最低な男−古泉SIDE−
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 アルコールを過剰に摂取した翌朝、見知らぬベッドで目が醒めるという経験は、そうめずらしくもないものだろうか。
「大変、申し訳ありません」
「……」
 では、昨夜の記憶が途中からさっぱりない上に、一緒に飲んでいたはずの相手が、同じベッドで眠っていたという経験は?
「もう、どうおわびしていいのやら……」
「……」
 さらにいうなら、その相手が高校時代からつきあいのある……親友と言っていい間柄だったはずの、男友達、であった、という経験はどうだろう? ……さすがに、レアすぎですよねー。
「……どこから記憶がないって?」
「えーと……三軒目……の途中までは、なんとか」
 久しぶりに駅前でばったり会って、せっかくだから食事でもどうかという流れになり、居酒屋で生ビールなど飲みながら食事をした。数ヶ月ぶりの再会に話が尽きず、場所をショットバーに移して飲みなおした。
 そういえば今朝から風邪気味で、風邪薬を飲んでいたんだっけ、と思い出したのは、いつもより酒のまわりが早いことに気づいたときだった。まぁ、気づいたときにはすでに遅く、その場があまりに楽しすぎて、自重する気などさらさらなくなっていた。そのあげくが、この事態だ。
 部屋はちゃんとしたビジネスホテルのツインなのに、わざわざひとつのベッドに、お互い一糸まとわぬ姿で寝ていたのみならず、彼の身体には無数の赤い痣、シーツには何やらあやしげなシミ、ご丁寧に流血のあとまで残されている。これで、ただ一緒に寝ていただけ、と思いこむには状況証拠がそろいすぎていたし、何より目の前の彼のひんやりとした表情を見るに、彼自身にはちゃんと記憶があるらしい。
「……古泉」
「はい……」
 何がどうしてこうなったのかと聞く勇気が出ずに、ただ謝罪の言葉をつらねる僕に、彼の氷点下以下の声が突き刺さった。

「最低だな、お前」

 まったく、返す言葉もございません……。



 大学生ともなれば、コンパだ合コンだ打ち上げだという名目での飲み会も多く、断りきれずに引っ張って行かれることも少なくない。それでももともと弱くはない上、いつもならほどほどで切り上げていたはずだ。
 それが出来なかったのは、相手が彼だったからにほかならない。
 高校時代、みんなからキョンと呼ばれていた彼に、僕は道ならぬ恋心を抱いていた。1年の5月の半ばに北高に転入し、夏休みに入る前にはもう顔を見るだけで苦しくなるほどの想いが育っていたのだから、ほとんど一目惚れだったと言っていいだろう。元から同性を好む性質ではなかったはずなのに、なぜ彼だったのか。答えは未だにわからない。
 夏が終わる頃にはすっかり開き直っていたけれど、当時は様々な事情から、そのことを彼および周囲に告げたり悟られたりすることは非常にまずく、必死に隠し続けたまま卒業を迎えた。
 様々な事情、の方は、卒業式前には解決をみたものの、解決と同時に彼には恋人が出来たに違いないと思いこんだ僕は、彼とは違う大学に進んだのを機に連絡を絶った。なんとしても連絡を取ろうと思えば出来ないこともない程度の絶縁だったが、この数ヶ月中は誰も連絡してはこなかった。

 それが昨夜、偶然の再会となったわけだ。
「ハルヒとは別に、つきあっちゃいないぜ」
 一軒目の居酒屋で、どんな話の流れだったのか、彼からそんな言葉を聞いたときは、自分の耳を疑った。まさか、そんなはずは……という僕の言葉に、彼は顔をしかめた。
「みんなそう言うんだが、あいつとはずっといい友達だ。男女で仲がいいと、なんでみんなつきあってるのなんのって話にしたがるんだろうな」
「そういえばあなたには、中学時代からの親友だという女性もいましたねぇ」
「ああ、佐々木とだって、ずっと変わらない友情を育んでるぜ」
 相手はどう思ってるかわかりませんけどね、という言葉をビールと一緒に飲み込んで、僕はそうでしたかと言うだけにとどめた。実際、内心の嬉しさをおさえるのに忙しくて、それ以上どうこういい募る気がおきなかったのだ。
「それではあなたは、いまだにフリーというわけなんですか?」
「悪かったな。お前みたいなモテモテくんとは違うんだよ」
「あはは。別にそんなこともないですよ」
 彼に今現在、特定の相手がいないからといって、自分にチャンスあるなんておめでたい考えは浮かばない。ただ、それならばたまに遊びに誘うことくらいなら許されそうだと思い、それが嬉しかった。
「それなら、たまにこうして飲んだりするのにお誘いしても、大丈夫そうですね」
「ん? ああ……かまわんぞ」
 思いのほか上機嫌に彼が応じてくれたので、僕はさらに嬉しくなって、彼のジョッキが空いたのを確認してから二軒目に誘ったのだった。



「それがなんで、こんなことになったんだろう……」
 彼がさっさと服を着て、振り返りもせずに部屋を去ったあと、僕は部屋に小細工をしながら首をかしげた。といっても、使わなかった方のベッドを少々乱し、惨状のあとを残すシーツをはいで丸めてから、ケガをしてシーツを汚したとのメモをおいただけだ。

 夕べのことをなんとか思い出そうと、かろうじて残っている記憶の断片を拾い集める。二軒目でかなりいい気分になった僕たちは、たしかその時点で終電がもうないことに気がついたのだ。というか、僕はとっくにそのことを承知だったが、わざと彼に終電について尋ねることをしなかった。彼が携帯をちらりと見て、しまった終電いっちまった、とつぶやいたときにも、あ、そういえば僕もですなんて白々しく返したものだ。
「しゃあねえな。明日の授業は午後のやつだけだし、始発で帰るか」
「なら、朝までやってるとこ知ってますから、そこ行きませんか」
「ん、そうするか」
 駅裏にあるなじみのバーに連れ立って入って、そこでも僕たちは楽しく酒を飲んでいたはずだ。店内のモニタには外国の古い恋愛映画が流しっぱなしになっていて、彼が見たことがないというので解説なんかしていた気がする。が、そのあたりからだいぶ記憶は曖昧だ。

「やっぱり肝心なところは憶えてないな……痛たたた」
 頭は痛いし気分はかなり悪かったが、はずせない講義があったので渋々とキャンパスに向かい、うなりながら講義を聴いた。昼食をパスして中庭で一眠りしたらかなり回復したため、僕は午後の講義のノートを知人に頼み、昨夜3軒目に行ったバーに足を向けた。この時間なら、顔なじみのマスターが仕込みをしているはずだ。
「こんにちわ。開店前にすみません」
「あれ、古泉くん。大丈夫なのかい?」
 いかにもマスターといった風情のマスターが、僕をみるなりそう尋ねてきた。
「ええ、まあ。ゆうべは僕、何かご迷惑かけましたか?」
「いや、別にそういうわけじゃないが……いつもの倍くらい飲んでたからね」
 マスターはグラスを磨きながら、かっこよく肩をすくめる。
「それで、今日は忘れ物か何かかい?」
「いえ……お恥ずかしい話なんですが、ゆうべの記憶が中程から途切れていまして。僕と一緒に来た友人がいましたよね?」
「ああ。ずいぶん親しそうだったけど、学校の友達かい」
「ええ、高校時代の友人で、久しぶりに会ったんです。僕たち、何を話してたかわかります?」
 さぁ、聞き耳をたててたわけじゃないからねえ、とマスターは当たり前のことを言う。
「どうかしたのかい?」
「実は、酔ってるうちに僕が、何か彼を怒らせるようなことをしてしまったらしくて、友情の危機なんです。それらしい雰囲気ありましたか、僕たち」
 何か、というか、怒らせた原因ははっきりしているのだが。ただ、どうしてそんな流れになったのか知りたかった。
 マスターはうーんとうなって、思い出そうとするように中空を眺めている。
「そうだねぇ。映画の話から……恋愛経験について話してるみたいだったね。友人の彼が、君の恋愛体験をしつこく聞き出そうとしてたかな」
「はぁ?」
 なんで彼が、そんなことに興味を持つんだろう。……まずいことを口走っていなきゃいいが。
「強いやつを君にどんどん勧めてたのも彼だよ。君がめずらしく泥酔したのは、そのせいだろうね」
「なるほど……」
「小声でぼそぼそ話している最中に君がつぶれて、彼が君を支えて出て行ったんだ。始発にはまだ早いよと言ったんだが、外で酔いを醒ましてやりますと彼が」
 では、始発を待つために駅に向かうのではなく、わざわざホテルを探して入ったのは彼ということだ。初夏と言っていいこの季節、酔い醒ましなら駅のホームでも公園でも充分に事足りるのに、なんでまたわざわざ部屋などとったのだろう。もしかしたら、外で僕がぐっすり寝込んでしまったとか?
「ありえるな……」
 僕はマスターにお礼を言って、バーをあとにした。
 なんにせよ、そうして彼が連れて行ってくれたホテルの部屋で、僕は彼にとんでもないことをしてしまったわけだ。これではもう、今後どんな誘いをかけても応じてもらえないだろうと思うと、なんだか死にたくなってきた。せっかく、涼宮さんとのことが誤解だったと聞けたのに。
 それならせめて、昨夜のことを覚えていたかった……などという考えが浮かんで、僕は自分の浅ましさにうんざりした。最低だな、という彼の冷たい言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。
 一体僕は、彼をどうしたんだろう。酔って体の自由がきかない状態の彼に、むりやり襲いかかったんだろうか。意識がなくなるほど飲んだときにそんなことをしでかす体質なら、もう今後は絶対、深酒はしないようにしなければ。
 ……彼に関しては、もう遅いのだろうけど。



 それから一週間ほどは、鬱々としているうちに過ぎた。
 いつの間にか彼の携帯番号が、自分の携帯に登録されているのに気づいたが(どうやら記憶のないうちに番号を交換したらしい)、かける勇気はもちろんメールすることも出来ず、ましてやきっぱり消去する潔さなんかも持ち合わせていなかった。彼の携帯からは、とっくに僕の番号は消されているのかもしれないが。
「普通、友達だと思ってた相手からあんなことされたら、もう顔も見たくないって思いますよね……」
 いけない。また落ち込んできた。
 その日の講義を終えてしつこく合コンに誘ってくる同期生たちをかわし、帰路につくべく正門を出ると、そこになつかしい顔があった。女子大生らしい大人びた服装にうっすらほどこしたメイクも麗しい、我らが元神・涼宮さん。でもせっかく雑誌モデルに推挙されそうなお姿なのに、腕を組んで仁王立ちというポーズはどうかと思います。
「久しぶり、古泉くん」
「涼宮さん。どうされたんですか? 長門さんまで」
 よく見ると、彼女の後ろにはブルーのワンピースを着た長門さんの姿まである。ちなみに朝比奈さんは、僕らの卒業後に本来自分が属するべき時間に帰還したので、おそらくここに現れることはない、と思う。
「どうされた、じゃないわよ。キョンと何があったの!?」
「えっ」
 たしか彼女と彼は、同じ大学に進学したはずだ。学力レベル的に涼宮さんならもうちょっと上を狙えたはずだが、そんなものを気にする彼女ではない。あたしは行きたい大学に行くわ!と宣言して、彼と同じ時間を共有する道を選んだ。だから僕は、てっきり2人は正式におつきあいをはじめたものと思い込んだのだ。
「ここんとこキョンが、ずーーーーっとおかしいのよ。いつもボンヤリしたやつだけど、さらに輪をかけてボンヤリしてて、講義もろくに聴いてないし休講の伝言忘れたりするし大迷惑!ね、有希!」
 コク、と長門さんがうなずいた。
「私は学部が違うから講義のことはわからない。ただ、学食で見かける彼はたしかに普段の彼より元気がないように思われる」
 そう言って彼女は、少し首をかしげた。
「――たぶん」
 統合情報思念体から離れ、普通の少女と変わらなくなった長門さんは、あのころよりさらに人間らしくなった。そんなふたりに詰め寄られ、僕は周囲の視線をも集めてたじろいでしまう。
「ちょ、涼宮さんも長門さんも落ち着いて……」
「なんとか聞き出したら、こないだ古泉くんとひさしぶりに会って一緒に飲みに行って……って、そこまで言ってだんまりよ。何があったのよ、あんたたち」
「べ、別に何も……っ」
 そんなこと、言えるわけがない。彼はいい友達だなんて言ってるが、いまだに涼宮さんは彼のことが好きだ。長年、彼女の精神状態に気を配ってきたのだから、それくらいわかる。彼女にはもう神的な能力はないが、もし万が一、そんなことでショックをうけて力が復活したりしたら!
 僕があせっていると、彼女は腕を組んだまま、溜息をついた。
「もう……あんたたち、高校のころはすごく仲良かったのに、卒業したとたんに疎遠になっちゃって。連絡とろうにも、古泉くんてば引っ越し先の住所も新しい携帯番号も教えてくれないんだもん、キョンもずっと気にしてたのよ?」
 え、彼が? そんなこと、このあいだは一言もいっていなかったけれど……。
 そのことについてもうちょっとくわしく聞こうと思って一歩踏み出したとき、再び聞き慣れた声が耳に飛び込んで来た。
「おい、お前ら! なにやってんだよ!」
 どこから走ってきたのか、息を乱した彼がそこに立っていた。僕は心臓に走った痛みを押さえようと、無意識に自分の胸あたりをぎゅっと握りしめた。
「あらキョン。講義はどうしたの?」
「お前が、長門連れてどっかに走っていったって聞いたから……たぶんここだと思ってな。正解だったな。何をするつもりなんだお前らは」
 涼宮さんはフンと鼻を鳴らして、僕と彼を見比べた。
「まぁいいわ。ちょうどいいから、当人同士で話し合いなさい。それで、早く仲直りするのよ。これでやっと、SOS団が4人揃うんだからね。外国に行っちゃったみくるちゃんはしょうがないけど、4人いれば遊ぶには充分よね!」
 それだけまくしたてると、涼宮さんは長門さんの手を引いて、くるりと踵を返した。
「おいハルヒ! 長門!」
「うるさいキョン! 古泉くんも! 団長命令だからね!」
 ビシッと擬音がつきそうな勢いで彼に指をつきつけてから、涼宮さんは走っていってしまった。相変わらず、バイタリティのかたまりのような方ですね。
 その場に残された彼は、しばらく呆然と彼女たちの去った方を眺め、やがて気まずそうに僕の方を振り返った。僕はといえばどんな顔をすればいいのかわからずに、しかたなく微笑みを浮かべて肩をすくめてみせたのだった。



 きわどい話になることは目に見えていたので、僕らが話し合いに選んだのは、僕の大学の敷地内にある寂れた部室棟だった。
 部室棟といってもほとんど物置としてしか機能しておらず、人が来ることはまずない。仮にも自分を襲った相手とそんな人目のないところで2人きりになるのは嫌がるかと思ったが、彼は何もいわずに僕についてきた。
「……そういえば、3軒目の支払い、あなたがしてくださったんですね」
「ん、ああ……」
 そう切り出すと、彼は視線を泳がせたままうなずいた。
「どれくらい飲んだか憶えてないんですが、ワリカンでよろしいですか?」
「ああ、かまわん。飲ませたのは俺だし」
 やっぱりそうなのか。僕は彼が言った金額の半分を渡し、もう一度謝罪してみる。
「涼宮さんは話し合いしろとおっしゃいましたが……僕としては、あなたに対しては申し訳ありませんという言葉しか持ち合わせていません。本当に……」
「まだ、思い出さないのか。古泉」
 ふいに、彼は泳いでいた視線を僕に固定した。
「支払いのこと、あの店に聞きにいったんだろ? マスターあたりから、何か聞いて思い出さなかったのかよ」
「いえ……それが、さっぱり」
 はぁ、と彼が大きな溜息をついた。
「やっぱり最低だな、お前」
 また言われてしまった。もう充分にわかっていますから、これ以上傷口をえぐるのはやめてください。本格的に死にたくなってきます。
「わかってますから、もうそれ以上は……」
「違う」
 えっ? 思わず顔をあげて彼を見る。彼は腕を組んで立ち尽くしたまま、これ以上ないというほど不機嫌な顔で、僕をにらみつけていた。何が違うというのか、聞き返すべきかと思っていたら、彼は苦い薬を噛んでしまったときのような顔で、息とともに吐き出すようにこう言った。
「……俺のことをずっと好きだった、なんて告白かましといて、キレイに忘れるってどういうことだ。最低にもほどがある」
 瞬間、ざっと血の気が引いた。
「え……ええええええええええええっ! うそっ! 僕、言っちゃったんですか!?」
「……馬っ鹿野郎」
 彼はその場にしゃがみ込んで、顔を片手で覆った。
 そういえばマスターが、彼が僕の恋愛体験についてしつこく聞いていたと言ってた。たぶんその流れで、つい言ってしまったんだろう。なんという迂闊さ。そうか。そのあと潰れてしまった僕を、彼は仕方なくホテルに連れこ……あれ?
「……?」
 なんかおかしくないですか? 思わず告白してしまって、その勢いでホテルに連れ込んでコトに及ぶならわかる。だけど、マスターが言うには僕を連れて出たのは彼で……なんだか、つじつまがあわない。

 その時、ふいに記憶の奥から浮かんできた声があった。たぶんこれは、あの夜の彼の声。
(俺も好きだから……来いよ)

「ええええ!? あれっ?」
「……やっと思いだしたのか」
 あきれかえった顔で、彼が僕を見上げていた。その顔が赤い。
「まったく。ようやくお前の気持ちが聞けて、なんだ両思いだったんだと思って嬉しかったから、そのままいくとこまでいったってのに、きれいさっぱり忘れやがって。俺がどんだけ勇気を振り絞ったと思ってやがるんだ。死ぬほど恥ずかしかったんだぞ」
「りょ……思いって……いつから」
 突然彼は立ち上がって、まるで怒ってるような勢いでまくしたてた。
「高校時代から! ずっとだ馬鹿! あのころはハルヒのあれやこれやで、そんなこと言えるあれじゃなかったろうが! 卒業前にやっとこ問題が片付いたと思ったら、お前そのあと音信不通になりやがって……。少しは好かれてるんじゃないかと思ってた自分が馬鹿みたいだって、だいぶ落ち込んだんだからな!」
 それでは、高校時代、僕たちはずっとずっと気がつかないまま、お互いに片想いをしていたのだ。叶わない、叶えちゃいけないと、胸の奥に想いを封じ込めて。
「偶然再会できたのは嬉しかったけど、お前のことだからたぶんもう彼女がいると思ってさ。飲ませて聞き出そうとしたのは悪かったよ。でも思いがけずに好きだなんて言われたから……そうだな。突っ走っちまった俺もよくなかったかもしれん」
「とんでもありませんっ!」
 思わず僕は、彼を強く抱きしめていた。
「こいず……」
「すみません……そんな大事なことを忘れてしまうなんて、僕は自分が許せませんよ。ああ、長門さんの力が健在なら、むりやりにでも記憶を掘り起こしてもらうのに……。どっかで頭でも打ったら、思い出せませんかね」
「無茶言うなよ」
 あっけにとられたように黙っていた彼が、やがて腕の中で、くすっと笑った。彼の腕がそっと、僕の背中にまわる。
「……なぁ、古泉」
「はい?」
 僕の肩口に顔をうずめたまま、彼は続けた。
「忘れちまったもんはしょうがない。もうあきらめようぜ」
 相変わらず、恐ろしくあきらめのいい人ですね……。
「うるさい、聞け。……だからさ、最初からやり直そう」
「えっ……」
 身体を離した彼が、僕の顔を見上げて、いたずらっぽく笑ってみせた。
「ほら、最初っからだ。俺に言うことは?」
 ああ、なるほど。そういうことですか。
 僕はもう一度彼の身体にまわした手に力をこめ、じっと彼を見つめて、やり直しの言葉を声にする。あのころからずっと、言いたくて言えなかった言葉。
「では、言います。……ずっと、あなたが好きでした。今でも、誰よりも大好きです」
「ん、よし」
 すると彼は、僕の腕の中で、花がほころぶような笑顔を見せてくれた。

「俺も好きだぜ。古泉」



 さてその後。
 僕は“やり直し”に、告白のあとにホテルであったあれこれも含めて欲しいと懇願して、彼から再び、「最低だな、お前」との言葉を頂戴いたしました。
 でも、しょうがないですよね? これって。


                                                   END
(2009.12.01 up)
大学生になった彼ら。
連作シリーズとは、完全に時系列の違う世界のお話です。
高校時代にハルヒの力がなんらかの形で消えており、みんな普通の人間になっています。
ちゃんと古泉に惚れてて、自覚もしてるキョンを書いてみたら、誰ですかこれ。

古泉SIDEというからには、キョンSIDEも書く予定です。
古泉が忘れてる記憶の補完編。
キョンの一人称になるので、なんかすごいガチキョンになりそうなんですけど。