「お互い様ですね」
ふと古泉の、まだズボンを履いたままの下半身に視線をずらす。やっぱりまだ元気だな。えーと……やっぱアレかな。挿れんのかな。
古泉は俺の視線の意味に気がついたようだった。さっきまでとは打って変わった優しい笑みが、唇に浮かぶ。
「前回無理をして、まだ一週間ほどしかたっていませんからね。今日はやめておきましょう」
「でも、それじゃお前が」
「平気です」
……ああもう。サドなんだかマゾなんだかはっきりしろ。
俺はしばし考えて、方法がないでもないことに思い当たった。
たしかにかなり抵抗はあるが、いつもやってもらってることだしな。まぁ、慣れだ、慣れ。
突然起き上がった俺に押し倒されて、古泉はびっくりしたようだった。そのままの勢いでベルトをはずしてジッパーを下げると、ちょ、なんですか、なんて言いながら俺の手を押しとどめようとする。
……そういや、これが言い出せなくてどうすりゃいいかってさんざん悩んだな。もしかして、こう問答無用でいけばよかったのか。いまさらだけど。
「おとなしくしてろ」
「えっと……もしかして、あなたがしてくださるんですか?」
「下手だと思うがな」
「いえ、そんな」
抵抗をやめた古泉のズボンと下着をはぎとって放り出す。しっかり勃ちあがってるそれを間近で見るのは正直はじめてだが、なんというか……顔に似合ってねえな、お前。
「なんかムカつく」
「それは、褒められてるととっていいんでしょうか?」
「うるせえ」
思い切って、つかんだそれに舌で触れてみる。古泉が声をあげて身を震わせた。……すっごい、色っぽい声だったな。ぞくっときたぞ。
気をよくして、さらに大胆に舌を出してなめてみた。うん、意外と平気だな。いけるいける。あとは同じようなものを持ってる者同士、自分がされて気持ちいいことをするだけだ。
そんなものを咥えてる自分の姿を想像するとなんとも言えない気分にはなるが、それより古泉の反応の方が面白い。舐めたり吸ったりするたびに、聞いたこともないような声をあげ、床の上でビクリと身体を震わせる。
可愛い、なんて思っちまった俺を誰が責められよう。
「どうだ、こいずみ……」
咥えたまま、不明瞭な発音で聞いてみる。
「……感覚的にも視覚的にも……やばいですっ」
こいつ、咥えてる俺をずっと見てやがったのか。まぁ、気持ちはわかるような。
「そうか」
「うぁ……っ」
ガクガクと腰が動く。相当イイんだなと判断して、少し強めに吸い上げて、舌をからめながら唇を上下させてみる。あふれてきた唾液をすすり上げる音が、我ながらいやらしい。古泉の口からもれていた声が止まり、激しい呼吸音だけが聞こえてきた。
あ、イクな、これ。
そう思った瞬間、ぐいと強く顔をおされて、咥えていたものが抜けた。と、顔に生温かいものがかかり、思わず目をつぶる。
「あ、すみません……間に合わなかった」
どうやら、口の中に出すのを避けようと思ったらしい。ちょっとタイミングをあやまって、結局、顔にかけることになっちまったわけだな。
「ほんとに、ごめんなさい」
あわてて拭き取ろうとする古泉。ちょっと待て。
「バカ、お前それ雑巾」
「あ、あれ」
「落ち着け」
「でも、汚な……」
「いいって。……お前のなんだから、大丈夫だ」
すると古泉は、いきなり俺を抱きしめた。しかたなく腕を背中にまわしてやると、感極まったような溜息が聞こえた。
「……気持ちよかったか? あんまりうまくできなかったと思うが」
「そんなことはないです。……最高でしたよ」
「そっか?」
まぁ、満足そうだな。とりあえずよかった。
「ええ。ありがとうございました。なんだか……感動っていうんでしょうか、これ」
「大げさだな」
「いえ、おかげさまですごく」
腕をほどいて俺を離し、顔を見合わせた古泉はにっこりと笑う。
「お返し、したくなりました」
「は?」
「覚悟してくださいね」
聞き返す隙もなく、俺は再び床の上に押し倒され、またも唇をふさがれてしまった。
「まだそっち汚れてるぞ」
「はい……ここですか」
「違う。もちょっと右」
ソファの上に裸に毛布だけ巻いて寝転がったまま、俺は床を拭く古泉に指示を出す。
汗やらアレやらコレやらでぐちゃぐちゃになった床は、なんとか元の姿を取り戻しつつある。あとは明日、ハウスキーパーさんに掃除してもらうことになるだろう。……すみません、キーパーさん。変なもの掃除させて。
「こんなものですか」
「そうだな」
「では、掃除はこんなところで。お腹すきました?」
「ああ。そういや夕飯食べてないな」
「お家のご夕飯は」
「友達ん家で宿題やるって連絡したから、たぶん用意してないと思う」
「それなら、ピザでもとりましょうか」
「ああ。あと喉渇いた」
「はい。コーラでいいですか?」
「アイスコーヒー」
「了解しました」
……別に王様気取りってわけじゃないぞ?
あのあと、リミットゲージのぶっ壊れた古泉にさんざんイかされて、それでもどうにもおさまらないんで結局、挿れさせちまった。
まぁ、予想よりは回復してたんで、そっちにはそれほどダメージはなかった。けど、終始床の上だったこともあって……腰が痛てえんだよ。
「まだ動けませんか?」
豆を挽きながら、古泉が振り返る。動こうと思って動けないことはないがな。原因を作ったやつには、もうちょっと働いてもらうことにしよう。
「動けない」
「申し訳ありません。ホントに」
そうだ。猛省しやがれ、ケダモノが。
「はは。返す言葉もないです。……前の時、翌日死にそうな顔をしてらしたじゃないですか。
あれで本当に反省しまして、最低でも2週間は我慢しようと思っていたんですが……いやはや、人間の理性というものは、存外もろいものですねぇ」
「高尚な話にしようとすんな。お前の理性が惰弱なだけだろうが」
挽いた豆をフィルターに移し、沸騰している湯を専用のヤカンに注ぎながら、古泉は肩をすくめた。
「現在の僕が、ちょっとはじけ過ぎてるのは認めますよ。やっと想いが叶ったのが嬉しくて、絶賛舞い上がり中なんです。発情中と言ってもいいくらいです。もっとも……」
粉の上にぐるりと少量の湯をまわしかけ、しばらく放置。蒸らしているのだと、以前説明を受けた。
その間に古泉はピザ屋のメニュー表を持ってきて、適当に選んどいてくださいと言いつつ俺に渡した。
「もっとも……なんだよ」
「いろいろ問題を棚上げしてるのは、わかってるんですよね」
フィルターを通った湯が琥珀色に色づいて、コーヒーの香りを放つ。濃いめに淹れたそれを氷たっぷりのグラスに入れて、カラカラとかき混ぜて出来上がりだ。
グラスをふたつ持って戻ってきた古泉は、ひとつを俺に渡して、寝転がった俺の腹のあたりに腰を下ろす。
「こんなにのんびり幸せに浸っていられるのも、きっと今のうちだけなんでしょう。おそらく今後、いろんな面で支障が出てくるんだろうなと思います」
グラスに口をつけ、古泉は俺の方を見てにこりと笑う。
「それでも僕は……後悔だけはしないつもりですけどね」
「……」
俺は身体を起こしてローテーブルにグラスを置き、仮面みたいな笑みを浮かべる古泉の頬をぐいっと両手でつかんで横に引っ張った。
「痛っ! な、何するん……」
「無理に笑うなって言ってんだろうが。あと、あんま考えすぎんな。ハゲるぞ」
古泉が頬を押さえながら、目をしばたたく。俺はさっさと離した手で再びピザ屋のメニューを開き、眺めるふりをしながら早口でつぶやいた。
「煮詰まる前に俺に言え。……そのためにいるんじゃないのか、俺は」
しばらく間があったあと、ふわりと柔らかく、古泉が微笑む気配がした。今度の笑顔は、仮面のようなそれではないんだろう、きっと。
「……そう、ですね」
メニューに視線を固定したままの俺の肩に、古泉がよりかかってくる。ついでのようにキスされた俺の耳は、きっと真っ赤になっているに違いない。
ああもう、恥ずかしいこと言ったらますます腹が減ってきた。こうなったら、超豪華にトッピングてんこ盛りなピザを頼んでやるから覚悟しろよ、古泉?
くすっ、と幸せそうな笑い声が聞こえた。
「もちろん。あなたの望むままに」
END
(2009.11.06 up)