Call my name
05
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「古泉幕僚総長」
 ブリッジを出ようとしていたところを、背後から呼び止められた。僕は足を止めて振り返り、声の主がやってくるのを待ち受ける。
「何かご用ですか、キョン作戦参謀」
「お急ぎのところ、申しわけありません」
 僕の前で立ち止まり、彼はそう言いながら敬礼した。
「これから休憩シフトなので、問題ありません。それで?」
「は。来月に予定されている合同演習についてなのですが」
 手にしていた端末を開き、彼は作戦立案書を広げる。はて、この件については、彼と長門さんに一任してあるはずだが。
「それが、立案書をご覧になった閣下からクレームが入りまして……」
 苦い顔でそう言う彼に、僕はなるほどと苦笑してうなずいてみせる。そして説明を始めようとする彼の言葉を遮り、急ぎの仕事はありますかと尋ねた。特にないという答えを聞いたので、彼を僕の私室に誘う。話が長くなりそうだし、涼宮さんのわがままについての愚痴は、あまり外聞がよろしくないからだ。
「この間、辺境惑星に旅行に行った知人からめずらしいお茶をいただいたので、ごちそうしますよ」
「はぁ……」
 警戒心もあらわな彼に、僕はにっこりと笑ってみせる。
「何もしませんよ? 今日は」
「何のことですか」
「さすがに時間がないですしね」
「ですから、なんの」
 かみあわない会話を交わしたのち、彼はやがて溜息をついて、いったん端末を閉じた。やれやれという言葉が、聞こえてきそうだ。
「……了解しました。信用することにします」
「ふふ。ありがとうございます。では、行きましょう」
 彼が副長に席をはずす旨を伝えるのを待ってから、僕は彼と並んでブリッジをあとにした。



 彼が、僕とふたりきりになることに警戒心をあらわにするのも、まぁ無理はない。二人揃って休暇を取り、訓練という名目で彼をさんざんに辱めたのはまだ、ほんの28時間ほど前のことだ。
 あの日、完全に意識を失ってしまった彼を前に、さすがにやりすぎたかと反省した(賢者タイムともいえる)僕は、ぐったりした彼の拘束を解いて簡易ベッドへと運ぶことにした。部屋の隅に用意した移動用簡易ベッドに寝かせ、ついでに湯で濡らして絞ったタオルで、汗や涙や涎にまみれた顔と、どろどろの身体を拭いてやる。きちんと上掛けをかけなおしたところで、彼がようやく意識を取り戻した。
 とはいえ、まだいささか朦朧としているようで、ぽやんとした顔でただ僕を見上げている。
「大丈夫ですか? 身体の方は」
 ボンヤリしてはいるが質問の意味は理解しているらしく、彼はこくりとうなずいた。僕は悪びれない態度で、とりあえず謝罪をする。
「すみません、ちょっと無茶をしました。でも元はと言えばあなたが、強情なのがいけないんですからね?」
 いくら言っても、昔のように僕を呼び捨てようとしないから。そのせいなのだからと、拗ねたような口調で言い張る。我ながらまるで、親に咎められて屁理屈をこねる子供みたいだ。
 すると彼が口を開け、何かを言おうとした。が、さんざん叫んでよがり声を上げ続けたせいで、喉が嗄れたのか声がうまく出ないようだ。かろうじて聞き取れたのは、なんでそんなに、という質問だった。
 呼び捨てや敬語なしにこだわる理由だろうか? そう聞くと彼は、こくこくと頷く。
「さぁ……なんとなく嫌だったんです。それだけで、特に理由なんてありませんよ」
 僕の答えを聞いた彼の眉間に不機嫌そうな皺が寄る。なんとなく≠ナあんな目にあわされたのかと彼が怒りたくなるのは、さすがにわかる。僕は手を伸ばして彼の眉間の皺に触れて、ふふっと含み笑った。
「……約束は、守ってくださいね」
 黙って見返す彼の額を強めに押さえて、僕は目を細めてみせる。
「降参、しましたよね。あなた」
「…………っ」
「いつか、殺してくれるんでしょう? 楽しみにしてますね」
 僕は本気でそう言ったのだが、彼は混ぜっ返されたと思ったのか、ますます不機嫌そうに顔をしかめた。そして再び目を閉じ、ふて腐れたように寝返りをうって布団に潜り込んでしまう。
 しばらくするとかすかに寝息が聞こえてきたので、僕も床に座り込みベッドに寄りかかる。そして、彼のこんな寝息を聞くのは何年ぶりだったろうと考えながら、ボンヤリと天井を眺めつつ、休暇が終わるのを待ったのだった。



「では、そういうことで調整をお願いします。長門さんには僕の方から伝えておきますので」
「了解しました。閣下にもさっそくその方向で再検討を要請します」
 演習の内容をもっと派手にしたいとの涼宮閣下の要望を、できうる限り叶える方向で草案をまとめ、僕らの秘密会議は終了した。涼宮さんのわがままにかなり辟易しているらしい彼は終始苦い顔だったから、僕もつい苦笑してしまう。
「困ったものですね、涼宮さんのわがままにも」
「まったく。あれは権力を与えてはいけない種類の人間ではないかと、自分は思います」
 言葉を選びながら、それでも歯に衣は着せない彼の言い方は昔の通りだ。涼宮さんの精神状態はここのところ安定せず、彼を近くに呼び寄せたのは失敗ではなかったかと思いもしたのだが、全方向に敵なしの彼女のことをこんな風に言えるのは、おそらく彼だけだろう。それだけでも貴重な人材と言える。
「まぁ、あの奔放さが彼女のいいところでもありますし……ああ、待ってくださいね。今、お茶を淹れますから」
「お構いなく。自分はすぐにブリッジに戻りますので」
 席を立ってキッチンセットに向かう僕の背に向け、彼がそう言う。本気ですぐに戻るつもりらしい声の響きに、もしかしたら何もしないというさっきの約束を、実は信じていないのだろうかと思った。まぁ、無理もない。
「朝比奈さんの淹れてくださるものほどではありませんが、なかなかおいしいお茶なんです。そう言わずに、ゆっくりしていってくださいよ。あなたもお疲れでしょうし」
 そこで僕は振り返り、彼に意味ありげな視線を送ってみる。
「……昨日の、今日ですしね」
「…………っ!」
「なんでしたら、少し休んでいきますか? ベッド、空いてますよ」
 その意味はもちろん彼にも通じただろう。彼はにわかに身をかたくし、ソファからそそくさと立ち上がろうとする様子を見せた。そこで僕は、すかさず無理ですよと牽制する。
「ドアはロックしてあります。あなたの権限では、開けられないでしょうね」
 彼の鋭い視線が肌に食い込むようで、僕はついにやにやとしてしまう。彼は警戒心を顕わにしたまま、僕を総長と呼んだ。
「悪ふざけもいい加減にしてください」
「総長、じゃないでしょう? 今、僕は休憩中だと言ったはずです」
 約束はどうなりましたと言うと彼は口を噤み、さらに睨みつけてくる。僕はしばらくその視線を堪能してから、やがて肩をすくめて微笑んだ。
「冗談ですよ。ドアはいつでも開けられます」
 ロックの表示は出ていないでしょとドア横のパネルを示し、僕は再びキッチンへと足を運ぶ。彼に背を向け、いつでも彼が逃げられるようにして、それでもと言葉を重ねた。
「お茶くらいは飲んで行ってくださいよ。大丈夫、何もしないという約束は守りますから」
 背中で感じる彼の気配は、戸惑っているのか躊躇っているのか、あまり落ち着かないようだ。ちらりと背後を見ると、不承不承と言った顔で、彼がソファに座り直したところだった。
「すぐ淹れますから。くつろいでくださいね」
「……おかまいなく」
 不機嫌そうな声に笑みをもらし、僕は茶葉の入った缶をあける。
 28時間前、彼はレンタルスペースのベッドで目を覚ましてから基地に戻るまで、ひとことも口を利かなかった。別れ際は敬礼だけで自分のフラットに戻ってしまい、今日は普通に勤務。快楽によって屈服させ取りつけたはずの約束は、いまだ実行されていない。あんな手段でさせられた約束を守る気が、彼にあるのかもわからない。
 まぁ、いいか。まだ強情を張るというのなら、さらに別の手段を講じるまでだ。そう考えつつポットに湯を注ごうとしたその時、聞き慣れたアラームが聞こえた。とっさに自分の腕の通信ユニットを見たが、着信はない。振り返ると彼が、自分のユニットを確認しているところだった。
 たたんだ端末を手に、彼がサッとソファから立ち上がる。
「申しわけありませんが、ブリッジから戻ってくるよう連絡が入りましたので、自分はこれで。せっかくのお茶を相伴できず、残念です」
「仕方ありませんね。では、お茶はまたの機会に」
 きびきびとした動作で出口に向かう彼をドアまで送る。失礼しますと敬礼する彼の姿ににわかに悪戯心が湧き、ぐいと顎を掴んでくちづけた。強引に唇を割り、ひと通り舌を貪ってから離してやる。
「惜しいですね。時間があれば、また昨日みたいに、失神するくらい気持ちよくしてさしあげられたのに。まぁ、何もしないと約束してしまいましたしね」
 彼は反射的にか袖口で唇を拭い、また僕を睨みつける。そして低い声で、あなたは休憩シフトでしょうと呟いた。
「休憩時間に休憩を取るのも、服務規程の一環です。ちゃんと休んでください。それと」
 彼は僕に背を向け、パネルに手を伸ばしながら言った。
「……ああいう特殊なプレイは、本人の同意を得てからにした方がいいと思うぞ。次からはそうしてくれ。――古泉」
 パートナーだって言うなら、と独り言のように呟き、彼はパネルに触れてドアを開け、さっさと廊下に足を踏み出した。もう一度敬礼し、早足で立ち去って行く彼の後ろ姿を、僕はしばし呆然と見送った。
 胸の中に馬鹿みたいに湧き上がって来る感情がなんなのか、そのときの僕にはまだわからなかった。



                                                   END
(2014.11.03 up)
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次は参謀側の心情を書きたいです。