tautology
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 俺の世界≠ェ悪夢に塗り替えられた日。
 一人でよろよろと自分のフラットに帰った俺は、シャワールームに直行した。
 リサイクル設備が整っているとはいえ、人工建造物である拠点基地や戦艦内では、水や空気の無駄遣いは極力控えるのが宇宙で暮らす者の常識だ。が、今日ばかりはその常識に一時蓋をして、思うさま湯を浴びて、気がすむまで身体を洗浄した。
 後ろ……のそこは、どう処理したものか見当がつかなかった。何度洗っても、まだ何かが出てくる気がする。しかたなく指を入れて掻き出そうと試みはしたんだが、やってる途中で何もかもイヤになり、結局そのまま放置してシャワールームを出た。
 ぐしゃぐしゃの制服は、出来れば捨てちまたかった。が、まだ支給されたばかりの制服を理由もなく廃棄したら備品科に何を言われるかわからないし、新しいものの申請には手間がかかる。言い訳を考えるのも面倒だ。俺は舌打ちして、ヤケクソ気味に制服と下着類をまとめてランドリーに突っ込んでから、ベッドに入ってシーツを頭から引きかぶった。
 次のシフトのまでの数時間。何度もうなされ、浅い眠りを嫌な夢に邪魔された。
 それでも、どんな悪夢も現実の悪夢よりはよほどマシだった。



 翌日から俺は、勤務の合間を縫って資料室に通った。
 古泉が俺に吹き込んだトンデモ話が真実か、それともあいつの嘘や妄言の類なのか、何か裏付けがとれないものかと考えたからだ。一方的にまくしたてられて、頭から信じるほど俺はおめでたくない。ましてやあんな、フィクションかホラ話かはたまた狂人の戯言かって内容、鵜呑みにするやつがいたら、俺だったら医療科に行けと忠告するね。
 古泉は俺のそんな行動に、気がついてはいるはずだ。が、特に何か干渉してくるわけでもない。いつも通りににこやかな幕僚総長を演じているその態度を見る限りでは、あれが本当に真実だから落ち着いてるのか、それとも俺ごときにはバレっこないと思ってるからなのか、判断はつかないな。
「……くそ、やっぱりダメか」
 7年前に終結した移民軍との戦争の停戦理由は、どこをどう調べてみても、相手側からの突然の和平条約の申し入れによりという説明以外は出てこない。なぜ唐突にそんな話になったのかは外交上の機密とされていて、俺の権限では機密の内容まではたどり着けなかった。
 一個師団の作戦参謀程度の権限では足りないのか。というか、なぜ和平交渉のきっかけが機密扱いなんだ? 古泉が語ったトンデモ話以外なら、どんな理由なら機密になるだろう。
 信憑性の薄いゴシップ雑誌の類には、相手方の指導者が汎銀河連邦側の暗殺者に殺されたからだとか、もともと地球への帰還を希望していたはずの彼らに、どこかの居住可能な惑星の権利を譲渡するなどの裏取引によって和解が成立したのだとかいう推測が語られている。が、どれもこれといった証拠はなく、したがって古泉の話と同等に信用には値しない。
 つまり、何もわからないということだな。まぁ、考えようによっては、調べられないことこそが、古泉の話の信憑性を証明してることにもなると言えるかもしれん。どうにも、悪魔の証明っぽいが。
 結局いくら探っても埒があかず、この方面で攻めるには無理があると悟った俺は、別の方面からのアプローチを画策した。とは言っても、材料はそれほど多くはない。思案したあげく、端末に別のデータを呼び出した。
「神人、か……」
 未確認宇宙生命体D77A−β−305号。古泉に言わせれば、ハルヒの精神が不安定になると生み出される不満や不安の具現だという青い巨人。
 件の生命体には、出現に法則性はないとされている。
 出現するのは主に、マザーアース周辺。ときおりそれ以外の場所で観測されることもあり、汎銀河系の各所に配置された特殊空戦隊が処理に当たっているという。
 このあたり、俺には少々ひっかかる。
 もしもハルヒがあの空間を生み出しているとして、マザーアース周辺ならともかく、そんな自分から何光年も離れた場所にフラストレーションを発散する場など作るものなんだろうか。あいつの守備範囲(というとおかしいが)はどれほど広いんだ。
 俺は本星にある軍本部のデータベースにアクセスし、このSOS艦隊以外の特殊空戦部隊の隊員について調べてみた。誰かひとりくらい、知ってる奴がいないもんかと思ったからだ。古泉の言いぐさによれば部外者には隠す方針らしいから、いたとしても何か聞き出すのは無理かもしれんが。
 出身校や任地でソートをかけてみたが、とりあえず知りあいはいないな。名前を知っている程度の者もいない。同じ時期に士官学校の同じ専科にいたはずの人物もいるのに、不自然なくらい誰の名も顔も記憶に引っかからなかった。
 不審に思いつつも、俺はともかく名簿から、同じ時期に戦術防衛科にいたと推測される同じ年齢のアジア地区出身の人物を選び(共通項が多い方が打ち解けやすいだろうと思ったからだ)、コンタクトを試みた。
「作戦行動中につき、アクセス不可……?」
 なんだこれは。最前線にでも出てるのか。
 仕方ないと、同じ条件の違う人物にコンタクトしてみる。が、返ってきたのは同じ結果だった。違う部隊にいるはずの人間なのにだ。しかもその後、何人か試しても同じだった。あまりにも不自然すぎる。
「特殊工作員扱いなのか?」
 あの空間が発生していないときは、普通に働いているはずなのに?
 じわじわと胸に、嫌な予感が広がっていく。調べれば調べるほど、古泉のあの話が真実である以外の結論が遠ざかっていく。俺はそれでもまだ、一縷の望みを賭けて次の方法を模索した。
 正攻法ではダメだ。ならばもう、ハッキングなどの不正手段に打って出るしかない。が、相手は曲がりなりにも軍のコンピューターシステムなのだ。マザーアースの中枢ともつながっているネットワークに介入し、しかもセキュリティを突破することなど、常識的に考えればできるわけがない。……だけど、実は俺には心当たりがあるのだ。そういうことを、出来そうな人物に。
「…………」
 端末のモニタを見つめ、眉間に皺を寄せる。
 そのとき俺の頭に浮かんでいたのは、長門有希情報参謀の、静謐なまなざしだった。あいつにならたぶん、そのくらいの芸当は難しくないはずだ。が、果たしてあいつを巻き込んでいいものか……。
 長門有希は、実は生身の人間ではない。
 彼女の正体は、計り知れない情報処理能力を有する有機アンドロイドだ。俺はその事実を士官学校時代に、ひょんなことから知ることとなったのだが、一体どこの誰に製作されたものなのかまでは知らない。聞いても長門が答えなかったんでな。
 あいつは嘘はつかない(というか、嘘という概念が組み込まれていないらしい)から、答えられないことや答えたくないことには沈黙を貫く。だからたぶん、一般人には教えちゃいけない禁則事項なのだろう。しかしまぁ、士官学校に通い、卒業後は軍に入ったのだから、製作者は推して知るべしだと俺は思っていた。
 おそらく、長門を造ったのは、汎銀河連邦軍の関連研究所のどこかなんだと思う。何らかの実験のために、普通の生徒のふりをして士官学校に通っていたのだろうというのが俺の予想だ。たぶん、人の間に混じって生活してもバレないレベルのアンドロイド、とかいうのが最終目標なのじゃないか。
 長門自身にどこまで自由な行動が許されているのかはわからないが、学生時代に長門はよく、ハルヒの求めに応じて学校内のコンピューターをハッキングし、痕跡も残さずに悪戯をしかけるようなことをしていた。成績を改竄したり授業に関する情報を盗んだりと言ったことにはハルヒが興味を示さなかったので、悪戯自体は他愛ないことばかりだったが、あの見事な手腕にかかれば軍のコンピューターだろうとおそらくは……。
「いかん。何を考えてんだ俺は」
 いいものかもなにも、間違いなく犯罪となるそんなことに、長門を引きずり込むわけにはいかないだろうが。
 俺はぶるぶると首を振って、ネットワークからログアウトし端末を閉じた。長門がアンドロイドであろうがなんだろうが、俺にとって彼女はかけがえのない仲間なのだ。なんだかんだ言っても、SOS団での活動は楽しい記憶のひとつとなっているのだから、そんな美しい思い出の1ページに自らケチをつけることもあるまい。
 ……と、そこまで考えて、すでに手遅れだったことを思い出す。
 かけがえのない、とか、SOS団とかいう単語が苦々しい気持ちを呼び寄せて、思わず舌打ちした。悪夢の記憶が脳裏に蘇る。思い出の1ページなんて、すでにズタボロだ。
 身体に残ったダメージはもう快復したが、心の方はそう簡単にはいかない。レイプは、人の尊厳を破壊するものなのだなと肌で理解した。
「大丈夫だ。あんなものに負けてたまるか」
 ぎゅっと、わざと痛いくらいに二の腕をつかんで、俺は深呼吸を繰り返した。
 俺は男だから、貞操だのなんだのにこだわりはない。単に、親友だと思っていた相手に裏切られたことと、理不尽な暴力に屈したことが悔しいだけだ。憶えてろよ古泉。俺は決して、お前の思い通りになんてならない。
 資料室のせまいブースを後にしながら、俺は唇を噛みしめた。



『キョン! あんた、休憩中どこにいたのよ』
 司令部に戻ると、すぐに執務室にいるハルヒから呼び出しがかかった。応答すると同時にそう聞かれて一瞬言葉につまったのは、すぐ近くの席に古泉がいたからだ。が、別にやってることを隠してるわけでもないし。
「……資料室で、調べ物をしておりましたが。何かご用でしたら、通信ユニットにご連絡くだされば駆けつけましたのに」
『資料室? あんな辛気くさいとこで何してたのよ』
 だから調べ物だって言ってんだろうが、と心の中だけで言い返し、無難な返答を探していたらハルヒは俺が口を開く前にさっさと話の矛先を変えた。
『ま、そんなのどうでもいいわ! すぐにこっち来なさい。すごい報せがあるのよ!』
「はぁ。どのようなことですか」
『あんたの反応を直接見たいから、こっち来てからのお楽しみよ!』
 それだけで通信は切断された。ハルヒの奴、えらい上機嫌だったな。なんなんだ一体。小首をかしげて、見るともなしに古泉の方へ視線を向けたら、古泉は肩をすくめて苦笑した。
「早く行ってさしあげてください。お待ちかねですよ」
「古泉総長は、その報せとやらをご存じなんですか」
「知っていますけど、涼宮閣下のご意向を……というか、お楽しみを奪うわけにはいきませんのでね。閣下から直接お伺いください」
 はぁ、と曖昧な返事をして、しかたなく俺はハルヒの執務室へと向かった。俺の反応だって? 悪趣味な奴だ。だがなぁ、ハルヒが期待したようなリアクションは返せない自信があるぞ俺は。
 執務室に入ると、ハルヒがデスクの向こうから身を乗り出して待ち構えていた。
「お呼びでしょうか。涼宮閣下」
「遅いわよ、キョン! あたしが呼び出したら、40秒で駆けつけなさい!」
「は、申し訳ありません。それで、すごい報せとは」
 無茶なことほざいてないでさっさと本題に入りやがれと言外に促してそう言ったら、ハルヒの口元がにんまりとほころんだ。本当に上機嫌だな。大きな瞳が、銀河系の中心をなす恒星みたいにキラキラと輝いている。
「ふふふふふ、喜びなさい! やっと、みくるちゃんがうちに来れることになったわ!」
 ……ああ、とうとう朝比奈さんもか。
 ハルヒの報告を聞いて、最初に俺が思ったのはそれだった。久しぶりに会える喜びや、元SOS団が再び集結する嬉しさよりも、まずはやれやれ気の毒にとの思いが先に来てしまう。それは朝比奈さんが学生時代、ハルヒの奴にマスコット扱いされて、コスプレを強要されたりオモチャにされたり引っ張り回されたりと暴虐無人なふるまいを受けていたからだ。まぁ、ハルヒに悪気がなかったことはわかってたし、朝比奈さんもそれなりに楽しそうではあったんだがな。
 ふと、そういえば彼女のお茶は絶品だったなと、なつかしい記憶がよみがえる。今どき一切のマシンを使わず、湯の温度すら手動で計って淹れて下さる紅茶や緑茶は、まさに至上の甘露だった。ぜひまたごちそうになりたいもんだ。
「……なによキョン。にやにやしちゃって」
 はっと我に返ると、じっと俺を見てたらしいハルヒと目があった。自分の方こそにやにやと頬を緩ませながら、腕を組んで背もたれにそっくりかえる。
「そんなに嬉しい? そういえばあんた、みくるちゃんのファンだったものね。どーせメイド服とか水着姿とか思い出してたんでしょ」
「い、いえ、まさかそんなことは。ただ、彼女のお茶は美味しかったなと考えてただけですよ」
 あわてて本当のことを言ってみたが、どうやらハルヒには言い訳にしか聞こえなかったようだ。はいはい、としたり顔でうなずく態度についイラッとして、さらに言い募ろうとしたがハルヒの奴は聞く耳を持ちやしない。
「みくるちゃんの到着予定時刻は、本日2100よ。古泉くんに、近いうちに絶対歓迎会やるからスケジュール調整してって言っといてちょうだい。戻ってよし!」
 そう言われてしまえば、部下の俺になんの反論ができよう。踵を鳴らして敬礼し、退出の挨拶をするしかなかった。

 釈然としないまま戻った司令部は、なぜか慌ただしい雰囲気だった。
 何事かとあたりを見回すが、古泉の姿は見えない。俺は持ち場に戻って、何があったのかと俺の副官に問いただした。が、彼が答える前に、返事は別の方面から来た。
「次元変異の数値が上昇傾向にある」
 モニタから目を離さずに淡々とそう教えてくれたのは、情報参謀の席に座った長門だった。俺は副官に合図して下がらせ、長門の側に行っていっしょにモニタをのぞき込んだ。
「閉鎖空間か?」
「まだ出現はしていない。前兆が観測されている状態。古泉一樹幕僚総長は、連絡を受けて特殊空戦部隊本部へ出向した。彼から、一時預かっていた指揮権をあなたに託す」
「了解した。それで、出現の確率はどんなもんだ?」
「変動している」
 長門の説明によると、どうやら閉鎖空間は出現しそうでしない微妙な数値を行ったり来たりしているらしい。空戦部隊の方はすでに招集され、現在は哨戒機が出動中。その他のパイロットは待機中であるという。
 表示されている数値は、確かに微妙なラインを行きつ戻りつしている。なんとも煮え切らない、嫌な感じだ。司令部もそわそわと落ち着かない。俺は数値が示されたモニタから目を離し、司令官席をちらりと見上げた。
「ハル……涼宮閣下に報告は」
「完了している。出現が確実になるまで、執務室で待機とのこと」
「そうか……」
 空席の司令官席と副官席を見比べて、俺は眉間に皺を寄せた。さっきまでのハルヒの様子を思い出す。閉鎖空間が出現しそうになっている? 古泉の話によれば確か……。
 ――おかしくないか?
「……上機嫌だったぞ?」
 閉鎖空間は、ハルヒが不機嫌になったり不安を感じたり、とにかく不安定な精神状態になったときに現れるのだと、古泉は言ってたよな? だが、ついさっき執務室で見たハルヒは、朝比奈さんが来てSOS団が揃うってことで、たいそうご機嫌だった。ニヤニヤと楽しそうにしながら、俺をからかうことに余念がなかった。だったらあんな様子で、閉鎖空間なんて出来るわけないじゃないか?
「古泉の野郎……」
 やっぱり、全部嘘だったんじゃないかという考えが、もやもやと湧き上がる。俺のことがよっぽど嫌いで、なんとか酷い目にあわせてやろうって魂胆で、あんな作り話をしたって可能性が高い気がしてきた。あの野郎。
 ギリッっと歯を食いしばったとき、ふと長門がじっと見上げていることに気づいた。つい口に出しちまったのを聞かれたらしい。俺は無理に少し笑って、なんでもないと首を振ってみせた。
「こっちの話だ。気にするな」
「…………」
 だが長門は、それでもじっと俺を見つめたままだった。磨かれた鏡面素材みたいなその瞳に、俺の顔が映り込んでいる。何か言いたげなまなざしに俺が首を傾げたとき……長門は抑揚のない口調で、さらりと告げた。

「涼宮ハルヒの精神状態は概ね良好。ただし、僅かな懸念がこの次元変異を引き起こしている」

「な……っ」
「原因は、朝比奈みくるに対するあなたの態度にあると予想される。涼宮ハルヒ本人も気づいていない、心の引っかかりのようなもの。顕在化しない精神の掻痒が、数値の不安定な変動に影響していると思われる」
 淡々とした長門の説明を、じわじわと理解する。俺の態度の何が原因なのかはこの際、ちょっと置いておかせてもらおう。問題は……。
「長門、お前……知ってるのか」
「知ってる、とは?」
「だから、ハルヒの特殊な……」
 そこまで言って、俺は言葉に詰まった。現在のどこかあわただしい司令部内では、みんな自分の仕事に没頭しているから、俺たちの側には誰もいない。ましてや会話に聞き耳をたてているものなどいるはずがない。が、やはり口に出すには抵抗がある。それを察したのか、長門はまたなんでもない口調で言った。
「心配ない。現在、わたしたちの周囲には不可聴シールドを展開している。会話を第三者に聞かれる心配は皆無」
「不可聴シールド……」
「わたしとあなたを中心とした半径1m範囲内の音声のみが遮断される」
 丁寧な説明ありがとな。お前、そんな力も持ってたのか。しかし、どういった原理なんだ。遮蔽物もなしにそんなシールドを展開する技術なんて聞いたこともないが、どこで開発された技術なんだろう。
 そこまで考えて、ふと思った。今まで、何度聞いても長門が答えてくれなかったので、おそらく軍事機密なのだろうと思い聞かないでおいたことを、もしかしたら今なら教えてくれるんだろうか。
「長門。答えられないなら黙秘でいい。お前は、誰に……どこに造られたものなんだ?」
 まっすぐに俺に向けられた瞳が、色を変えた気がした。長門は一拍分の沈黙の後、口を開いて淡々と答える。
「私は、統合情報思念体により作られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。長門有希、というのはわたしのパーソナルネーム」
「とうごうじょうほう……?」
「便宜上の呼び名である。地球に発生した人類とは異なる生命体。有機的、物理的な物質によらず情報としてのみ存在しており、有機生命体である地球人類との接触は困難。そのため、わたしが作られた」
 たぶん俺は今、とんでもないことを聞いているのだと思う。地球人類とは異なる生命体だって? それはもしや、人類が数千年もの間探し続け、ついに遭遇することができなかった……“宇宙人”というやつじゃないのか?
「肯定する。地球人類にとって我々の存在形態は認識の難しいものであるため、現在の所、一般の地球人類には存在そのものが伏せられている」
「じゃあお前は、なんのために……」
 もう一度、長門の瞳が色を変える。さっきよりは幾分、人間らしい色に。
「わたしの任務は、涼宮ハルヒの観測と報告。必要があれば、彼女やその周辺の重要人物の保護、危険物の排除も行う」
 そこで長門は言葉を切り、俺の質問を待つ体勢になった。が、俺はまだ混乱状態で、何を聞けばいいのかわからない。それを察したのか、長門はまた声を発した。
「統合情報思念体は、彼女が持つ能力に大いなる興味を寄せている。我々が陥っている自律進化の閉塞を打開する可能性のひとつとして」
 話を聞くうちに、冷たい理解が降ってくる。長門は今まで、嘘をついたことがない。嘘という概念そのものをもたないのだと聞いた。そのため、答えられないことにはただ沈黙を貫いた。
 だったらなぜ今、俺に人類の大半に隠されているような大層な秘密を明かすのか。明かす以前と、何が違っているというのか。
 ――それは俺が、古泉が語った眉唾物のハルヒの能力とマザーアースの実態≠ニやらを知ったからなのじゃないか。ということは逆説的に、あれはすべて真実なのであると言うことになるのではないか。
「まさか……」
 ごくり、としらず唾を飲み込んだ。まさか、本当に?
「長門。本当に地球はもう、滅びているのか……?」
 だが長門は、即答しなかった。その小さな頭の中で、何が行われているんだろう。やがて長門は、データの照会が終わったとでもいうようにぱちりと瞬きした。
「統合情報思念体の見解としては肯定。だが、特定の時間軸における観測においてのみ有効なデータであるため、不可逆の現象であるかは不明である。統合情報思念体はあらゆる可能性が残されていると推測している」
 つまり、俺たちのこの世界において地球は確かに滅びているが、滅びていないことになる可能性も残されていると、そういうことか?
 今度は長門は、何もリアクションしなかった。嘘はつけない、口先だけの慰めにも似たおためごかしも言えない。そういうことなんだろう。
「わかった。それじゃ次の質問だ。お前が士官学校にいたのは、ハルヒの観測と保護のためか?」
「肯定する」
「じゃあ、俺たちと友達になったのも……任務だったんだな」
「…………」
 よどみなかった長門の言葉が、不自然に途切れた。どうしたのかと見返した長門の表情は、どこか途方に暮れたみたいにみえてびっくりした。
「……涼宮ハルヒに接近したのは、観測の任務のため。しかし、そのために涼宮ハルヒやあなたたちと友好を結び、ともに行動する必要は本来なかった。なぜわたしはそうしたのか、その理由となる感情は、分析不可能なデータとして記録している」
「長門……」
 凪いだ海のようだった瞳が、かすかに揺れている。いつ頃からか読めるようになった、長門の感情の起伏。彼女の言いたいこと。単に慣れたせいで読めるようになったのだと思っていたが、本当は違ったのかもしれない。長門の感情は、俺たちといる時間のうちに少しずつ……。
「楽しそうですね?」
 ふいに、横から口を挟まれた。長門に何か言ってやりたいと、肩に置こうとしていた手が宙に浮く。はっと振り返るとそこに立っていたのは、いつ戻ってきたのか、古泉幕僚総長だった。
 俺はとっさに、長門の正体は隠すべきなのかと考えて、なんでもないと誤魔化そうとした。が、そんな俺を長門の平坦に戻った声が制する。
「心配ない。古泉一樹が所属する特務機関と統合情報思念体は、暫定的な協力関係にある」
「協力関係……」
 思わずそうつぶやいてから、はっと我に返った。慌てて敬礼し、指揮権を返す旨を告げる。
「了解です。が、まだ次元変異の数値は安定していないので、またすぐに預けることになるかもしれません」
「……閣下の精神は、まだ安定しないのですか」
「あなたのせいでしょう?」
 さらっと責任を転嫁され、思わず眉間に皺が寄る。なんで人のせいにしやがる。百万歩ゆずって、あの空間を生み出しているのが真実ハルヒであると仮定しても、さっき執務室で見たハルヒは上機嫌だったんだ。
 口答えは御法度とわかっていつつも、言い返さすにはいられなかった。
「自分のせい、とおっしゃいますと? ちなみに先ほどお会いした涼宮閣下は、すこぶるご機嫌麗しかったですが」
「大方あなたが、朝比奈さんがいらっしゃると聞いて、大喜びでもしたんじゃないですか」
 にこにこと穏やかな笑顔を浮かべてる表情とはまったく裏腹な、吐き捨てるような口調で古泉は言った。
 大喜びなんてしとらん。単に、またハルヒに翻弄されることになるのだろう朝比奈さんへの同情と、あとは彼女が淹れてくださる至上のお茶について思い出しただけだ。
「そのことについては涼宮閣下にもからかわれはしましたが、どちらかといえば楽しそうにお見受けしましたよ」
「相変わらず、女心のわからない人ですねぇ、あなたは」
 鈍感にもほどがある、とあきれ果てたように言われ、ムカッとした。
 女心、とやらに勘が働かない朴念仁であることは認めるが、結局そんなもんはこじつけとか推測だろう。そんな曖昧なもので俺のせいだと言われても、本当に閉鎖空間をハルヒが生み出してるってことの証明にならん。もっと、はっきりとハルヒの感情との関連性を見せてもらわないことには。
 あまり古泉の前で堂々とやる気はなかったんだが、俺はなんとなくヤケクソな気分で、長門の方に視線を向けた。
「長門。あとでちょっと調べて欲しいことがあるんだが、頼めるか」
「何?」
「俺たち以外の、特殊空戦部隊についてだ。誰でもいいんだが、隊員に接触して話を聞きたい」
 どうも特殊工作員扱いになっているらしくて、コンタクトが取れないのだと言うと、長門はしばらく沈黙したあと、ゆっくりと古泉の方へ視線を向けた。つられて見た古泉は、俺たちの視線を受けても、ただ微笑んでいるだけだ。なんなんだ、この長門と古泉のリアクションは。
 長門はやがて、いぶかしげな顔をしているだろう俺の方へ視線を戻し、淡々と言った。
「未確認宇宙生命体D77A−β−305号、通称神人′}撃用特殊空戦部隊は、汎銀河連邦軍には一個師団しか存在しない」
 ……なんだって?
「汎銀河連邦第9艦隊所属第7師団、通称スペシャルフォース・オブ・サジタリウス。本隊が、神人に対抗しうる戦力を有する唯一の部隊であるということ」
「要するに、存在するとされているここ以外の特殊空戦部隊は、書類上にのみ存在するダミーだということですよ。そこに所属するすべての隊員を含めて、ね」
 面白がっているような口調で、古泉が横から口をはさんだ。
「考えてみてください。あの空間と神人を生み出しているのは涼宮さんなんですから、彼女自身から離れた場所にそうそう出現するわけがないでしょう? 大体、あの空間に侵入できる力を授かった能力者は、銀河系全体を見ても十数人しか存在しませんし」
 だけどそれでは、その不自然な法則性に気付く者が出てくるかも知れない。彼女の周囲のみで、あれが発生しているということに。そのリスクを低くするために、軍がカモフラージュとして、彼女の周辺以外でも閉鎖空間が発生し、他の部隊が処理しているというデータを、これみよがしに発表してあるのだと古泉は説明した。
「どうせ、普通の人間にはレーダーを通さなければ感知できない空間ですしね」
 軍ぐるみで隠蔽すれば、できないことなんてあまりないんですよと、古泉は嫌な感じで嗤った。行き止まりの壁を前に立ちすくむ人間を、あざ笑うかのように。長門の、感情を含まない静謐な瞳にすら追いつめられている気がして、俺は思わず後さじった。
 調べれば調べるほどに、逃げ道がなくなっていく。
 どこをどう迂回しても、結局同じ場所にたどり着く。
 それが真実だと信じるしか、もう道はないのか。
「どうしました。顔色が悪いですね?」
 白々しいセリフを吐きながら、古泉が微笑む。背筋に冷たい汗を感じて、俺はカラカラニに乾いた喉に唾を飲み込み、声を出そうとした。
「俺、は……」
 一瞬、敬語も忘れていた。何を言おうとしたのか、自分でもわからない。思わず、職務も何もかも投げ出して、部屋に逃げ帰り自分のベッドにもぐり込みたくなった。目を閉じて耳を塞いで、何もかも忘れちまいたい。
 誰か。誰でもいい。助けてくれ。
「緊急入電!」
――その時、耳に飛び込んできた通信士の叫び声が、俺の正気を引き戻した。
「輸送艇デルフィニとの通信が途絶えました! 座標上の位置情報をロスト!」
 なんだって? 輸送艇デルフィニ? それは確か……。
 我に返って振り返ると、笑みを消した古泉の顔が目に入った。眉を寄せ、手袋に包まれた指を唇にあてている。
「……朝比奈さんが乗り込んでいる艦ではありませんか?」
「そのはずですね」
 一気に現実に立ち返る。うなずいた俺は、通信士に聞き返した。
「護衛艦との通信はどうなってる?」
「そちらとも連絡不能です!」
 一体、何があった? 長門の方を見ると、長門はかすかに首を振り、モニタに向き直った。コンソールの上で、指がものすごいスピードで踊る。モニタ上では、たちまち膨大なデータが次々と展開をはじめている。俺はそれらを見るともなしに眺め、独りごちた。
「ただの通信障害ならいいが……」
 そんな俺の側で、古泉は苦い顔でデータをみつめていた。ロスト地点の座標を確認し、まずいですねとつぶやいて、いまだ空席の司令席を見上げる。
「何がです」
「あのあたりは、最近特に宇宙海賊の被害が報告されている宙域です。そんな場所で、護衛艦とも通信が途絶えたとなると……」
「古泉くん!」
 古泉が不吉な予想をもらしたその時、司令室のハッチが開いてハルヒが飛び込んできた。全力疾走でもしたのか、めずらしく息があがっている。部下たちの敬礼も無視し、ハルヒはまっすぐに俺たちのところまで早足で歩いてきた。
「どうなってるの? みくるちゃんは無事?」
 食い付かんばかりの勢いで詰め寄るハルヒに、古泉はしごく冷静に答える。
「不明です。現在、あらゆる手段を講じ、通信の回復を試みているところです」
「ああもう! だからあたしが迎えに行くって言ったのに!」
 ハルヒはいらいらと爪を噛んでいる。階級もさして高くない一兵卒のために、艦隊司令官が迎えに出向くわけにはいかんだろうなんて、思っても今言ったら火に油を注ぐだけだろう。そう思った俺は、ただ口をつぐんだ。海賊が横行している宙域だってことも、黙っておいたほうがいいな。
 そんな思惑の疎通を古泉とアイコンタクトだけですませ、俺はそれについては黙したまま、作戦部へ戻ろうとハルヒに許可を取ろうとした。
 だが、うっかりした。いつの間にか、不可聴フィールドとやらは解除されていたらしい。近くの席にいた情報部の誰かがボソリと、そんな海賊がウロウロしてるところにいくら涼宮司令でも……とつぶやいたのを、ハルヒは聞き取っちまったようだ。
「……海賊?」
 らしくもなく、あからさまな不安がにじみ出る声で、ハルヒはつぶやいた。
 ドキッとした。ゆらめく感情の色が、見えるような気がした。
「…………!」
 古泉がはっと顔をあげるのと、長門が鋭い声を発するのが同時だった。
「――次元変異臨界点突破。座標ポイントβ-226に、閉鎖空間が出現」
 間髪を入れず、鳴り響くアラート。第一種警戒態勢が告げられ、司令室はさらなる緊張感に包まれる。淡々と状況を読み上げる長門の声が響いた。
「確認される神人≠ヘ8体。異相空間は拡大傾向。次元侵略率も急上昇している。対策を急いで」
「何よっ、こんなときに!」
 時と場合を考えなさいよ、気が利かないわね! とハルヒは理不尽に叫んで、司令官席へと駆けていく。俺はただ、ハルヒのその背中を見送った。呆然と。
 まさに“こんなときに”だ。見せつけるかのような、思い知らせようとするかのような、このタイミング。
「作戦参謀」
 場違いに静かな声。ビクッと、肩が震えた。
 俺を呼んだ声の主は、もちろん古泉だ。ぎこちなく振り返った俺に、微笑みさえ向けて。
「この場の指揮をお願いしますね。――僕は、行かなくては」
「…………っ」
 そう言い残し、古泉は踵を返して司令室を出て行く。思わず目眩がして、立ったまま目を閉じた。古泉が最後に俺にくれていった視線が、目蓋の裏に焼き付いて消えなかった。
 ハルヒの感情と閉鎖空間の関連性……俺がさっき望んだその事実の証明。今、それをはっきりと、目の前に突きつけられたと思う。
 もう逃げられない。
 急ぎ足で去っていく古泉の足音を耳にとらえながら、俺はブラックホールにつかまった小型艇のような心許なさを感じていた。



『――ご心配おかけしましたあっ! あたしも、ほかの乗組員も全員無事です!』
 正面スクリーンいっぱいに映し出されたラブリーエンジェル、朝比奈さんが、半泣きでそう告げたのは、全艦出撃した特殊空戦隊が、苦戦しつつも神人≠あらかた処理した後のことだった。
 数年ぶりに拝んだ朝比奈さんのご尊顔はあいかわらずこの世のものとも思ないほど愛くるしく、涙をためつつも微笑む姿は心をほんわりと温めるものであったが、俺の胸中の嵐は去らなかった。
「よかった! みくるちゃん、大丈夫? ケガとかないわね?」
『はい! ひどい磁気嵐につかまってしまって……救出に来てくれた護衛艦まで巻き込まれて、大変でしたけどもう大丈夫です』
 朝比奈さんの無事が確認されたとたん、閉鎖空間の拡大はピタリと止まった。すかさずそれを空戦部隊の活躍の結果にすり替えた報告が長門から発せられ、ハルヒはそちらにも満足げなねぎらいの言葉を届けた。
 警戒態勢がほどかれて、司令室にもホッとした空気が漂う。俺は自分の副官に事後処理を頼み、目眩がするから医務室で薬をもらってくると告げてハッチの方へと足を向けた。今、ハルヒと冷静に会話する自信がない。そのキラキラと輝く瞳が俺を捕らえる前に、逃げるように司令室をあとにした。
 司令室から少し離れた通路で、立ち止まる。向こうから見慣れた人物がやって来るのに気がついたからだ。パイロットスーツを着替えもせず、下を向いて歩く姿はどことなく疲れているように見えた。
「古泉、総長」
 俺の呼びかけに、そいつが顔を上げる。俺を認識し、力なく微笑む顔には、やはり疲労の色が濃いようだ。無言で促されるまま、俺は近くにあった備品倉庫の中に入ってゆく古泉の後を追った。人の出入りのなさそうな倉庫の中は、埃っぽい臭いがした。
「諦めはつきましたか」
 足を止めて振り返るなり、古泉はそう聞いてきた。
「納得がいったのでしょう? 今日のことで。そんな顔ですよ」
「そうですね。……まぁ、大体は」
 往生際悪くそう答える俺に、古泉はまた笑う。だが、前髪を掻き上げながらつく溜息には、あからさまに疲れがにじんでいる。めずらしくもそれを隠そうとしない古泉に、俺は動揺した。長い付き合いだが、こんな古泉を見るのは、はじめてかもしれない。
「お疲れですか」
 思わずそう聞くと、古泉は一瞬微笑みを消して、俺との距離を一歩分つめてきた。
「僕は今、己の計算違いを、ひしひしと感じていますよ」
「計算違い?」
「……見通しが甘かったとしか言いようがないですね。僕は、あなたが側にいてくだされば、涼宮さんはもっと安定するものと思っていました。ひいては、閉鎖空間の出現も落ち着くものと」
 俺は無言で、古泉を見返す。恨みがましくさえ聞こえる声。もしかしてこれは、愚痴なのか? ……めずらしい。
「ああ、正確に言えば、確かに出現自体は減っています。でも、その前兆……空間が出現するかしないかという微妙な状態が頻繁に、しかも長時間観測され続けるようになってしまった。そのたびに僕らは招集され、緊張状態での待機を強いられるんです。本当にもう……疲れた」
 吐き捨てるような一言をもらし、古泉は俺の方に倒れかかってきた。腕を回された肩に、体重を預けられる。よろけそうになりながらも足を踏ん張り、その身体を支えると、古泉は首筋に顔を埋めて、すがりつくように強く俺を抱きしめた。
「総長……? どこか体調でも?」
 似たようなものです、と古泉は耳元でささやく。
「出動できれば、少しはマシです。だけどその代わり、能力を使って戦闘したあとは、興奮がなかなか冷めない。熱が身体の内側に籠もって、消えてくれないんです」
 熱くて、疼いて、たまらない、とかすれる声で古泉は訴えた。
 戦場に赴く兵士の脳は、恐怖を麻痺させるために、アドレナリンや脳内麻薬を過剰分泌させることがあるという。古泉の中で起こっているのも、それと同じような現象なのだろう。戦いが終わり帰還しても、身体はなかなか常態に戻らないのだ。
「早く、涼宮さんをなんとかしてあげてくださいよ。あなたはそのために、ここにいるんですから。彼女を一刻も早く、満たしてあげてください。お願いします」
 古泉が、心底疲れているのは理解できる。その原因が、ハルヒの精神次第なのだってことも、不承不承だが認めないわけにはいかないだろう。だが、俺がそれをどうにかできるなんて、こいつは本当に思っているのか。
 俺が答えられずにいると古泉は、はぁ、と息をついた。身体にため込んだ熱を吐き出すみたいな、不穏な雰囲気を孕んだ溜息だった。抱きしめる腕にさらに力が籠もり、耳元で囁かれた声には押さえきれない興奮がにじんでいた。
「……お時間、ありますか?」
 もちろん、その意味は理解できた。しかもあいにくと俺は、仕事を副官に任せて医務室に行くと言ってある。したがって、少々時間をとっても言い訳がきいちまう。
「ない、と言ったら、解放していただけるんですか」
 俺の肩に顔をうずめたまま、古泉は引き攣るような、嫌な笑い声をたてた。
「もちろん。僕たちはパートナー≠ナすから。嫌なら断ってくださって結構ですよ?」
 さて、この言葉を鵜呑みにして誘いを断ったら、どんなことになるのかね。
 背中に食い込む指の力が、そのままではすまさないと、無言で語っている。嘘をついたり、逃げたりすれば必ずペナルティがあると思わざるを得ない。
 左遷だとか除隊だとか、そっち方面のペナルティならかえって歓迎するところなんだが、そうはいかないだろう。こいつの言い分からすれば、俺をハルヒの側から引き離すとは思えない。だとすると、待っているのはもっとこう……想像もしたくないような、最悪に嫌な方向のペナルティなんだろう。どんな目にあわされるか、考えるだけで肝が冷える。なんせこいつは、俺のことを相当嫌ってるようだからな。シャレにならん。
 古泉の肩に手をかけ、ぐいと引きはがす。さしたる抵抗もなく俺の身体から手を離した古泉の顔には薄い微笑みが浮かんでいて、内心を読み取れない。
「返事は? 僕は、焦らされるのは、あまり好きではないのですよ」
「…………」
 穏やかさを装った声が、俺を追いつめる。
あくまでも紳士的な言い方で、ただ俺が屈するのを待っているようにみえる。
 だが、あいにくだったな。俺は決して、お前などに屈しない。お前を恐れて、従順に言うことを聞くようになると思ったら大間違いだ。
 俺は一度ぐっと目の前の男をにらみつけ、やがて目を伏せて、肺の中身を吐き出し切るみたいな溜息といっしょに返事をした。
「……わかりました」
 古泉の唇がかすかに、何か言いたげに震えた。俺はそれを無視して、わざと事務的に腕の通信ユニットで時間を確認する。
「時間を取ることは可能ですが、まだ勤務シフト中なので、手短かにお願いします」
 医務室には行けそうもないなと考え、あとの段取りを頭の中で整理しつつ、俺はなんでもない風を装って話し続ける。
「そういえば、指示をいただいていましたね。準備、とやらをしていけばいいのでしたか。それなら一度、自分はフラットに戻って……」
「いえ」
 長口上を遮るように、俺の腕を古泉の手がつかむ。強すぎる力に思わず眉を顰めて顔を上げると、すぐ近くに俺をみつめる目があった。その瞳は熱っぽく潤んでいて、前言を取り消したくなるほどあからさまな情欲に染まっている。必死に自制しようとしてるようだが、あまり成功していない。
「いいですもう……そのままで。……はやく」
 能力を使った後遺症は、よほど深刻なようだ。いままでは一体、どうしてたのかね?
 妙に冷めた頭のどこかでそんなことを考えているうちに、俺は倉庫から引っ張り出され、廊下を引きずられるように歩かされる。俺の腕をつかんだまま、振り返りもせずにどんどん足を早める古泉の背中を見つめながら、俺は考える。

 勘違いしないで欲しい。
 俺は脅しに屈したわけじゃない。暴力が怖いわけでもない。そんな理不尽な方法で、俺を言いなりにできるなどと思われるのは心外だ。
 だからと言って、あの行為が気に入ったというわけでもないぞ。当たり前だ。あんな、痛くて苦しくて屈辱的な行為を積極的にしたいと思う奴がいたら、そいつは被虐趣味の変態だろう。
 ただ俺は……まだ、捨て切れないんだ。あの頃の古泉を。
 学生時代を共に過ごし、いっしょに馬鹿をやって騒いだ、俺の――親友だったあいつを。すべてがまやかしだったと知っても、なおあきらめきれない。だから俺は、こいつの腕を振り払えない。
 1度目は無理やりだった。不本意だったのだと言い訳できる。
 だが2度目のコレは、どんな理由をつけようが合意とみなされるだろう。
 結果的に見れば同じことかもしれない。
 だけど俺は流されてるわけじゃない。
 自分が選んだ結果として、すべてを背負っていく。

                                          END (to next episode)
(2013.05.25 up)
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第一話の補足のようなお話。
説明盛り込んだら、まとまりない感じに……。
みくるちゃんが合流してSOS団勢揃い。