指と熱とのありがちな関係性
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 古泉は、指が綺麗だと思う。
 いや、白魚のような、なんて形容詞は似合わない。それは多分、白くて細くてしなやかで傷のひとつもないような、そんな指を表す言葉なんだろうからな。
 古泉の指は、まぁ俺よりは細くて長いんだが、わりと骨張ってて節も高い。手入れが行き届いてるってわけでもないんで、ときどき指先が荒れてたり深爪してたりする。白魚のようなと形容される指と比べりゃ、そりゃ綺麗の範疇には入らないのかもしれん。
 でも、なんだろう……全体の感じかな。骨っぽいところが男らしくて、でもちょっと繊細で、不器用なわりには動きがなめらかで、ふと目にとまったときにいつも、綺麗だなと見惚れちまう。
「う〜ん……」
 読んでいた雑誌を胸に伏せて、俺はソファに転がったまま目の前に自分の手をかざした。短くなってきた秋の日はそろそろ落ちて、部屋の中は薄暗くなりつつある。起き上がって灯りをつけた方がいいなと思いながらもそのまま、顔をしかめてかざした両手をためすがめつする。
「……普通だな」
 ま、当たり前だ。俺の手なんてそんなもんだろ。我ながら何をやってんだか、と溜息をついた。
 レポートもバイトもない平日の夕方、雑誌を眺めつつごろごろしてるからって、別にヒマをもてあましているわけではない。つい10分ほど前に同居人に宛てて送った、今日は帰ってこられるのかと聞いたメールの返事を待っているのだ。それによって、夕飯の準備が変わるからな。
 俺とは違う大学に通う同居人……というか、同棲相手、の古泉一樹は、理系の学生の多くがそうであるように、やたらめったら忙しい。いつも授業だ実験だレポートだとあくせくしていて、特にここ2週間ほどは実験室に泊まり込みが増えていた。だがまぁ、こんなことは入学直後からいくらでもあったことで、そんなときにはいつも、今日は帰れるのかメシはいるのかを尋ねるメールを送るようにしている。古泉の予定なのだから尋ねなくてもあっちが送ってくるのが筋って気もするが、没頭すると意外と時間を忘れたりするからな。高校時代、スケジュールの管理と調整と根回しが仕事だった頃からは考えられないのだけど、たぶんそっちが古泉の本性というか性格なんだろうよ。
 だが、マメなところは変わっていない。返信もたいていは、送ったあと数分で戻ってくる。ま、たまには今日みたいに、時間がかかることもあるけどな。おそらく実験で手が離せないか、レポートを書くのに夢中になっているんだろう。
 もうちょっと待って返事がなかったら、着信鳴らしてやろうと思いつつ、目の前でひらひらとさせていた指を組みあわせ、ソファの上で伸びをする。ごろりと寝返りをうつと、胸に伏せていた雑誌がすべって床に落ちた。

 メールを待つ間、古泉の指についてなんてしょうもないことをぐだぐだと考えていたのは、雑誌に載っていた記事のせいだ。
 いわゆるパーツモデルの特集があり、そこでインタビューに答えていたのが、手タレをやっているという男性だった。手タレといえば女性モデルのイメージが強かったから、へぇ男にもできるんだなと思い、つい古泉の指のことに考えが及んだのだ。
 ま、綺麗だとは思うが、さすがに手タレなんかは無理だろう。あいつは見た目に寄らずガサツなところがあるから、常に手袋をして傷がつかないように気を配って細かく手入れして、なんてことは無理だろうよ。不器用だし。……爪だけはすごくマメに、深爪になるくらいしっかり切ってるけどな。
「…………」
 ふいに、古泉が深爪ぎみに爪を切っている理由を思い出した。とたんにいたたまれなくなって、もう一度寝返りをうつ。目を閉じたら、理由を聞いたときのあいつの顔までが脳裏に蘇ってきた。
 一度、爪切りでぱちぱちやっているのを横から覗き込んで、深く切りすぎじゃないか痛てえだろうにと言ったことがあったんだ。そうしたら古泉は手を止めて、ええでも長いと危ないですからね、と答えた。なんのことかピンと来なかった俺はついうっかり、何が危ないんだと突っ込んじまった。
「だって……もし傷つけたら大変でしょう」
「何を」
「何って、ええと」
 言いにくそうに目を泳がせてる様子を見てるうちに、いきなり理解が降ってきた。
 ああ、まぁそうだな。確かにあそこは非常にデリケートな粘膜で、いわば内蔵の一部だもんな。万一傷ついたらそりゃ大変だし、傷から雑菌でも入った日にはかなり悲惨なことになるよな。
 うん、心遣いは嬉しい。嬉しいんだが、その、そういうこと、のための準備を、こんなシラフの状態で、目の前でやられるとすごく、生々しいというかいたたまれないというかなんというかえーと。
 どう切り返したらいいのかわからなくて逡巡していたら、俺のがうつったのか古泉までもじもじし始めて、あげくにお互いに赤くなって目をそらしあうというおかしな空気になったっけな。
 その時のことを思い出してじたばたしつつ、そういえばとふと思いつく。前述したとおり、古泉の指はときどき荒れていることがある。それは実験で使う薬品とか器具を洗浄する水や洗剤のせいで、もうしょうがないらしいんだが、そういうときにちゃんとクリームを塗ったりして、せっせと回復に努めているのも、もしかして俺のためなのかな。
 古泉の手は冷え性なのかいつも少し冷たくて、普段はあまり汗もかかないから、さらっとした感触をしている。指先ももちろんそんな感じで、触られると気持ちよくて、ずっと触ってて欲しくなるくらいなんだ。少なくとも触られたときに、肌にガサガサとかちくちくとかを感じたことはない。
「まったく……大事にしすぎだろ、俺のこと……」
 女の子じゃねえってのに、とつぶやいて、ついゆるんじまう頬をつねる。そんな手指の手入れまでして、大事大事に扱わなくたって、俺はそう簡単に壊れやしないのにな。
 しかし、繊細に見えても実はけっこう不器用だし字だって汚ねえってのに、なんだってあの指は、ああいうときだけ無駄に巧みに、俺の……その、ツボ? を探り当てるんだろうなぁ。俺が自分でも知らないような、感じる場所を簡単に見つけて、あの綺麗な指で、なぞったりつついたりなでたり、握っ……たり、あげくに俺の、中、の……。
「う……」
 思い出してたらなんか、だんだん妙な気分になってきちまった。あの指の感触を思い出した身体の各所が、なんだかむずむずする。そっとシャツの中に手をもぐり込ませて、古泉の指の動きを思い出しつつ脇腹とかなでてみた。
「っぁ……!」
 な、なんだ、今の声は。
 思いがけないほど甘い声がもれて、びっくりした。が、それでますますむずむずする感じが加速しちまった。なんかあれだ。いわゆる、スイッチが入った、みたいな。
 つい、そっと胸の突起に手を伸ばしてしまう。どういうわけなんだかとっくに固く尖ってるそこに触れたとたん、まるで電流が走ったみたいに、びくりと身体がはねた。
「ん……っ」
 ヤバイ。どんどん身体が昂ぶっていく。両手で自分の身体を抱きしめてみても、腰のあたりにじわじわひろがる感覚はおさえようもない。熱くなった吐息をもらし、おそるおそる触れてみた股間は、案の定、熱を持ち始めていた。
「くっそ……」
 もうこうなったら、さっさと抜いちまうしかない。このままってわけには、どうもいかなそうだし。
 観念して、履いているジーンズのボタンをはずしジッパーに手をかけた……その時だ。いきなり玄関のドアがガチャリと音をたて、俺は文字通り飛び上がった。
「ただいま帰りました……あれ?」
 玄関の方から聞こえた声の主は、当たり前だが古泉だった。不審げなのは、リビングが暗いことに気がついたからだろう。まったく、なんつー間の悪さだ。
 今、おかえりと声をかけたら、おそらくなぜ灯りをつけていなかったのかと突っ込まれる。まさか、今からちょっと抜くとこでした、なんて言えるわけもないと思った俺は、とっさにソファで身体を丸めて寝たふりをした。あとから考えりゃ、それまで寝てて今起きたってことにでもすりゃよかったんだが。
「あ……寝てるのか。そうか、だから返事が……」
 古泉の小さなつぶやきで、いつのまにか古泉からの返信メールが来てたらしいと察する。全然気がつかなかった。しまったな。
 目を閉じたまま悔やんでいたら、いったん離れていった古泉が戻って来て俺の身体に毛布をかけた。自分の部屋のベッドからとってきたらしい。ますます寝たふりを終わらせるタイミングを逃したが、股間のソレはまだおさまりきってなかったからありがたいといえばありがたい。俺は仕方なく、寝たふりを続行した。

 古泉は床に腰を下ろし、俺が寝ているソファを背もたれにして、ローテーブルの上にノートパソコンをひろげた。そっと薄目を開けて覗き込むと、どうやら書きかけのレポートらしい。部屋の灯りもつけないまま、古泉はカタカタとキーボードに指を走らせ始めた。
 ああ、古泉がこんな風に部屋でゆっくりしてるのなんて、久しぶりだ。実験にようやく区切りがついたんだろうか。なんてことを考えながら、俺の視線はなんとなく、光源の前でちらちらと動くものの方に向いてしまう。
 やっぱり俺、古泉の指が好きだな。
 モデルみたいな綺麗さはないんだけど……そうだな。好みの形なんだ。まぁ、好みと言えば、顔やら声やら髪やらスタイルやら、どこもかしこも好みなんだが……まるで俺の好みにあわせた姿形で生まれたんじゃないかって思うくらい。そんなわけないのに、おかしいよなぁ。
 こっそり首を傾げて、それでいうなら俺の方はどうなんだろうなと考える。俺の姿形は古泉の好みにあってるんだろうか。
 いや、こいつと違って、自分がどこをとっても平凡だってのはわかってるし、そのことでグダグダと悩むのはもう止めたんだ。一般的にどうだろうと、こいつが俺のことを顔とかカラダとか全部ひっくるめて好きでいてくれてるってのは、もう理解した。こいつの欲情の対象になりうるってんなら、一般受けなんてどうでもいい。
 ただ、俺の好みにこいつがぴったりあってるのと同じように、俺の姿形の各所がこいつ好みだったらいいなぁと、なんとなく思っただけだ。
 静かな部屋の中に、カタカタとキーボードの音が響く。
 ぼんやりと眺める視界の中で、古泉の指はキーボードの上でリズミカルに動く。時折、考え込むように止まり、中指でタッチパッドをくるくるとなでる。タタンと小さくタップする。あの指が触れているのが、俺の……だったらと思ったとたん、ぞく、と身体に震えが走った。
 リズミカルに踊り、優しくなでる指。気持ちいい場所を探り当て、押して、擦って、はじいて。指の動きを眺めて余計なことを考えているうちに、さっきからくすぶってた俺の中の衝動はますますふくらんでいった。ぞくぞくする。もう、どうにもならない。
「……お前の指って、綺麗だよな」
 唐突にそう言うと、古泉はびっくりしたように指を止め、振り返った。寝転がったままの俺と目があって、その顔が優しく微笑む。
「目が醒めたんですか。うたた寝は気をつけないと、風邪をひいてしまいますよ」
「うん……」
 そっと、頬に指が触れた。それだけでぞくりと快感が身体を走って、熱が上がる気がした。だけどどうやら俺の頬は冷えてるらしく、いつもは冷たい古泉の指がなんだか温かく感じられる。俺は毛布の中から手を出して、その手を捕まえた。
「実験、終わったのか?」
 寝転がった状態で、つかんだ古泉の手を弄ぶ。指をつかんで握ったりなでたりしても、古泉は俺のするがままになっている。
「はい。ようやく一区切りつきまして……あとは、レポートをまとめて提出するだけです」
「そっか……」
 やっぱり深爪だな、と思いつつ、手の甲を頬にすり寄せる。ちょっと荒れ気味だが、痛いほどじゃない。
「あなたにもご迷惑おかけしましたが……」
 口元に持っていって、人差し指の指先に口づけた。ついで舌を出して、その指の腹を舐める。ビクリとしてひっこめようとする手を強く握って、人差し指と中指をまとめて咥えた。指の先から根本、指と指の間に舌を這わせて舐めあげると、古泉の綺麗な指はたちまち俺の唾液にまみれた。
「あ、の……」
「ん?」
「指、が、どうか……」
 ちゅぱ、と音を立て中指を唇から離し、舌を側面に這わせながら上目遣いに古泉を見上げる。薄暗いので顔色はよくわからないが、動揺してるのがよくわかった。
「別に。好きだなと思っただけだ」
 素っ気なくそう言って、薬指に軽くかみつき、さらに舌をからめる。ちゅくちゅくと唇でしごくように出し入れしてみせると、古泉の喉が鳴る音が聞こえた。
「えっと……」
 上擦るのを必死で押さえているような声色で、古泉は俺の名を呼ぶ。
 だからなんだよ。言いたいことがあるなら、さっさと言え。
「あの、これは……お誘いいただいてる、ということで、いい、んですよ、ね……?」
「…………」
 おそるおそる、自信なさげにそんなことを言うもんだから、じろりと思い切りにらみ付けてやった。とたんに古泉は逃げ腰になって、あわてて首を振る。
「あっ、いえなんでも」
「アホか」
 さらに大胆に指を咥え、じゅと派手に音をたてて吸ってやった。
「――当たり前だろうが。実験だかレポートだか知らんが、2週間も放置しやがって」
 もうこれ以上我慢できんはやくしろ、と偉そうに言ってやったら、古泉のアホは真っ赤に(多分)なって、頭を抱えやがった。
「あなたって人は……どうしてそう……」
 何がだ。忙しいのはわかってるから2週間、文句も言わずに我慢してたんだろうが。時間がどうとかムードがどうとか言いたいのかも知れんが、今日は聞かん。……我が儘のひとつくらい言わせてくれ。
「もう……っ」
 いきなり古泉の指が引き抜かれる。ちゅぽん、とマヌケな音がした唇を噛みつくみたいな勢いでふさがれて、もぐりこんできた舌ですごい勢いで貪られた。ぎゅっと抱き締められて、渇いてた身体に染みとおるみたいに、快感が身体を支配する。
「知りませんよ、どうなっても。……僕だって、ずっとずっと我慢してたんですからね?」
「こっちのセリフだ」
 シャワーすらせず、夕飯も後回し決定。ベッドに移動する時間すら惜しくて、俺はとにかくはやくと古泉の首にしがみつく。興奮を隠すこともなく、荒い息をつきながら俺の上にのしかかり、古泉は俺の耳許でまだなにやらごちゃごちゃ言っていた。
「あれですよね、なんか、吹っ切れてからのあなたって」
「あ……? こら、そっち向くな。近くで顔見るの久しぶりなんだから」
「……ほんとにもう」
 やっとガン見できるのにそらされてたまるかと、頬を両手ではさんで固定する。
 そうしたら古泉の奴は、泣くのと笑うのと照れるのとどれかひとつにしやがれと言いたくなるような器用な表情をして、溜息みたいな声でつぶやいた。

 時々小悪魔ですよね、ってのは、一体どういう意味だ。



                                                      END
(2012.12.09 up)
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ひさびさの大学生古キョン。
吹っ切ったキョンは、どうやらこーいう方向性のようです。