それはまるで夢のような
01
「あのっ、それなら僕と一緒に住みませんかっ!」
「はっ?」

 昼下がりの喫茶店。彼と差し向かいでコーヒーを飲みながらのひととき。彼の話を途中で断ち切って、僕は勢い込んでそう切り出した。座っていた椅子から立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出しまでして彼に詰め寄る僕の姿は、周囲にはどんな風に見えているだろう。もしかしたら、一世一代のプロポーズを敢行している男みたいに見えるかもしれない。
 ……いやまぁ、心情的にはそれと大差ないんですけどね。ええ。
 飲みかけていたコーヒーを手に持ったまま目を見開いていた彼は、やがて目をしばたたき、次に眉を寄せて首をかしげた。
「ええと……そりゃどういう意味だ」
「もちろん同せ……同居の申し出です」
「ああ。なるほど、ルームシェアってやつか。……ふむ」
 カップをそのままソーサーに戻し、腕を組んで考え込んだ彼は、やがて難しい顔で僕を見上げた。
「正直、その申し出は大変ありがたい。……が、古泉」
 な、なんですか。何か問題でもありますか。同棲とか言いかけたのは謝ります。ちょっと本心がだだ漏れただけで……いえ、なんでもありません。
 心の中でそんなことを言いつのっていると、彼がやれやれとつぶやいて人差し指を下に向けて振った。
「恥ずかしいから座れ。そして落ち着け」
 はっと気がついて周囲を見回すと、店内中の視線が僕たちに……正確には僕に、集まっていたのだった。



 希有にしてにぎやかな3年間を過ごした北高をつい先日卒業し、双方とも大学への進学が決まっている僕たちは、もちろん一緒に住むことを同棲と呼ぶような間柄ではない。
 僕自身は1年生の時分に彼への恋心を自覚してから、ずっとずっとしつこく彼を想い続けていたが、さまざまな事情がある関係上告白なんてできるはずもなく、一方通行の片恋をこじらせたままだ。
 想いを抑え続け、彼のよき友人であろうとつとめて過ごした3年間。隠しおおせたことにほっとしつつも未練を引きずりまくっていた僕は、正直に言って彼との縁をこの先どうつないでいけばいいのか、ずっと悩んでいた。涼宮さんはSOS団を解散する気はないと宣言したものの、学校が違う彼とそう頻繁に会合がもてるとは思えない。このまま疎遠になるのだけは避けたいと考えては眠れぬ夜を過ごしていた矢先、駅前の不動産屋の前で偶然彼に再会した。
「大学生にもなったら、男の子は独立するものよってのがオフクロの持論でな。仕送りはしてあげるから、自分でアパート借りて親離れしなさいって言われたんだ」
 お茶でもどうですかと誘うと、彼はめずらしくそれに乗ってくれた。そして、物件情報を眺めていた様子を思い出して、部屋を探しているんですかと水を向けてみたら、彼は肩をすくめつつ、そう答えてくれたのだ。
「まぁ、それはいいんだが、のんびり構えてるうちにめぼしい物件はみんな埋まっちまってな。家賃がクソ高いとことか、大学通うのにものすごく不便なとこしか、もう空きがない状態になっちまった。どうしたもんかと思案中なんだよ」
「なるほど、そうでしたか……」
 彼が合格したのは、たしか聞けば誰もが知っている私大のはずだ。
 ちなみに僕は、高校時代よりは安定しているがいまだ神的な力が持続している涼宮さんを監視するため、彼女と同じ国立大に入学が決まっている。もちろん正規に試験を受けた関係上、さすがに学部までは同じとはいかなかったが、同学部には長門さんが入る予定なので、まずは安心というところだろう。涼宮さんとしてはぜひ彼も同じ大学へと願っていたと推測はできるけれど、あいにく奇跡は起きなかったらしい。朝比奈さんがごく至近の女子大に通っている現状を考えると、もしかしたらイレギュラーな出来事だったのかもしれないとは思うのだが。
 そんなわけで大学生になっても“バイト”継続決定の僕は、大学近くに機関が用意したマンションに引っ越すことになっていた。
 たしか彼の通う予定の大学と僕の大学は、最寄り駅こそ違うが同じ沿線のはず。そう気がついた次の瞬間、僕は椅子を蹴って立ち上がり、わりと後先考えずにルームシェアを提案していたのだった。
「だが、お前んとこのマンションは“機関”がかりなんだろう? いいのか、上の意向を聞かなくて」
「相談してみますが、たぶん大丈夫です。相手があなたなら、問題ないでしょう」
「……そうか」
 彼はいつも通りのしかめっ面でしばらく何事か考えていたが、やがて小さく溜息をついてニヤリという表現に近い笑みを見せた。
「まぁ、お前のダメダメな暮らしっぷりは、前から気になってたんだ。俺もそんなにマメな方じゃねぇが、そういうことなら少し俺が指導してやる」
「あはは……お手柔らかに……」
 食事はレトルトか冷凍食品、掃除は週一のハウスキーパーさんまかせ、洗濯物は全部クリーニングへという僕の壊滅的な家事能力のなさに、彼がげんなりしていたのは知っている。僕としてはそれで大して困ってはいないのだが、それでも彼がそのあたりの諸々をこまごまと世話してくれる場面を想像したら、頭に血が上ってめまいがしてきた。
「と、とりあえず、機関の方に相談してみますね」
 赤くなっているに違いない顔を、なんだかこの店暑いですね、とごまかしながら、僕はそう言いつくろった。
 まずは自分の心の整理の方が急務なのは、間違いのない事実だな、と思いながら。



 機関に相談してみたら、ものすごい勢いで肯定の返事が返ってきた。
 そういえば、涼宮さんの力が継続している以上、彼の“世界の鍵”としての重要性もまだ健在なのだ。学校の方には恐らく別のエージェントが手配済みなのだろうが、その上僕が彼のプライベートまで監視できるとなれば、機関としては万々歳だろう。
 僕のあずかり知らぬところで話はどんどん進んだらしく、住む予定のマンションまでが、最初に用意されていたワンルームから2LDKにランクアップした。二人で住むなら、一部屋づつプライベートルームが必要だろうということらしい。
「ずいぶん広いな。うちは、そんなに高額な家賃は払えんぞ?」
 探してたのは築30年くらいの学生用アパートだったんだからな、と、まだガランとしたままの部屋を眺めながら彼が言う。
「このマンションは鶴屋グループの持ち物だそうですよ。まったくタダではあなたもあなたの親御さんも承知しないでしょうからいくらかはいただきますが、それほど負担にはならない額になるでしょうね」
「そうか。なんかかえって悪いな」
「偉いさんのすることですから、お気になさらず」
 そんなもんか、と彼は納得したようにつぶやき、あらためてという風に僕に手を差し出してきた。
「んじゃ、これからよろしくな。古泉」
「ええ、よろしくおねがいします」
 いつも通りに微笑みつつその手を握り返しながら、僕は彼が見せた笑顔にまた血圧があがるのを感じた。
 いけないいけない。こんなことでは、これからはじまる彼との生活に耐えきれない。今まで以上に気を引き締め、理性を総動員させておかなければ。大丈夫。機関の一員となってから、鍛えに鍛えた鉄壁の笑顔で乗り切ってみせる。がんばれ、一樹!
 ……って、なんでいきなり脱いでるんですかあなたはっ!
「え? いや、掃除するのにTシャツに着替えようと」
「……ご自分の部屋で、どうか」
 いいじゃねえか別に男同士なんだし、なんてぶつぶついいながら彼が荷物を持って自室に向かう。ああ……なんだかいきなり、乗り切る自信がなくなってきたぞ。
「がんばれ、一樹……」


                                                    NEXT
(2010.02.20 up)

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ちょっと長めのお話です。
しばらくの間、おつきあいください。