道の途中で僕たちは
02

 それは、大学が夏休みに入った、ある晩のことだった。
翌日にふたりで出かける予定があるため、彼はバイトのシフトも入れておらず、だが家を出るのは夕方になってからなので特に早起きしなければというわけでもない。つまり、そこそこに余裕のある夜で、彼が決行を決意したのはそこにも理由があったと推測できる……などと冷静に分析できたのは後日のことだ。
 僕がいつものように電車などのルートを決めて彼に伝え、彼がわかったとうなずいてそれぞれの部屋に引っ込んだのは、普段通りの時間だった。パジャマに着替えて部屋の照明を消し、ベッドにもぐりこんで目を閉じる。
 すると、もう最近では習慣になりつつある妄想が、あっという間に脳内を浸食しはじめた。あまりに繰り返した妄想は近頃ではリアルさを増して、そろそろ自分でもヤバイのではと思う。ほら、今日も彼が部屋のドアをそっと開け、僕の部屋に忍んでくるなんていうシーンが幻聴付きで……。
「……古泉?」
 えっ?
なんだか今の声は、いくらなんでもリアルすぎないか?
ついに自分は頭がどうかしてしまったのかとあわてて目を開くと、部屋のドアは確かに開いていて、そこに逆光になって表情の見えない人影があった。
「もう寝ちまったか……?」
 キシッと、フローリングの床が鳴る。僕が身じろぎも出来ずにいると、彼は灯りをつけるでもなく、そのまま僕の寝ているベッドの方に歩いてきた。ベッドがきしんで、彼が僕の足下に座ったのがわかった。
「どう、されたんですか……?」
 ばくばくと高鳴る心臓をなだめながら、身体を起こす。闇になれた目に映る彼はパジャマ姿で、僕をじっと見つめていた。
「俺は、ずっと考えてたんだ」
「何をですか?」
 僕の質問を、彼は無視した。
「やっぱり、原因は俺なんだと思う。まぁ、お前が悪くないかと言うとそんなことはないはずだが、事の発端はどう考えても俺だろう。だから」
「は、あの……なんのお話なん……」
「だから、是正のための第一歩も俺から踏み出してしかるべきだろうというのが、考えついた俺の結論だ。異論は認めるが、とりあえず大人しくしとけ」
 彼はそう言うと、ベッドの上に乗ってきて、僕がかけていた薄い上掛けをはぎとった。面食らった僕が動けないでいると、あろうことか彼は僕のパジャマのズボンに手をかけて、下着ごとそれを引き下ろしたのだ。
「ちょ! あ、あなた一体何を……っ!」
「うるさい。黙ってろ」
 いっさいの躊躇いを見せず、彼はいきなり僕の性器をつかみ、口に含んだ。
「うあ……っ!」
 生温かく湿ったものが、僕を包み込む。ざらり、と舌で舐めあげられて、たちまち固くなったのが自分でわかった。思わず腰を引こうとすると、彼の手がしっかりと巻き付いて阻止してくる。じゅぷじゅぶ、とかぴちゃ、とかいう淫猥な水音が聴覚を刺激して、あまりの強烈な快感に腰が浮いてしまう。
 大胆な行動の割に、彼のやり方は決して慣れたものではなかった。たどたどしく舌を這わせ、口腔内に全部を含んで唇でしごき、手でそっと付け根の下のやわらかい部分を揉む。ビクビクと体を震わせながら見下ろしてみると、苦しそうに眉を寄せた彼が時折ちらりと、上目遣いで僕の反応を伺ってくる。その仕草にすら劣情を刺激され、僕は情けないほど簡単に追い詰められてしまった。
「だ……っ、ダメですっ! はなしてくだ……ひっ……!」
 何を察したのか、彼が先端部分を口に含み、強く吸い上げてきた。途端に頭は沸騰したかのように沸き上がり、背筋にいい知れない戦慄が走る。僕は離れさせようと手をかけた彼の頭をかえって抱え込むようにしながら、彼の口腔内へと吐精してしまった。
「う……」
 はぁはぁと肩で息をしながら、ベッドに沈む。顔を上げた彼は眉をしかめたまま何事か考え込んでいるようだったが、やがてその喉がごくりと動いて何かを嚥下した。
 飲まれた、と思ったら、なんだか涙が出てきた。
「……あんまりうまいもんじゃねぇな」
「あ、なたは……一体、どうしたんですか……」
 口元を腕で拭いながら、彼は笑いもしない。
「こんな、ことをして……」
 もうダメだ。もう待てない。
僕は身体を起こし、じっと僕を見つめている彼に手を伸ばした。
 せっかく必死で堪えていたのに。
ギリギリのラインで踏みとどまっていたのに。
彼自身がそのラインを踏み荒らした。
彼の迷いがどうであろうと、もう僕は自分を抑えられない。
煽られた欲望という名の炎は、鎮火できない勢いで僕の内側を炙っている。
今すぐに、彼をめちゃくちゃにしてしまいたい。
「どうするんです。僕はもう、止まれませんよ……?」
 僕が本気の力を出せば、彼くらい楽にねじ伏せられるのは知っている。機関で受けた訓練の賜物は、まだそれほどなまっちゃいない。だがこの力を彼相手にふるうことなど、今まで考えたこともなかったのに。
 彼の腕をつかんで乱暴に引き倒し、身体を入れ替えてベッドの上に押しつける。唇をあわせこじあけて、彼の舌と歯の裏側を侵略する勢いで舐めまわした。僕の放ったものを飲んだばかりの彼の舌にはまだ少し味が残っていたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 抵抗らしい抵抗がないのをいいことに、ボタンを外すのももどかしく上着をたくしあげ、直接彼の肌に触れる。ビクリと彼の身体が震えたが、今回ばかりはやめることはできない。泣こうがわめこうが、煽ってきたのは彼の方なのだ。
 もうどうにでもなれ、というのが、そのときの僕の心境だったのだが……。

 ふいに、するりと彼の腕が首にまきついてきた。
無理やり奪っているはずの彼の唇が押しつけられ、舌が積極的にからみつく。

「……よかった」
 唇が離れたわずかな隙に、彼が息だけでそうつぶやいた。僕は思わず、彼を貪ろうとしていた手を止め、その顔をのぞきこむ。薄暗い夜の底で僕を見上げる彼は、なぜかホッとした顔をしていた。
「これでその気にならなきゃ、いよいよ俺がお前を押し倒さなきゃならんかと思ってたぜ」
「え……」
「つきあい始めて2ヶ月だぞ? いつまでもお前がやろうとしないんなら、俺がするしかないだろうが」
 いろいろと煽るような格好とかしてみたのに、お前、逃げやがるし、と、彼は少し不満げにつぶやいた。どうやら彼は、あの無防備な姿とかあれとかそれとかで僕を誘っていたらしいとそのとき察した。まさかそんな、と、僕としては絶句するしかない。
「だってあなた……嫌がってませんでしたか、最初に手を出そうとしたとき。僕はてっきり、僕を受け入れることができるかを迷っているんだとばかり……」
「ああ……やっぱそれが原因か」
 彼は小さく溜息をついて、すまん、とつぶやいた。
「誤解させたんなら、悪かった。迷ったのは確かだが、別にお前が嫌だった訳じゃないんだ」
 それならなぜ? 目でそう問いかけると、彼は困ったように笑いながら、僕の首から手をおろし、自らパジャマのボタンをはずしはじめた。
「だって、俺は男だからさ」
 はだけられた胸は、きれいな筋肉がついて滑らかだった。息をするたびにかすかに波打ち、暑いのか緊張しているのか、汗ばむ肌が月明かりの中で光る。ほら、よく見てみろと彼にうながされ、僕の目はそこに吸い寄せられた。
「お前は、女の身体も知ってるんだろう? 見ての通り、俺には柔らかい胸もくびれた腰もないからな。しようとしたはいいが、いざ俺の身体見て触ったらやっぱり萎えました、なんてことになったら嫌だなって思っちまったのが、あのとき顔に出たんだ」
 彼はじっと僕を見つめたまま、申し訳なさそうな声で続けた。
「お前がそこで引いてくれたときは正直ホッとしちまったんだが……それからはさっぱり手を出してこなくなったから、ああ、なんか誤解させたなと思っていろいろ手段を講じたんだ。あからさまに、その……やろうとかいうのは、さすがに恥ずかしくて……」
 それがあの、無防備を装った数々の痴態だったわけですね、とつぶやいたら、彼は痴態とかいうなと言い返してきた。あれだって相当恥ずかしかったんだぞといいつつ目を逸らした彼の声のトーンが、ふいに落ちた。
「……やっぱり、俺の身体になんか欲情しねぇかなって、落ち込みそうになったぞ」
「そんな……」
「まぁ、そこで俺が引いたら、お前は一生そのままで行っちまいそうな気もしたからな。思い切って最終手段に出たわけだ。……これでダメなら、マジで無理やりやっちまうしかないかと思ってたんだぜ?」
 本気なのか、それとも過激な冗談なのか、判断のつかない口調で彼は笑ってみせた。僕もつられたように笑って、軽口めいた言葉を口にする。
「それで僕が泣きながら、お許し下さいとか言ったら、どうするおつもりだったんです?」
 そんな江戸時代の生娘じゃあるまいし、と彼は笑みをこぼし、溜息をつく。
「まぁ、そんときはそんときだな。――俺だって、好きなやつを目の前にして、いつまでも紳士じゃいられないってことだ」
 それは、彼も僕と同じ気持ちでいてくれた、という意味だ。彼も僕と同じように、僕を欲しいと思っていてくれたのだ。嬉しい。……ものすごく嬉しい。
 彼はベッドに横たわった姿勢で両手をあげ、上からのぞき込むようにしている僕の両頬をはさみこんだ。うながされるままに顔を落とし、彼の唇に自分のそれを重ねる。彼の腕が僕の頭を抱え込み、くちづけはだんだん深く、激しくなっていった。
 無心に舌と舌をからめあって貪りあい、一瞬だって離れたくなくて、息継ぎする間すら惜しいと思った。かすかにもれる彼の甘い声が、どうしようもなく興奮を誘う。
お互いの手でパジャマの上着を脱がせあって、僕が彼はまだ履いたままだったズボンに手をかけると、彼が僕の耳元でかすかにつぶやいた。
「古泉……こいずみ」
「な……んですか?」
 その呼び方が、一瞬悪夢の記憶を彷彿とさせてギクリとした。やっぱダメだ、中止な、という冷たい声が脳裏によみがえる。
 だが、現実の彼の声は不安そうな色を帯びていた。
「俺は……女の子みたいにあちこち柔らかかったり、お前みたいにイケメンだったりしない、本当にただの平凡な男なんだ。だから、途中で無理だと思ったら……やめてもかまわないから」
 僕は彼を見下ろして、微笑んだ。そして彼の右手をつかみ、下の方へと導いて触らせる。
感触に驚いたのか、彼が目を見開く。
「あなたとこうしてキスをしただけで、もうこんな有様です。……わかりますか?」
「……さっき一回、出したよな……?」
「ええ。でももう、興奮がおさまらないんです。あなたを見ているだけでも、触るだけでも、僕はいつだってあなたに欲情しっぱなしですよ」
 彼が見開いていた目を細めた。仕方ねぇなといつも僕を甘やかす困ったような笑みが、口元に浮かぶ。
「……それはそれで、問題だな」
 あとはもう言葉もなく、僕は彼の身体をきつく抱きしめた。



 そうだろうな、と思ってはいたが、彼は本当に耳が弱かった。
ちゅ、と音をたててキスをして耳朶を甘噛みすると、あわてたように身をすくませる。中に舌をいれて舐めてみたら、それだけでもう息があがってきた。
「ん……あなた、耳だけでそんなになって……どうするんですか、これから」
「う……っせ」
 面白かったのでさらにしつこく舐めていたら、次第に彼が身体をよじってもじもじしはじめた。そろっと手を下に伸ばしてみると、まだ触ってもいなかった彼の性器がすでに半勃ちになっている。
「あ、もう……」
「馬鹿、触るな……っ」
 真っ赤になって顔を背ける彼があまりに可愛くて、頬にくちづけた。ためらいがちにこちらを向いた唇を食み、薄くあいた隙間から舌を差し込んで、そっと伸ばされた彼のそれとからめあう。彼とのキスは何度してもし飽きることなんてなくて、するたびに胸の奥に、あたたかさとくすぐったさがわきあがって、しめつけられるようだ。
 でもやがてその感覚は、ゾクリと痺れるようななんともいえない刺激になって腰骨のあたりを中心にひろがり、僕の理性を攻撃する。もっともっと深くつながりたくて、僕は彼の舌だけじゃなく、口の中のあらゆる場所を舌で侵した。くちゅくちゅと唾液の混じり合う音が欲望を煽る。
「ん……ふっ……こいず……」
 彼が熱い吐息とともに僕の名を呼ぶ。じれったい、とその声が訴えていたが、僕はわざと焦らすように、彼のそこはさわさわとなでるだけにとどめていた。かわりに顎から首筋へと舌を這わせ、胸の淡い突起を舐めてみる。噛んでみたりつまんでみたりしてから、感想を聞いた。
「ココは……どうですか……?」
「んん……な……んかくすぐった……」
 やはり乳首は、いきなり性感帯になったりはしないらしい。というか、彼は1人でするときにここをいじる習慣はないのか、などと妙なことを考えてしまった。
「そのうちココも……感じるように、なりますよ」
「も、何言ってんだよおま……ひゃ!」
 きゅう、と吸い上げると、彼の身体が震えた。かまわずに脇腹をなでながら舌で腹を下方へとたどる。やわらかく愛撫していた彼の性器は、下生えの中でもうすっかり勃ちあがり、ビクビクと不随意に動いている。そこにフッと息を吹きかけたら、彼が思いがけず高い声をあげたのでびっくりした。
 思わず顔をあげると、彼が真っ赤になって両手で自分の口をふさいでいた。目の端には、涙がにじんでいる。どうやら焦らしすぎたらしい。
「……すみません。すぐに、気持ちよくしてさしあげますから」
 触れるか触れないかあたりでさまよわせていた手でそれをつかんで、先端を指の腹でなで上げた。彼が息とともに、上がりそうになった声を飲み込んだのを感じる。先走りの液体がすでにとめどなくあふれるそこをいじると、グチグチといやらしい音が響いて、そのたびに彼の身体は激しく痙攣した。
「ふ……んくっ……んぁ!」
 さんざん焦らしたせいか、彼の反応はとても顕著だった。ただ声を出したくないのか、口をふさいでいる手を離そうとしない。僕は彼の性器へと舌を伸ばして、先端のくびれ部分をべろりと舐めてみた。
「うあ……っ! や……やめ……っ」
 泣き出しそうな声をあげるのにかまわず彼の脚を割り広げ、強く腿を押さえて、性器を下から上へとさらに舐めあげる。先端から全体を包むように咥えこみ、じゅるじゅるとわざと音を立てながら唇でしごいてみた。さらに裏側を舌でたどり、くびれの周辺から先端部分を重点的に舐めながら同時に付け根のあたりを手で刺激しすると、彼はもう何かをしゃべる余裕もないようで、口を手で覆ったままガクガクと腰を揺らし始めた。
 指の間からは声のかわりに荒い息が漏れ、腰が浮いて腹筋が波打つ。ああ、イクな、と思ったので、咥えたままで唇を激しく上下させつつ、強く吸い上げた。
「や……! もう出……あ……あ……っ、あ……!」
 身体をのけぞらせ、かすれた声をあげて彼が達した。
口の中に、生暖かいぬるりとした液体が吐き出される。避けることもせずに受け止めたそれをすべて飲み込むことにも、まるっきり抵抗を感じなかった。自分でも大概だとは思う。
 確かにおいしいものではないなと暢気な感想を浮かべながら、瞳を潤ませて朦朧としている彼をうっとりと見下ろした。くたりとシーツの上に身を投げ出し、彼は小刻みに息を継いでいる。額に汗を浮かべ、ほんのりと頬を上気させた姿がとてつもなく色っぽくて、たまらない。
 僕は彼の頭に手を伸ばし、汗に湿った短い黒髪をそっと撫でた。
「気持ちよかったですか?」
「……馬鹿野郎……」
 彼は枕を抱え込み、眉を寄せてお前まで飲むことねえのにとつぶやいた。別に怒っているとか不快なわけではなくて、照れくさくてそうすることしか出来ないのはよくわかっている。
 僕は急に沸き上がってきた愛しさをこらえきれず、まだ脱力している彼の身体をぎゅうと抱きしめ、額にキスを落とした。

「……なんかむかつく」
「え?」
 彼が息を整える間、そっと髪を撫でていたら、急にそんなことを言われた。抱えたままの枕に顔を押しつけ、彼はちょっと恨めしげに僕を見ている。
「俺ばっかりこんなぐちゃぐちゃで、お前が余裕そうなのが腹立つ」
「そう……見えますか」
 とんでもない話だ。ことの最初からずっと僕は興奮しっぱなしで、彼の可愛らしくていやらしい痴態に、逸る気持ちが抑えられないでいるというのに。彼を傷つけまいと必死で自制しているだけで、本当はもういますぐ彼をめちゃくちゃに抱いて、その身体の中に欲望を注ぎ込みたくてどうしようもない。素数のひとつも数えていないと、頭に血が上って暴走しそうなのだ。
「我慢してるんですよ。これでも必死に」
「なんで。する必要ないだろ」
「いえ……そんなわけには」
「……挿れたいんじゃ、ねえのか」
 微妙に目をそらしたまま、彼が直截なことを言ったので、少し焦る。
ええと、あなたのその覚悟は、大変嬉しいのですが。
「あなたを傷つけたくないんです。今日は……何も準備してませんし」
 女性のそれと違って、男同士の場合に使用する場所は、挿入の助けとなる分泌液を生じない。そのために、ローションやそれに類する物が必要なのだと……調べはしたが用意まではまだしていなかった。用意などしたら、待とうと決めた心がぐらつきそうだったから。
 ……ちなみに、最初に押し倒したときにはそこまでの知識がなかった。舐めれば大丈夫だと思っていた。甘かったな。
「……俺の寝間着の、胸ポケット」
 目を会わせようとしないまま、彼がぼそりと言った。なんですかと聞き返すと、いいから俺の寝間着と繰り返す。さっきベッドの下に放った彼のパジャマを拾い上げ、言われた通りに胸のポケットを探る。と、出てきたのは。
「……ハンドクリーム?」
 それは手のひらに納まるサイズのチューブに入った、新品のハンドクリームだった。首を傾げて彼を見ると、いつの間にか彼は完全に僕に背中を向け、抱え込んだ枕に顔を完全に埋めている。後ろから見える耳が真っ赤だ。
「ホントは、専用の使わないと、なんだ……が……」
 え、これは、もしかしてそのための。
「それで代用になるって……聞いた、か、ら」
 どんどん語尾が小さくなる彼の言葉。彼の決心の並々ならぬところを見せられて、不覚にも感動で泣きそうになってしまった。
 羞恥のあまり死にそうになっている彼を、背中から抱きしめる。照れ屋で恥ずかしがり屋で、しかも間違いなく初めてのはずの彼がここまでしてくれたのだ。ここで怖じ気づいては男が廃るというものである。
「ありがとうございます……いい、んですね……?」
 そう言いつつ、臆病な僕はやっぱり彼の許可を求めてしまう。耳元でささやけば彼は、うっといったん声をつまらせてから、
「覚悟決めて来たんだから、俺は、逃げも隠れもせん」
 と、僕よりよっぽど雄々しく格好良く答えてくれる。
やさしくします、と小さくささやいて、馬鹿と返してくる身体をぎゅっと抱きしめる。左手は彼の腰にまわしたまま、右手でチューブの蓋をあけた。中身をたっぷりと指に取って、彼の後ろをそっとなでてから、そろりと中に潜り込ませる。
「は……うっ……!」
 反射的に逃げようとする腰を押さえつけて、耳元から首筋にキスをする。そのまま身体ごと向き直らせ、苦しそうに息を継ぐ唇にキスしながら、ゆっくりとそこをほぐしにかかった。クリームの助けを借りるとそれほど抵抗なく指は抜き差しできるが、それでも彼は辛そうに顔をゆがめている。切れ切れに漏れる声も、まるでしゃくりあげるようだ。
 酷い話だが、僕はそんな彼の姿にひどく欲情していた。泣きそうになりながら僕を受け入れるための苦行に耐え、荒く息を継ぎつつ時折苦鳴をもらす彼に嗜虐心をかきたてられる。ぞくぞくと背筋に走る感覚に、僕自身も痛いほど張りつめてきていた。
 かなりほぐれてきた彼のそこに、2本目の指をねじこむ。事前に調べていた知識にしたがい、指を鈎状に曲げて腹の内側あたりを探ってみた。
「な……にやって……」
 不安そうな彼にはあえて答えず、傷つけないよう慎重に指を動かす。……このあたりだろうか。熱い内壁の一点、少し固いかな?と思ったあたりを指でぐいと押してみる。すると、突然彼の身体が跳ねた。
「っあ! い……っん、なん……っ!」
 目を丸くしている彼に、見つけましたね、とささやいて、さらにそこを擦りあげる。彼は殺すこともできなかったあられもない声をあげて、身体をしならせた。足指がきつくシーツをつかむ。
「こっ……こいず……な……に……」
「大丈夫ですよ。……あなたの気持ちいいところを、見つけただけです」
 しつこくそこを刺激しつつ、ついでに透明な液体をだらだらと際限なくあふれさせている彼の性器もしごくと、彼は声も上げられずに首を激しく振った。
「ふぁ……っ! あっあっ、うぁ……ん、くっ」
 声を我慢しようというのか、彼は手を口元に持って行き、唇にあてた。指に歯をたてようとしたので、その手を押さえて指を絡め、シーツに押しつける。
「はな……っあ……んっ」
「ダメですよ……傷になっちゃいます」
「う、くっ……あ……あ! ひぅ……! も、や……」
 潤んだ目尻から涙をこぼし、唇の端からも唾液が伝い落ち、しゃくりあげるように息をつく彼。辛さと気持ちよさがないまぜになったようなぐずぐずな表情は、僕をひどく煽った。 普段、茫洋としつつもどこか凛とした雰囲気をまとっている彼からは想像もつかない乱れきった姿が、いやらしくて可愛くて。彼のこんな姿、知っているのは僕だけだと思ったら、もう我慢がきかなかった。
 彼の中からずるりと指を引き抜くと、その感覚に彼がまた嬌声をあげた。頭に血が上ってめまいがする。もうダメだ。彼の中に入りたい。入って、思うさま突き上げたい。そして彼の中に注ぎ込みたい。
 その衝動のまま、彼の入り口にもう痛いくらいになっている自分の性器を押し当てた瞬間、はっとした。
「あ……すみま……っ……ゴムが」
 そうだ、コンドームがない。このまま入れてしまっては、彼の身体にさらに負担がかかる。なけなしの理性を総動員させようと息を詰めた瞬間、彼が僕の腕をぐいと強くひいた。
「い……から……っ! はやく……!」
 欲情に潤んだ目に涙をためた彼の、懇願するような声が聞こえた途端、僕の中で何かが切れた音がした。

 悲鳴じみた声にもかまわず、彼の中にねじこんだ。
きつくて狭くて熱くて、締め付けながらまとわりつく感覚に、知らず声が漏れる。腹に力をいれて奥へ奥へと突き進み、彼の双丘と僕の下腹の肌が触れあった。入った……とうわずった声をあげたら、彼が両手で力一杯しがみついてきた。
 やっと、つながった。彼と。
心だけでも嬉しいけれど、やっぱり身体だってつながりたい。
人間としての本能に、逆らおうなんて思わない。
大好きな人とは、どこまでも深く深く、ひとつになりたい。
「すき、ですっ……」
 耳元で、彼の本名を呼んだ。あの部室ではじめて出会ったあの日から、僕だけしか呼ばなかった彼の名前。僕だけが呼び続けた、名前。
 とたんに、きゅう、と彼のそこが痛いほどに締め付けた。腰の奥から背筋に沿って、ものすごい快感が脳に届く。
「おま……っ! それっ……反則だろ……!」
 息も絶え絶えといった様子で、彼が抗議する。しめつけられた刺激で僕のそれも硬度を増したらしく、叫ぶような声があがった。
「痛たたっ……!! 急にお前……っ」」
「す、すみませんっ……あなたが、すごい締めるか……らっ」
「馬鹿やろ……!」
 背中にまわった彼の手が、さらに強く抱きついてくる。
かすかに震えながら、必死に息をととのえようとする彼が愛しくてたまらなくて、顔中にキスを降らせた。目尻に浮かんでいる涙を舌で拭い、目蓋にくちづけながら、僕は堪えきれずにゆるゆると腰を揺らしはじめた。
「く……んぅ……」
「だいじょうぶ……ですか……?」
「んっ……へいき……だっ……から」
 とても大丈夫ではなさそうな表情で、彼はうなずいた。彼が痛みとかいろいろなものに、必死で耐えているのがわかる。それでも、大丈夫だと、先に進んでいいと、彼が覚悟をみせてくれるなら、僕はそれに応えたい。
 汗ばむ彼の身体を抱く手に力を入れ、ぐっと腰を押しつける。少し引いてはまた突き入れる動作を繰り返し、さっき見つけた彼の前立腺を探した。
「っあ……あ、……ひ……っ!」
 ビクンと、彼の身体が跳ねた。このあたりか。
そこを中心にえぐるように、ぐいぐいと突き入れ腰を打ち付ける。肌のぶつかる音と結合部分から聞こえるじゅぷじゅぷという水音が生々しい。彼の爪が背中に食い込んだけれど、痛みさえ感じないほど、僕はその行為に没頭していた。
「あ……こ……こいず……こいずみ……っ……こ……」
 おぼつかない発音で名を呼ばれ、ぞくりと身体の芯に痺れが走る。それに応えて耳元で彼の本名をささやいてやれば、彼はそのたびに身体を震わせ締め付けて、さらに甘い声をあげる。やがて彼は僕の身体にすがりついて、絶え絶えに訴えた。
「も……イきた……っ」
 その要求に応えて、もうずぶ濡れと言っていいほど濡れそぼっている彼の性器をつかむ。先端をぐりぐりと強めにいじると、彼は腰を浮かせて息を吸い込んだ。
「あ! や……だ……んあっ!」
 よっぽどギリギリだったのか、数回しごきあげただけで彼は達してしまった。2回目だというのに勢いの衰えない精液が噴き出し、僕の指を濡らす。本当ならここで一息つかせて差し上げるのが正解なのだろうけれど、荒く息を刻みながらこちらへ向ける潤んだ目と上気した頬を見た途端に、自制心がはじけ飛んでしまった。
 好きだ。この人が。心の奥底から、マグマのように熱く吹き出し、溢れる想い。
 ココロもカラダも、この人の何もかも、すべてが欲しい。
 好きなんて言葉だけじゃ足りない。愛してるでもまだ足りない。
 言葉じゃ、足りない。
「……すみません……もう……っ!」
「うぁ……! こいず、みっ!」
 貪るように、文字通り余裕なく、本能の求めるままに彼を穿つ。彼が苦痛に顔をゆがめても、声にならない声で悲鳴を上げても止めようもなくて、僕はひときわ深く彼の中へと突き入れたその最奥で、精を放ってしまった。



 しばらくは、指の一本も動かせる気がしなかった。
肺は酸素を取り込むことに精一杯のようで、ぜいぜいと息を継ぐことしかできない。身体の中を吹き荒れた嵐が通り過ぎたあとに、残ったのはふわんとした幸福感だった。
 腕の中で同じように息を荒げていた彼が、しがみついていた両腕をパタリと落とした。
「腹の……中が……熱い気がするな……気のせいかな」
 彼が、ぼそりとそんなことを言った。
「あ……すみません……中に……」
 身体を起こしてずるりと彼の中から引き抜いたら、彼のそこから白い液体がとろりとあふれだした。なんだか、すごく生々しくていたたまれない。
「シャワーに行きますか……?」
「ん……、そうだな」
「早く処理しないと、身体に悪いらしいですし」
「わかってる」
 そういいつつ、彼は身体を起こしただけで動こうとせずに、まじまじと自分の中から出てくる液体を眺めている。なんとなく気恥ずかしくて、僕はティッシュの箱から何枚かつかみだし、そこを拭った。
「あ、ああ……悪いな」
 はっと我に返ったように、彼が身動いた。
「大丈夫ですか? ボンヤリとしておられるようですが、どこか痛いですか?」
「いや……ちょっとな。今、自分で自分にひいた」
「は?」
 彼は決まり悪げに僕から目をそらし、ぼそぼそと言った。
「……なんか、出てっちまうのがもったいないな、とか思ってた。男の発想として、どうなんだそれ」
「出て……?」
「その……お前の、が……」
 一拍遅れて意味を理解した途端、カッと頬に熱があがった。真っ赤に染まったのが自分でわかる。あまりに恥ずかしくて、僕はあわてて枕に突っ伏した。
「なんですかその殺し文句は……! さては僕を萌え殺す気ですね!?」
「なっ、なに言ってんだ馬鹿野郎! 照れんじゃねぇよ、気色悪いっ!」
「あは、その台詞も久々ですねぇ」
「喜ぶな! マゾかお前は」
 容赦ない彼のツッコミが嬉しくて、僕は寝そべった姿勢のままで彼の腕を引いた。意外にも、彼は抵抗せずに僕の腕の中へと倒れ込んでくる。情事の余韻の残る身体を抱きしめて、汗に湿った髪にくちづけた。
「……痛かったですか」
 小さい声で、そう聞いてみた。最後は自制がきかなくて、かなり酷いことをした自覚があったから。初めての記憶が、嫌なものになっていなければいいけれど。
「そりゃ、痛かったに決まってんだろ。というか、まだ痛い」
「えっ、どこですか。ココですか?」
「わ、馬鹿さわんな! ……しょうがないだろ。初めてなんだし?」
 あわてて後ろをさすろうとしたら、手を叩かれて撃退された。その動きが痛みを誘発したらしく、彼が顔をしかめた。
「すみません……あなたにそんな思いをさせてしまうなんて」
 おろおろしていると、彼がくすっと笑って、片手を僕の後頭部にまわした。額と額を軽く触れあわせ、彼は目を閉じる。
「バーカ。いいんだよ、痛くたって」
「え……あ」
「お前と、やっとひとつになった証だろ。まぁ、名誉の負傷? 違うか」
 彼が微妙にはずしたことを言うから、僕も思わず笑ってしまう。
「なんですか、それ」
「違うか? まぁ、似たようなもんだ」
 彼らしい大雑把さにますます笑うと、彼は後頭部に置いた手でそっとなでてくれた。サラリと髪を梳く感触が気持ちいい。
「だからさ。この痛み込みで……俺は嬉しいんだ。古泉」
 2ヶ月の間、逡巡して遠回りして、やっとたどりついた僕たち。
だけどこれは、2度目の始まりに過ぎない。僕たちの道はまだまだ途中で、見通せないほどずっと先まで続いている。なだらかではない、デコボコだらけの道だろうけど、それでもちっともかまわない。
 彼とふたりなら、どこまでだって行けるはずだから。
「ふふ。マゾはあなたの方ですね」
「うっせ」
 もう一度、どちらからともなくキスをして、僕らはまた笑いあった。
「――愛してます。今までも……これからもずっと」
「うん。……俺も」



 翌日。それでもやはり、慣れない行為は相当きつかったらしく、彼は日中はずっとソファに寝転がってうなっていた。だが、出かける予定はキャンセルしなかった。というか、出来ない類のものだった。
 電車の中で彼は、座わらずに立っていたおかげか比較的平静を装うことに成功していた。目的地の最寄りの駅に着いてからもわりと平気な顔で歩いていたが、それでもやはり辛いらしく、時折顔を顰めている。
「歩きづらそうですね?」
「しょうがねぇだろ、痛ぇんだから。お前、次からはもっと自重しろよ」
「鋭意努力はいたします」
「なんだよその国会答弁みたいなの」
 じろりとにらみ付けられて、僕は苦笑した。
だがもちろん、僕の答弁は本気だ。彼の身体のためにも、次回からはきちんと準備を整えてから挑まなくては……と考える側から、次回なんて単語に胸が高鳴る。当たり前のように次回を約束できる関係になったことが実感されて、なんだかくすぐったいし照れくさいし、それ以上に嬉しかった。
 この、隣を仏頂面で歩いている彼が、もう全部僕のものなのだと思うと、つい顔がにやけそうになる。彼の身体の隅々まで、触れることが許されるのは僕だけ。彼のあんな顔もそんな姿も、知っているのは僕だけ。それが嬉しくて誇らしくて、そのあたり中の誰にだって、羨ましいでしょう? なんて言ってまわりたくなる。いえ、言いませんけど。
 そんな考えを必死に押さえた通常通りのスマイルで、僕は雑踏の中に見えた目的地を指さした。
「あ、ほら出発ゲートはあそこですよ。あー、さすがに目立ちますねぇ、お二人は」
 雑多な人々が行き交う空港の中でも、彼女らの姿はひときわ鮮やかだ。荷物はとっくに預けたのだろう。小さめのバッグだけを手に、涼宮さんと長門さんが僕らを待っていた。
 そう。今日は、彼女らが夏休みを利用した短期留学のためにイギリスに発つ、その日なのだ。
「ちょ、古泉、もっとゆっくり歩け」
「……かまいませんけど。もう少し普通にしていないと、バレますよ? 涼宮さんはともかく、長門さんに」
「う……」
 ありえそうだ、と彼が考えているのがわかる。気まずそうな様子がなんだか可愛くて、僕はつい悪戯心を起こしてしまう。
「まぁ、彼女には、普通にしてても丸バレかもしれませんけど」
「うるっせぇ! 黙ってろ!」
「はいはい。――やぁ、お元気そうですね、涼宮さん、長門さん」
 こちらに気がついて手を振るお二人に応えながら、ちらりと彼を見やる。
いつもの仏頂面ながらほんのりと赤い頬に気がついて、僕は胸の中にじわじわと広がる幸せをかみしめたのだった。


                                                      END
(2010.04.03 up)
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初夜編、これにて完。
やっぱりキョンが男前でしたよ、というお話でした(笑)

最後のシーンは、前作のラストシーンへと続く一幕です。
この状況を知ってから前作のラストを読むと、なんとなく、ぬるい笑いがわいてきませんか。