BAD COMMUNICATION
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 あ、やべ。

 ふっと我に返って、俺は視線を手元のチェス盤に戻した。
テキストを見ながらの独りチェス。パズルを解くみたいな、そいつの途中だった。いつもの対戦相手は、委員会の仕事だとか言って、一心不乱に原稿用紙に向かってるから仕方ない。
 えっと、この場合は……こっちか。よし、これでナイトをこうして……。
 カサッと古泉が紙をめくる音がした。その音に、俺の視線はまたやつの方を向いてしまう。
そして気がつくとまた、下を向いて書き物を続ける古泉の顔を眺めていた。
 ……ホント、キレイな顔だよな。あーむかつく。見てるとなんかドキドキしてくるのが、さらにむかつく。それから、俺がこんだけ見てるのに、一回も視線があわないくらい集中してやがるのがさらにさらにむかつくね。ちっとは気がつけよ。

 ――俺と古泉がいわゆるそーゆー関係になって、早や一週間。
さすがにあの日、無茶をしすぎたと思ったんだろう。それまでは3日とあけずに誘ってきていた古泉が、ここ一週間はさっぱりだ。
 別に待ってるわけじゃないが、涼しい顔しやがって。あのときはあんなにがっついてやがったくせにな。いや、なに考えてんだ俺。
 っと、また見ちまってた。やばいやばい。さすがにハルヒたちに、不審に思われる。
 再びテキストをお手本にチェス盤のコマを動かしたとき、長門が読んでいた本を閉じた音がした。お、今日はこれで終了か。
「じゃあ、今日の活動はここまで! みんな、帰るわよ!」
 勢いよく立ち上がったハルヒがそう宣言する。俺はうい〜っすとか適当な返事をして、チェス盤とコマを片付けた。古泉が書類をまとめはじめ、朝比奈さんが茶碗を集めて洗い場に持っていく。長門は本を鞄に入れるだけだ。
 さて、あとは朝比奈さんのお着替えタイムだし、先に帰るとするか。
「ちょっと待ちなさい、キョン。あと古泉くん!」
 ふいに、鞄を手にドアに向かった男子2名をハルヒが呼び止めた。
「なんだ?」
「何かご用ですか、涼宮さん」
 振り返るとハルヒは、腕を組んで仁王立ちといういつものポーズで、不機嫌そうに俺たちをにらんでいた。
 なんだよ、俺たちがなにかしたか? むしろ何もしなさすぎってくらい、ここしばらくはおとなしいぞ二人とも。

「あんたたち、今日は鍵をあずけるから、ここに二人で残ってちゃんと仲直りしなさい!」

 はぁ?
「わかってるのよ。団長たるもの、団員のことはみんなお見通しよ! 何があったか知らないけど、ケンカして一週間も冷戦状態って長すぎよ。いっそ殴り合いでもして、すっきりしちゃいなさい!」
 ……何を勘違いしてるんだ。ケンカ? 俺と古泉が?
「す、涼宮さん。我々は別にケンカをしているわけでは……」
 そうだ古泉、言ってやれ。別に俺たちはケンカしてるわけじゃなくてただ……いやいやいやいや、言えないぞ、ホントのことは。断じて!
「わかってるって言ってるじゃない。どうせ、キョンが全面的に悪いに決まってるわ!」
「いや、なんでだよ」
「だって、キョンってばずーっと古泉くんに何か言いたそうにしてたじゃない。その一方で古泉くんは完全無視。なにかキョンが古泉くんを怒らせるようなことしたんでしょ?」
 決めつけるハルヒ。俺が悪役か。てか、古泉を怒らせるって、どうすりゃいいんだ? 想像もつかんぞ。
「ええええ〜。そうだったんですかぁ? キョンくん、早く仲直りしてくださいね」
 ああ、朝比奈さん。あなたまでハルヒの妄言を信じないでくださいよ。……長門、なんだその目は。
「……わかった」
 だから何が!
「とにかくっ! SOS団の士気にかかわる問題だから、さっさと殴り合いでも話し合いでもやっちゃってね! さ、みくるちゃん、今日は隣のコンピ研の部室を明け渡させるから、そっちで着替えましょ」
 そう言ってハルヒは、着替えと鞄を抱えた朝比奈さんの背中を押して部屋を出て行った。
そのあとを長門が足音も立てずについていき、やがて隣の部室から、悲鳴とあわてふためいて走り去るコンピ研のメンバーらしき足音が聞こえた。あわれな……。
 その後はハルヒが鍵を渡すのを忘れたと戻ってきて、明日にはちゃんと元通りの状態になってないと許さないわよ、と宣言し、制服姿の朝比奈さんと長門を引き連れて出て行った。

「……なんなんだ」
 俺が呆然とつぶやくと、古泉がいつもの調子で肩をすくめた。
「まいりましたね。まったく、女性のカンはあなどれません」
「だいぶ見当違いだけどな」
「それでも僕たちの様子がいつもと違うということは、正確に見抜いてましたよ?」
 そういやここしばらくは、あんまりゲームはしてなかったかな。ついお互いに意識しちまって近くに寄れなかったというか……何気ないやりとりでバレたら困るなという思惑が、過剰に出ちまったというか。
 それでなんとなく、バラバラに本読んだり、課題やったりしてたかな。でも同級生の男同士って、普通そんなもんだろ?
「僕たちの場合、むしろ普通にしてるとおかしいみたいですねぇ」
 困ったように笑って、古泉が言った。立っているのもなんだからと、いつもの長テーブルに向かいあって腰掛ける。古泉は手を組み合わせ、そこにあごをのせたポーズで俺を見た。
 あ、なんか目があったのひさびさな気がするぞ。
「……あの」
 ますます困った顔で、古泉が笑った。なんだよ。
「いきなりそんな可愛い顔をしないでくれませんか。心臓に悪い」
「はぁ!?」
 なに言ってんだ、いきなり。
「自覚ナシですか、やれやれですね……」
「だから何が」
「あなた、僕と目があうと、なんというか無防備な、笑顔の寸前みたいな顔になるんですよ。そんな顔みせられて、僕がどれだけ自制心を試されているかわかりますか? それなのに、気がつくとあなたは僕の方に視線を向けているし……涼宮さんの言うとおり、無視しているくらいしか対抗手段がありませんよ」
 ふう、とわざとらしいため息をつく。
「いや、だってお前……委員会だかの書類に集中してただろ?」
「見ますか?」
 古泉は鞄の中から、さっきまで熱心に綴っていた書類を取りだして広げた。……なんだこりゃ。数式にしか見えんが。
「そうですよ。あなたの視線のせいで、どうにも暴走しそうになるのを必死で鎮めていた結果です。思いつく限りの数式やら化学式やらを片っ端から」
「……そりゃ悪かった」
 しかたなく謝ってみた。なんだか理不尽な気もするが。
「でも、そんな状態では涼宮さんに余計な心配をかけてしまうようですね。反省しなくては。明日からは、いままで通りにふるまうよう心がけましょう」
「いままで通りってあれか。話するたびに顔が近かったり息がかかったり耳元でささやいたりするやつか」
「それと、また二人でボードゲームでもやりますか」
 それが普通の状態って、おかしいだろ……。俺は思わず盛大にため息をついて、頬杖をつきながら目の前で笑ってる男に毒づいた。
「それでいままで通りに戻すとして、大丈夫なのかお前は。ゲームしながら数式唱えてるわけにもいかんだろ?」
「それなんですけどね。まぁ、今現在、こんな暴走寸前な状態になっているのには原因がありますし、解決法も……ご存じですよね?」
 は? 原因?
 まじまじと古泉を見る。と、古泉の顔にめずらしい表情が浮かんだ。なんか照れてる? 
 ……あー、もしかして。
「……涼しい顔してるから、平気なんだと思ってたな」
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
 いや、力説されても。古泉はちょっと恨みがましい目でこっちを見る、おお、これもあんまり見たことのない表情だな。
「あなたこそ、余裕ですよね。僕がこんな状態なのに」
 恨み節か。こいつでもこんなこと言うんだな、面白い。俺はわざと余裕ぶった態度で、爆弾を落としてやることにする。
「そんなことあるわけないだろ? お前をずっと見ててさ」
「……!」
 お、赤くなった。すごいな、火を噴きそうってこんな顔のことかな。
「……あなたは、意外と意地が悪いですね。人を翻弄して楽しいですか」
 ああ、楽しいね。
「な……」
「今まで知らなかったお前が見られるのがな。笑顔ぐらいしかみたことなかったから、いろんな表情見るのが楽しいし、嬉しい」
 あ、今度は下向いちまったな。手で顔覆ったら見えないぞ、古泉。
「あなたって人は……」
 ガタ、と古泉が立ち上がった。長テーブルをまわって、俺の方にやってくる。おい?
「学校では、自重しようと思ってたんですが」
「お、おい落ち着け」
 身の危険を感じて、思わず立ってあとずさる。と、そのまま押されてロッカーと本棚の隙間に押し込められた。なるほど、ここなら死角だな、っておい!
「……あなたがいけないんですよ?」
 唇が塞がれる。するりと舌が入り込んできて、古泉の舌がなんなく俺のそれをとらえた。そのままなすすべもなく、俺の口腔内はやつの舌に蹂躙される。
「ん……ちょ……ぁ」
 舌を吸われ、噛まれ、舐められて、唾液がまじりあう。苦しくて息を継ぐと、さらに深く舌が進入してきて、しつこくしつこく絡んでくる。
 な、なんかやばいぞこれ……身体熱いし、だんだん腰、と……足に力が……。
「あ……しが……」
 ガクガクと足が震える。座り込みそうになる俺を壁に押しつけて、古泉はさらに俺の鼻と頬と顎に口づけ舌を這わせて、再び唇をあわせて舌を潜り込ませてきた。唾液が唇の端を伝い落ちる。でも俺はそんなことを気にする余裕もなく、萎えそうになる足を必死で支え、腰のあたりにじわじわと広がる疼きに耐えていた。
 ……やばい。すごい、気持ちよすぎる。
「ん……こいず……だめだ……やめ……っ」
「やめてあげません」
 キスとキスの合間に、古泉は楽しそうにささやく。そしてついでのように、俺の両脚の間に自分の右足をもぐりこませてきた。グイグイとソコが押され、布越しの刺激がじれったくて身をよじる。
「お仕置きです。……いろいろと、ね」
「ちょ……」
 じわり、と、こみ上げてくるものがある。いや、そんな……たしかにここ一週間、あれだったけど。でもまさか、キスだけで……なんて。
 も、腿をすりつけるな、やばいから……っ! や、やめ……っ!

「んぅ……っ!」
「あれ?」

 ガクリと脱力して、ずるずると壁に背中を預けて座り込んでしまった俺を、床に片ヒザをついた古泉があせった顔で見てる。息は荒いし、顔は火照ってるし、たぶん涙目だし、きっとすぐバレるな。ああもう、史上最高にいたたまれない……誰か俺を殺してくれ。
「大丈夫ですか?」
「うるさい。あっち行け。顔見るなアホ古泉」
 かくなる上はやつあたりだ。それしかない。
 古泉は首をかしげて、真面目な顔で声をひそめた。
「もしかして……イっちゃったんですか。キスだけで?」
 言うな、アホ泉ーっ! あわてて耳をふさいでも後の祭り。
古泉のものすごく嬉しそうなニヤケ顔を至近距離で見ることになって、もうこいつ殺して俺も死ぬ。
「嬉しいです……すごく」
 だからそんな幸せそうな顔と声で、抱きしめるな! というか、ズボンの中が気持ち悪いんだからなんとかしろ!
「それは……我慢していただくしか。着替えもないですし」
「やかましい。お前のせいなんだから、なんとかしろ!」
 これぞやつあたり。理不尽の固まりだ、まいったか。……と、ささやかな勝利に酔いしれようとしたが甘かった。こいつの本業(?)が、ハルヒの理不尽なワガママを聞くことだってのを忘れてた。
「わかりました。なんとかしましょう」
「え」
 そういって古泉は、どこかに電話をかけた。いくつかのやりとりのあと、にっこり笑ってヤツは、迎えが来るので大丈夫ですよ、と抜かしやがった。
「って、おま」
「心配なさらなくても、階段から落ちそうになって足をひねったらしいと言っておきましたから。とりあえず僕の部屋で様子を見て、腫れてきたら病院に行くという設定です。あ、申し訳ありませんが、下までは我慢して歩いてくださいね。できればお姫様だっこでお連れしたいところですが、さすがに校内では……痛っ、蹴らないでくださいよ」
「その校内でコトに及んだのは誰なんだよ。だいたい、なんでお前んちに行く設定になってんだ」
 ガンガン蹴りつけながら、とりあえず文句を言っておく。古泉は痛い痛いと俺の足をよけつつ、にこにこと上機嫌だ。
「もちろん、団長命令にしたがって、我々の仲を普段通りに修復すべく、人類史上もっとも原始的なコミュニケーションに励むのです。……あなただって」
 そこで古泉は、また耳元に近づいてささやいた。
「これしきじゃ、おさまらないですよね?」
 ……まぁ、そうだけどよ。
 古泉の携帯にメールが届く。どうやら迎えが到着したらしい。俺はやれやれと肩をすくめて、足をくじいたフリをしつつ団室をあとにする。
 まぁ確かに、相手と目も合わせられないなんて中学生レベル、早いとこなんとかしないといけないんだけど……なんて思ったところで、俺はおかしなことに気づいて、笑っちまった。
「どうしました?」
 廊下の端まで迎えに来ている新川さんに手をあげて挨拶しながら、古泉が問いかける。
「いや、別に」
 なんか俺たち、いわゆる恋愛のステップみたいなものの順番がめちゃくちゃだな。告白から始まってるのはいいんだが、そのあとが。
 ……でもまぁ、いいか。どうせ、普通じゃないことには慣れっこだ。慣れたくなかったけど。
「古泉」
「はい?」
 くじいた足をかばうふりで古泉の肩に腕をまわしているのをいいことに、俺は古泉にだけ聞こえる声でささやいてやった。お返しだ。
「……早く帰って、続きしようぜ?」
 古泉の顔が耳まで赤く染まった。思わず吹き出すと、憶えててくださいねと恨みがましい返事が返ってきた。
 まったく面白い。こいつのこんな顔、見られるのは俺だけなんだろう。
 ――まぁ、こんな日も、悪くない。ちょっとだけ、ハルヒに感謝だな。



                                                   END
(2009.10.30 up)

 晴れて恋人同士になったので、このへんからバカップルモード全開。
こんなにキョンがデレるはずでは……おかしいな……。