Parallel Line
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 汎銀河連邦宇宙軍第9艦隊所属第7師団、通称SOS艦隊≠ヘ、通常任務にて哨戒中だった。
 戦闘区域からは遠い宙域の航行ということもあり、旗艦といえど艦内は緊張とは真逆の雰囲気に支配されている。任務中の乗組員たちもどこかのんびりと業務をこなし、D待機ともなれば自室や遊戯室、食堂、バーなどでそれぞれが思い思いの時を過ごしていた。
「朝比奈大尉……ですよね?」
「えっ?」
 SOS艦隊参謀本部兵站参謀・朝比奈みくる大尉は、夜間勤務を終え1人で食事をとっているところを、見知らぬ女性下士官に声をかけられた。軍曹の階級章をつけた彼女は食事を邪魔した非礼を詫び、自らの所属と階級、氏名を告げた。みくるにとってはもちろん知らない名ではあったが、なんとなく話しかけて来た理由は察することができた。
 みくるがこの艦に着任し、本部幕僚の一員となってから日は浅いのだが、実はこうして声をかけられるのははじめてのことではない。時におずおずと、時には思いつめた表情で女性たちがする質問は大抵ひとつ。彼女の上官であり司令官補佐兼幕僚総長・古泉一樹大佐、もしくは本部作戦参謀・キョン少佐に、恋人やパートナー≠ェいるのかということだ。本人たちや、まして艦隊司令官たる涼宮ハルヒ閣下に聞くことは出来ず、常に近寄りがたいオーラを発する情報参謀・長門有希大尉にも話しかけられず、結果的にみくるに白羽の矢が立つのは、まぁ、あたりまえかもしれない。
 今回、話しかけて来た下士官もやはりご多分に漏れず、身体をくねらせもじもじしながら、古泉大佐とキョン少佐のことなんですけど……と言いだしたので、みくるはいつものように、苦笑しつつ答えを返した。
「お二人のプライベートについてはくわしくないですけど、大変お忙しい方々なので……特定の女性とおつきあいなさっている様子はありませんよ」
 曖昧に返した答えは本当のことだったし、こう答えることについて当人たちの了解もとってある。下手に相手がいるなどと答えてさらに詮索されるのも面倒なので、あたりさわりなく、彼女たちが気に入るだろう答えで満足して貰うのが得策だと考えたのだろう。
 が、今回ばかりは勝手が違った。答えを聞いた下士官はぐいぐいとみくるに押し迫り、さらにつっこんで来たのだ。
「それは、他の人にも聞きました。あのお二人が特に親しくお話する女性は涼宮閣下を含め幕僚の方々だけで、そういう意味でのおつきあいをしている様子はないって。でも、だったら古泉大佐とキョン少佐はどうでしょうか」
「……えっ?」
 思いも寄らなかったことを聞かれ、みくるは食事のことも忘れて思わず目をしばたたく。
「おふたりが士官学校の同期でルームメイトだったってことは、艦内でも有名なので知っています。でもそれにしたって仲がよすぎるって噂、聞いたことはないのですか?」
「あ、あの、でも……っ」
「まさか、艦内にそういうパートナー′_約を結んでる人が多いってことを、知らないわけではないですよね?」
 彼女が言うパートナー≠ニは、つまり長期にわたる航行がめすらしくない作戦行動中、主にストレス解消を目的に性的関係を結んでいる者同士のことだ。
 堅苦しさを嫌う涼宮閣下の指揮のもと、SOS艦隊は軍規もゆるく自由な気質がモットーとなっている。それでも幕僚総長と作戦参謀がしっかりと締めるべきところは締めているので、無頼漢の集まりになったりはしないが、性的にはややフリーダムな傾向があることは否めなかった。任務に影響が出たり軍規や公序良俗に反しない限り、艦内恋愛は自己責任。なので両者合意のもとに航行中のみの関係を結ぶ者も多く、また妊娠のリスクや本来のパートナーへの遠慮から、同性を相手に選ぶ者も少なくはないのだった。
 もちろん、いかに奥手なみくるとはいえ軍人なのだから、そのくらいのことは知っている。が、身近な人物がそういった関係なのではないかと言われれば、混乱するのも無理はないだろう。ましてやみくるはこの艦に配属されたことこそつい最近だが、士官学校時代には二人のみならず涼宮ハルヒ、長門有希とも親しくつきあっていた仲なのだ。
「でもそんな、古泉くんとキョンくんが……」
 つい、士官学校時代の呼び方でつぶやいてしまい、はっと我に返る。非番のプライベートな場所でならともかく、こんな公共スペースではまずい。みくるはあわてて席を立って食器を片付け、食堂から出た。下士官の女性は、そんなみくるの後を追って、しつこく食い下がってきた。
「待ってください大尉! 私、絶対そのあたりをはっきりさせてくるようにって、言われてるんです!」
 どうやら彼女は、友人や同僚の女性陣の代表として自分に突撃してきたらしい。そう推察して困ったと焦りつつ、みくるはとにかく逃げようと本部方面へと足を向ける。
「ごめんなさい。あたし、そういうのよくわからないんです、ほかのひとに聞いて下さいっ」
「せめてふたりでいるとき、どんな話してるかだけでも、教えていただけませんか!」
 すれ違う人々が何事かと目を丸くするような勢いで、ふたりは廊下を進んでいく。泣きそうになったみくるが、どこか下士官には入れないスペースがないかときょろきょろしたとき、ふいにその耳に聞き慣れた声が飛び込んで来た。
「……んなこと、俺に言われても知るか。ハルヒの機嫌なんか、お前らがとっときゃいいだろうが」
「そう冷たいことをおっしゃらないでくださいよ。僕らがやるよりあなたの方が、数倍効率がいいんですから」
 それは間違いなく、みくるの上官たる古泉幕僚総長とキョン作戦参謀の声だった。どうやらすぐそこの曲がり角にある、飲料のディスペンサーなどが置いてある共用スペースにいるらしい。ふたりきりで、しかも自分たちがいることに気付いていないのだと言うことは、キョンの言葉遣いから敬語が抜けていることでわかる。古泉はいつでも誰にでも、部下にさえ丁寧語で話すのが常態だが、キョンの方はきっちりとオンオフを切り替えていることを、みくるはよく知っていた。
 思わず声をかけようとした口が、後ろから手でふさがれる。もちろんそれはしつこくみくるを追いかけてきた女性下士官の手で、彼女はここぞとばかりに息を潜め、チャンスですよとみくるの耳許で囁いた。
「お二人の関係が、はっきりするかもしれないです……」
 そんな、とみくるは大いに焦る。二人の関係がどうのというより、彼らが涼宮閣下について話しているのが気にかかる。二人がまさか、こんなところで最大の軍事機密――涼宮ハルヒの持つとある力、について漏らすようなうかつなことをするとは思えないが、万が一ということもある。なんとか彼女の手から逃れようとするものの、口をふさぎ腕を拘束する力はやけに強く、身動きひとつとれずにいるうちに、壁の向こうの会話は進んでいった。
「言っておくが、俺はハルヒ好みの作戦を立てる気はないからな。地味と言われようが堅実すぎてつまらんと言われようが、俺の作戦は人的被害を最小限に抑えることが第一の目標だ」
「あなたなら、そうした上で閣下のお気に召す要素を取り入れることぐらい、できると思うのですけどね」
「買いかぶるな。俺は作戦参謀としてはしごく平凡な人材だし、人命がかかった戦闘をハルヒの娯楽に提供する気はない。ハルヒの退屈なんて、お前らがどうにかしろ。そのための機関≠ネんだろうが」
「手厳しいですねぇ」
 ふふっ、と古泉が笑う。が、次の瞬間、ガタッと大きな音が鳴り、みくるは思わず身体をすくめた。彼女を押さえている下士官が、耳元でどうしたんでしょうと囁く。一緒になってそっと角から覗き込んでみると、バイオプランツの植え込みの向こうに、古泉がキョンをソファの上に押さえ込んでいる様子が見えた。
「……ですがその名を、こんな誰が聞いているかもわからない場所で口にすることは、許可できません。お願い、してありましたよね?」
 声も穏やかに、口元には微笑みさえ浮かべたまま、古泉は静かにそう言った。
 表情も口調も、いつも通り。それなのにみくるは、背筋にゾクリと冷たい戦慄が走るのを感じた。それは、普段は温厚な幕僚総長が、戦闘中にのみ垣間見せる顔でもあった。艦橋のクルーたちの中には、彼のそんな一瞬の表情に怯えつつ、あこがれている者も少なくない。みくるの位置からはよく見えないが、ソファに縫い止められているキョンもまた、すくんだように動けないでいるらしい。緊迫した数秒が流れたあと、やがて絞り出すような声が、悪かったと告げた。
 みくるはなんだか、よく知っているはずの二人の、見てはいけない一面を見てしまった気がした。昔なじみとしても同僚としても友人としても、とても良好な関係に見えていたのに。今見た一幕での関係は、あまり友好的とは思えない。もしかしたら、仲が良さそうに見えていたのは表面上だけで、実は犬猿の仲だったりするのかも……との考えにみくるが青ざめたとき、彼女の横で下士官が、あっと小さく声をあげた。その声に思わず顔をあげたみくるもまた、息を飲んだ。古泉が、押さえ込んだキョンの上に覆い被さっていたからだった。
 ふたりの唇が、重なりあう。触れあう瞬間こそ避けるそぶりを見せたキョンだったが、結局押しのけることもなく目を閉じて、だんだん深くなっていく口づけに積極的に応えた。
「……お前な、こんなとこで」
 やがて、離れた唇から、キョンの溜息とつぶやきが漏れる。それに向けた古泉の笑顔は、先刻のものとはまるで違っていた。
「すみません。でもあなた、こういうのお好きでしょう?」
「こういうのって、なんだよ」
「誰かに見られるかも……とか、ね」
「……アホか」
 のしかかる古泉の身体を押しのけ、キョンが身体を起こす。
 目をそらすことも出来ずにいたみくるは、そのタイミングで下士官に引っ張られ、あわてて壁のこちら側に引っ込んだ。
「知りませんでした……キョンくんと古泉くんが」
 動揺のあまり、また学生時代の呼び方に戻っていることも気付かないみくるを、女性下士官は妙に冷静に、声が大きいですとたしなめた。口元に手を当てて、彼女は少し考え込む。
「恋人……にしては、少し変な感じでしたね。やっぱりパートナー≠ナしょうか」
「なんだか古泉くん、怖かったです……」
 ドキドキと高鳴る心臓とほてる頬をもてあますみくるの耳に、再びふたりの会話が聞こえてきた。
「あれ? ブリッジに戻られるんですか。D待機では?」
「ああ。そうなんだが、ひとつ指示し忘れたことがあってな」
 さっきの情熱的なキスの余韻など、かけらも残さない口調。こちらに向かって来そうな足音は、だが途中で古泉の言葉によって止められた。
「では、そちらが終わったら僕の私室に」
「…………」
 キョンの応えは、意味深な沈黙だった。追い打ちをかけるかのように、古泉の声が続ける。
「ああ。ちゃんと、準備してから来てくださいね」
「……アイ・サー」
 なんの準備だろう、と考えているうちに、足音が再び聞こえはじめる。みくると女性下士官はあわててその場を離れ、必死に通路を駆け戻った。
 みくるがようやく足を止めたとき、気がつくと隣に女性下士官の姿はなかった。肩で息をしながらあたりを見回して、みくるは自分が参謀本部への通用口近くまで来ていることに気がついた。このエリア周辺は、許可なく下士官が立ち入ることはできない。どうやら途中で振り落としたらしいと思い、逃げられてよかったと胸をなで下ろしたみくるだったが、そこで間の悪いことに、今最も会いたくない人1位か2位に該当する人物と鉢合わせてしまったのだった。
「朝比奈さん。どうかしましたか?」
「あっ、キョンく……じゃなくて、キョン大佐」
 キョンは、士官学校時代、ひとつ上級だったみくるに対し、プライベートでは敬語で接してくれる。今はまだ任務中ではあったが、二人きりでもあるのでプライベートモードのようだ。
「なんか顔が赤いですけど……どこか具合でも?」
「いえっ! あのあたし、別にあの……」
 思わず、わたわたと焦ってしまう。隠し事のできない質だとは自分でもわかっていたが、マズイと思うとますます焦る。そんなみくるの態度を見て、キョンは何かに思い当たったらしい。
「ああ。もしかして、さっきいたのは朝比奈さんでしたか」
「ご、ごめんなさい! あたし、立ち聞きするつもりじゃ」
「いえ。朝比奈さんには、いずれお知らせするつもりでしたし。……そうか、聞いてたのが朝比奈さんだったからか」
「えっ?」
 目を丸くするみくるに、キョンは苦い笑みを見せた。
「さっき、俺が口を滑らせたときですよ。言っちまってから口をふさがれたんで、あいつにしちゃめずらしいと思ってたんですが……朝比奈さんだってわかってたから、わざとワンテンポ遅らせたんだな」
 やれやれ、とキョンは肩をすくめる。今日はどんな目にあわされることやら、というつぶやきの意味がわからず首を傾げるみくるに、キョンは微笑んでみせた。
「なんでもないですよ。俺と古泉の問題ですから」
「キョンくん……」
 そんな笑顔を向けられて、みくるはついつい余計なことを口走る。さっきの二人のやり取りが、妙に心に引っかかっていた。
「キョンくん、あの……ひとつだけ」
「はい、なんですか?」
「キョンくん、と、古泉くんは……恋人同士、なの?」
 そのときキョンの顔に浮かんだのは、なんとも複雑な表情だった。苦笑にも見える微笑みは妙に悲しげで、瞳の奥には諦観とやるせなさが宿っている。一体、どんな感情の発露なのかと戸惑うみくるに、キョンは平坦な声で言った。
「まさか。俺は、古泉には嫌われてるんです」
「えっ? それじゃどうしてあんな……」
「何か、あいつ的にメリットがあるんでしょう。俺とそういう関係でいることにね。それが何なのかは知りませんけど」
 吐き出すような口調でそれだけを言い、キョンはブリッジに用事があるからと踵を返した。呆然と見送る背中が、途中で立ち止まる。振り返ったキョンの表情は、いつも通りだった。
「わかってると思いますけど、俺と古泉のことはハルヒには内緒にしといてくださいね、朝比奈さん」
 その言葉に、みくるはただ、こくこくとうなずくことしか出来なかった。


「――覗きとはまた、大層なご趣味ですね?」
 いつの間にかみくるとはぐれた女性下士官は、ふいに背後から声をかけられ、足を止めた。みくるを探す様子もなく、まっすぐにどこかへ向かっている途中のようだ。彼女が振り返るとそこには、古泉幕僚総長の笑顔があった。
「古泉大佐……」
 反射的に敬礼する下士官に、古泉は微笑みを絶やさずに返礼する。声をかけるタイミングを計っていたらしく、ちょうどそこは通路の死角で、周囲には人影がない。
「僕について何か知りたいのでしたら、直接質問にいらっしゃればいいですよ。答えられる範囲で、お答えしますから」
 優しい口調に励まされたのか、下士官は思いきったように口を開いた。
「ではお聞きします。古泉大佐とキョン少佐は、どのようなご関係ですか?」
「涼宮閣下の指揮のもと、艦隊を統括する幕僚であり、士官学校時代の同期であり、友人であり、現在は俗にパートナー≠ニ呼ばれる関係でもありますね」
 さらりと、何の躊躇もなく、古泉は即答した。
「パートナー≠ニはもちろん、ストレスと性欲の発散を主な目的として、性的交渉を行うための相手のことです。僕と彼の相性は、わりとよいようですよ」
「恋人……では、ないのですか?」
「いいえ。古くからの友人同士ではありますが、どちらかというと今は、僕は彼に嫌われているでしょうね。パートナー契約を結ぶにあたり、少々強引なことをしたもので。……ですから」
 古泉の顔から、笑みがすっと消える。瞳が剣呑な輝きを宿して、女性下士官をじっと見つめた。
「――会長……いえ、中将殿には、心配ご無用とお伝えください。……喜緑江美里少尉?」
「…………」
 それまで女性下士官の表情に宿っていた不安げな色が、たちまち霧散する。その顔に感情の見えない笑顔をたたえ、ウェーブのかかった髪を払って、彼女は古泉を見つめ返した。
「下手に涼宮ハルヒを刺激するような行動は慎めとの、会長からの伝言です。個人的には興味はあるが、上にバレるとうるさいからな、とも」
「承知しております。会長には、これも策の一環なので、詮索は迷惑だとご伝言お願いしますね」
 嫌味とも牽制ともとれるその言葉に、彼女はみくると話していたときとは打って変わった態度でにっこりと笑う。
「了解しました。お伝えいたします。――では」
 ふいと踵を返し、喜緑少尉と呼ばれた女性は、たちまち通路を行き交う人波に紛れてしまう。その姿を見送って、古泉は浮かべていた微笑みを苦いものへと変えた。
「――策、のはずだったんですけど、ね」
 聞く者もいないまま、その言葉はただ空気の中へと消えてゆく。そして古泉もまた踵を返し、彼女が消えたのとは逆方向へと、立ち去ったのだった。



                                                   END
(2012.05.13 up)
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射手座編。
承前というか準備号というか、そんな感じの一編です。
設定並べただけで、あんまりお話にはなってませんね。

うちの「射手座」には、あまり独自設定はありません。
いわゆる同人誌設定(?)みたいなものに則って書いております。
オリジナリティがなくてすみません。ショボン